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95歳の母を見て感じる、リアルな人生100年時代

昨年7月末から、鹿児島の実家に帰り
95歳の母と同居を始めました。

18歳で大学入学を期に、東京にでて
それ以降、年1,2回の帰省はしても
一緒に暮らすことはなかったのです。

50年ぶりの同居!

50年ぶりの同居から7ヶ月が過ぎ、
感じたこと。わかったことを書いてみようと思います。


50年も別れて暮らしていたふたりが
母娘とはいえ、同じ家で一緒に暮らすのは容易ではないこと
を痛感した7ヶ月でした。


生活習慣や、ちょっとしたことに違和感を感じ、
「イラッ」としたり・・。

それは、母も同じだったでしょう。

父が亡くなり、25年以上も一人暮らしをしてきたのですから
母なりの生活ペースが出来上がっているのは当然です。

そして、95歳とはいえ、頭もしっかりして、
日常生活をひとりで送れる程、
自立していた母なら尚更。

同居を始めたきっかけは、
95歳は、転換点だとお医者様から聞いたことでした。

「どんなに元気な人も95歳を境に、
体調を崩したりすることが多いから気をつけた方がいい。」

と。

あまりにも母がしっかりしているので、
95歳という年齢を忘れて
これからも今までどおりなのだろう・・と
安易に考えていたのでした。

「そっか!95歳なんだ!」

と改めて母の年齢に驚き、
このままずっとひとりは難しいかも・・
それなら、残りの年月を一緒に暮らしてサポートするのも
ありかも・・・。

と思って、実家に帰ることを決めたのでした。

こんな言い方をするとどうかと思うのですが

「100歳までとしても後、5年。今までの恩返しをしよう」
5年くらいだろう・・と期間限定のような気持ちだったからこそ
「ずっとではない、一時的に一緒に暮らす」

と思い、決断をしたのだと思うのです。

長くて5年・・と思い、その期間、できることをやってあげよう!
と勝手に思い込んでいた私。

「なんでもやってあげよう!」

朝、昼、晩、3食の食事
毎日の洗濯、掃除。
病院への送迎。等々

私と同居するまで自分でやっていたことを取り上げられ
それでも母は「やってもらっている」という引け目から
言えずに我慢していたのでした。

そうしてギクシャクしていた時、
気がついたのです。

「私がなんでもやってあげるのは、私の自己満足。
母はそれを望んでいない。
自分でやれることはやりたいいんだ。
それが母の存在意義なんだ。」と。

それから、
食事は、朝、昼は、お互い食べたいものを自由に食べる。
私が作るのは、夜だけ。

洗濯は、母がする。干すのも取り込みたたむのも。
母のやり方があるから。

掃除は、思いついた方がやる。
買い物と病院、美容院は、私が連れて行く。

週に1度、日曜は、ドライブに行き、
お昼ご飯を外で食べる。


そして
2ヶ月か3ヶ月に1回
私は、東京に1週間ほど、息抜きに出かける。

こんなペースが出来上がってきて、
お互い、無理せず、暮らせるようになったように思います。

この7ヶ月でわかったこと。

どんな高齢になっても
自分の役割があることが、大事だということ。

存在価値がなければ
生きがいを感じられなくなるということ。

会社員として長く働いてきた男性が、
会社を辞めた途端、生きがいを失って元気がなくなる
のも、同じことなんだとわかります。


何歳になっても
自分の役割がありますか?
誰かの役に立っている実感がありますか?

人生100年時代を生き抜くには、
「自分の存在価値があること」
が欠かせないと

身近な95歳の母を見て
思うのです。


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