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不思議なインスピレーションがわき、啓示のように受け取る瞬間

 8月14日、Souichiro NakamuraさんのClubhouse「少し文学的で、ロックで、インディーズぽい音楽時間」を聴いた。「今、パティ・スミスをかけています」というのがテーマだった。
 パティ・スミスの最初のアルバム「ホーセス」から現在までを、途中で、パティ・スミスが愛するランボーの詩の朗読を挟みながら、多角的に紹介していく。
 パティ・スミスと言えば鋭角的な顔立ちで、孤高に激しく歌う、というイメージである。
 私が聴いていたパティ・スミスのアルバムは、初期の「ホーセス」「ラジオ・エチオピア」「イースター」。特に「ホーセス」は、当時のニューヨーク・アンダーグランドのにおいをぷんぷんさせていて、それが好きだった。
 そして、じつは、もう1枚。最近、カバーアルバム「トゥウェルブ」を聴いた。Souichiro Nakamuraさんが以前、Clubhouseのボブ・ディランの回で、パティ・スミスがうたうボブ・ディランのカバーをかけていたので、どのアルバムだろう? と思って、レコード屋に行って捜したのだった。
 Souichiro Nakamuraさんがかけるパティ・スミスのアルバムから数曲ずつ1時間半以上、聴いていて、私が感じたのは、パティ・スミスは、詩人である、ということだった。詩人の魂が作品にいきわたっている、と。
 そのClubhouseで、Souichiro Nakamuraさんに聞かれた。
「パティ・スミスは、ツアーの最中にステージから落下して、骨折し、長期にわたって入院をし、その療養のとき、神の啓示を受けた。緒さんには、そういうことはありましたか?」
 そんなことはないですね、と私は答えた。でも、考えてみれば、小説を書いていて、神の啓示というほどではないものの、不思議なインスピレーションがわき、啓示のように受け取る瞬間というのは、たまにある。
 最近の話だと、たとえば空耳少女という短編小説を書いているとき。スーパーに行って、野菜の棚を見ていた。ソラマメがあった。あ、これだと私は思った。空耳少女じゃない。ソラマメ少女だ、と。
 というわけで、話の内容をすこし変えて、ソラマメ少女というタイトルの短編小説ができた。
 ん? パティ・スミスの神の啓示とは、まったくちがうか。

 * ソラマメ少女は、次回、秋に出す短編集に収録予定です。

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