そこでは、男女がおしゃれな部屋に住み、恋をし、デートを楽しんでいた。
1990年代に入ったころのことだ。私はピチカートファイブの楽曲をたくさん聴いた。当時、私のまわりには、音楽好きの友だちが数人いて、ピチカート談義をして盛り上がっていた。ギミックに凝りまくったアルバム「女性上位時代」がひどくおしゃれでかっこよかったのである。
その友だちの一人は、東京ヒッピーズというバンド名で、ライブハウスでライブもしていた。
前後して、やはりピチカートの「東京は夜の7時」を巷でも聴くようになった。東京は夜の7時とは、矢野顕子さんのライブアルバムのタイトルからの引用である。矢野さんのアルバムは、名盤だった。そういう引用もかっこいいと思った。
「SWEET PIZZICATO FIVE」はハウスアルバムで、これまたかっこよかった。
そのアルバムのなかの1曲、「キャッチー」の歌詞はこうである。
新しい私の部屋は
東京タワーが見える
とってもキャッチー
音楽友だちのあいだで「キャッチー」が流行り言葉になった。村上春樹の小説はキャッチーだね、とかいっていた。いまでは、恥ずかしい話だ。
ピチカートがうたう東京は、東京らしい東京だった。
なんというのだろう、テクノポリスな東京、アーバンな東京である。
そこでは、男女がおしゃれな部屋に住み、恋をし、デートを楽しんでいた。
私は東京の真ん中の街で勤めていたが、仕事が終わると、書店と古書店とレコード屋に通う日々だった。ピチカートがうたうような東京的な生活を送っていなかった。
私にとって、ピチカートの東京は、ピチカートのレコードのなかにしかなかった。
バブルの華やかさがまだ残る東京で。牧瀬里穂のCMの東京、クリスマス・イブに一人でいるなんて恥ずかしくて、部屋にいてもとても電気をつけられないといわれた東京で。
それでも私はいいと思っていた。私の耳のなかには、ピチカートの東京が鳴っているのだから。
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