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「食事とちがって、人間は小説を読まなくても死ぬことはない。ただし、読めば人生に彩を添えられる。心に栄養を与え、人生を豊かにできる。

 12月4日に発売される新刊「郵便小説 ぴむぽむ 空豆少女」は、超短編(掌小説)や短編、長めの短編等7編を収録しています。
 noteに発表した「ぴむぽむ 石に花咲くな」「我風」等も、大幅に改稿して収録。
 Amazon、中野ブロードウエイ3Fのタコシェさん、めがね書林、江古田にある、一棚書店「ぼっとう&よはく」でも販売予定です。
 ここでは、「郵便小説 ぴむぽむ 空豆少女」の「あとがき」を転載しました。
 気になった方は、ぜひ、チェックしてみてください。

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 この本は私の記念すべき十冊目の本である。
 小説は編集者から依頼があって書き始める、とエッセイで書いたのは、「新宿鮫」シリーズの大沢在昌さんである。職業作家の大沢さんとしては、当然のことだろう。だが、いま、そうではない小説書きもたくさんいる。
 そういう人間の大半はインターネット上に発表している。
 ネットに発表するといっても、方法はいろいろある。有名小説サイトに掲載するという方法もあれば、自分のブログに掲載するという方法もある。インスタグラムやツイッターに少しずつ載せている人もいるだろう。
 私は郵便小説という方法を考えた。
 四百字詰め原稿用紙十枚前後の短編を書いた場合、それをそのまま小説サイトに載せるのではなく、郵便小説という名目で、封書に入れて、読者に直接郵送する。私としては、日々更新され、埋もれてしまうネットではなく、住所が手書きされた封筒に入った一点ものとして、紙のかたちで残したかったのである。そういうメディアが確保できれば、安心して短編が書けるという心づもりもあった。そのため、めがね書林という販売用サイトも作った。運営は家人にお願いした。
 切手を貼って、ただ郵送するだけでは面白くない。封蝋を施すことにした。
 封蝋とは、封筒や文書に封印を施すために用いる蝋である。
 ヨーロッパを舞台にした映像で、蝋を溶かして流し、紋章のスタンプを押す。そんなシーンを観たことがあるかもしれない。あれである。
 現代社会に生きる忙しい私たちは、ほぼそんなことをしない。
 誰かに頼まれて小説を書いているわけでもなく、知名度も皆無の私は、読者と作者の一対一の関係もいいのではないか。作者が書き、読みたいと思うひとのポストに届ける。オンラインをつかったオフラインの極小のコミュニケーション。そんなふうにして書かれ、そんなふうにして流通している小説を面白いと思うという奇特な読者もいるのではないか。

 そんなふうにして始まった郵便小説だが、作品数が十を超えたので、特に愛着のある小説を本にしてみようと思った。それがこの本である。
 そして過去に書いた郵便小説だけでなく、その後、新しく書いた、郵便小説に較べればやや長めの短編を付け加えた。
 ネットにすでに発表したものもある。
 結果として新旧を織り交ぜたラインナップになった。「高橋望叶」「鬼門」「空豆少女」が郵便小説で、「ぴむぽむ 石に花咲くな」「我風」はネットに発表をしている。「深夜の遊具」「R」が新作である。

 ここで収録された小説のちょっとしたエピソードを一つ。ある日、空耳少 女というタイトルで、短編小説を書いていた。スーパーにいって、野菜の棚を見ていた。空豆があった。あ、これだ、と思って、空耳を空豆に変え、物語の内容も変えた。そしてできあがったのが「空豆少女」である。
 なぜそう思ったのかはわからない。
 インスピレーションとは、不思議なものである。

 1990年代に入ったころ、私はピチカート・ファイヴの楽曲をたくさん聴いていた。当時、私のまわりには、音楽好きの友だちが数人いて、ピチカート談義をして盛り上がっていた。ギミックに凝りまくったアルバム「女性上位時代」がひどくおしゃれでかっこよかったのである。
 その友だちの一人は、東京ヒッピーズというバンド名で、ライブハウスでライブもしていた。
 前後して、やはりピチカートの「東京は夜の七時」を巷でも聴くようになった。矢野顕子さんのライブアルバム「東京は夜の7時」からの引用である。名盤だった。そういう引用もかっこいいと思った。
「スウィート・ピチカート・ファイヴ」はハウスアルバムで、これまたかっこよかった。
 そのアルバムのなかの1曲、「キャッチー」の歌詞はこうである。

 新しい私の部屋は
 東京タワーが見える
 とってもキャッチー

 音楽友だちのあいだで「キャッチー」が流行り言葉になった。ピチカートがうたう東京は、東京らしい東京だった。なんというのだろう、テクノポリスな東京、アーバンな東京である。
 そこでは、男女がおしゃれな部屋に住み、恋をし、デートを楽しんでいた。

 私は、東京の真ん中の街に勤めていたが、仕事が終わると、書店と古書店とレコード屋に通う日々だった。ピチカートがうたうような東京的な生活を送っていなかった。
 私にとって、ピチカートの東京は、ピチカートのレコードのなかにしかなかった。
 それでも私はいいと思っていた。私の耳のなかには、ピチカートの東京が鳴っているのだから。

 今回の本にもたくさんの音楽が鳴っている。書かれていなくても、私の心には鳴っている。

 食事とちがって、人間は小説を読まなくても死ぬことはない。ただし、読めば人生に彩を添えられる。心に栄養を与え、人生を豊かにできる。
 せめて美しい小説の花を咲かせたい。

 前回の「ボブ・ディランとジョン・レノンでは世界を語れない」のあとがきで小説を読めないひとにも読めるような小説を書きたいと書いた。その後、私の小説を読んで、小説が読めるようになった、という文章をネットでいくつか読んだ。本望である。今回もそういうつもりで作品を書いている。

 みなさんが気に入る小説がありますように。 

                             緒 真坂

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