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新作小説の朗読をした

 昨日(8月28日)、Souichiro Nakamuraさん、Choon kang SongさんのClubhouse「文学・映画の話でもしましょうか」のテーマは「夏の終わりの読書!」。そのなかで、私は「空豆少女」という新作短編の朗読をした。
 今年になって、NHKで、「Eテレ プレーバック YOU 『特集 100回記念 気分はもう21世紀人』」という番組を放送していて、新井素子さんが出ていた。新井さんは、言うまでもなく、1970年代~1980年代のSF界のプリンセスで、現在も活躍している。新井素子さんは、できた小説の原稿をまず夫に読み聞かせている、と言っていた。
 新井さんは長い小説が多いので、400字詰め原稿用紙、たとえば300枚分の小説を聞かされる夫は、大変なのではないかという気もしたが、それはともかく、作者にとって声に出して読んでみる、という行為は、文章のリズム感や、言葉の選択について、ちゃんと読者に伝わっているかどうかを、確かめるのには、いいのかもしれない。
 私も今回、事前に「空豆少女」を朗読してみて、ピンとこない語句を変えたりした。 
 「空豆少女」は、大昔のアミューズメントアーケード、つまりゲームセンター内の対戦型格闘ゲームを題材にしているが、私自身は、対戦型格闘ゲームに熱中したことはない。ただ、家で、家庭用ゲーム、コンピュータRPG(ロールプレイングゲーム)に熱中した過去はある。RPGはやりだすと、止まらない。かつて一晩中やっていたことも、しばしばである。
 私は思うのだが、ゲームは、クリアーしても誰も褒めてくれない。褒められるためにやっているわけではない。やりたいからやっているだけだ。社会的な意義があるわけでもない。
 私が書いている小説も同じである。誰も褒めてくれない。褒められるためにやっているわけではない。やりたいからやっているだけだ。社会的な意義があるわけでもない。
 ゲームセンター内の対戦型格闘ゲームに、熱中する若者たちも、同じではないか。
 というわけで、私には、彼らにシンパシーがあった。ただ、それが、どうして自分が熱中していたRPGではなく、対戦型格闘ゲームに変わったのか。
 ゲームセンターに入り、対戦型格闘ゲームに熱中している若者たちを見ていて、ドラマを感じ取ったから、ということしかいえない。そのへんのインスピレーションについては、言葉にできない。
 なお、「空豆少女」は、読者に直接、切手を貼って、郵便で届けるというテーマの「郵便小説」の一篇として書かれ、販売されていたものを、今回、タイトルを変更して、改稿したものだ。
 いままで書かれたものをセレクトして、全面改稿のうえ、「郵便小説」というタイトルで、年内に短編集として出す予定である。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。

【付記】
 今回のClubhouse「文学・映画の話でもしましょうか」のテーマは「夏の終わりの読書!」 Souichiro Nakamuraさんの石垣りんさん、茨木のりこさんの詩への考察、noriko_libraryさんの村上春樹「恋するザムザ」とカフカの「変身」の比較、Choon kang Songさんのパティ・スミスの3冊の回想録、特に未翻訳の最新回想録の言及などプログラムが盛りだくさんで、楽しい時間でした。

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