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「どんな風に」聴いて欲しいですか?

話を「聴いて欲しい」と思った時に

「どんな風に」

聴いて欲しいですか?

きっとそんなことを考えたことなんてない

という方がほとんどだと思います。

けれど、話を聴いてもらっている時

「なんだか違う・・」

「なんだか聴いてもらっているように

感じられない・・・」

と思ったことがあるのではないでしょうか?

話を途中でさえぎられず

ちゃんと聴いてもらっているのに・・

何故か違和感を感じる。

話を聴いて欲しい時に

話し手は自分でも気がつかず

「こういう風に聴いて欲しい」

という願いをもっていると

私は考えています。

①「そうか、そうなんだね・・」

②「わかる、わかる」

③「あなたなら大丈夫!」

実は、同じ「聴く」という中にも

色々な聴き方があるのです。

①受容的傾聴

 →あるがままを受け入れる聴き方

②共感的傾聴

 →共感する聴き方

③応援的傾聴

 →背中を押して応援する聴き方

自分が話し手として

「受容して欲しい」と

思っている時。

共感的に「わかる、わかる」

と言われると

「あなたに何がわかるの?」

とイラっとしたり。

「できない自分に共感して欲しい」

と思っている時。

「あなたなら、大丈夫」

と言われて、

何が大丈夫なの?・・

と感じたり。

「ちゃんと相手の状態に合わせて聴く」

というのは、

実はとても難しいことなのだと

思うのです。

そして、聴き方にはもうひとつ

④一致的傾聴

  →ほとんど言葉を発せず

    相手の状態にただ一致して

    場を作る聴き方

というのがあります。

これは、本当に難しい聴き方です。

けれど、相手がこころの奥底の

深い話をしようとする時には、

聴き手がこの一致的傾聴をしていないと

話し手は安心して話せないのです。

「こんな話をするつもりじゃなかった」

こころの奥に秘めていたことを

つい思わず話してしまった・・・。

そんな経験を持っている方も

いらっしゃると思います。

これは、聴き手が「一致的傾聴」

をしていたから、

その安心・安全の場を感じて

こころの奥に自然と向き合い

秘めていたことが湧き上がってきた

と言えるのだと思うのです。

何が言いたいかというと

「聴く」という行為は

奥深く、簡単ではないということ。

「ちゃんと聴いてもらえた!」

そんな風に感じてもらえる

「聴き手」でいたい。

「聴いてもらえた」

ことで話し手の方の

何かの気づきになれれば・・

そんな

「聴いてもらえる場」

をもっともっと増やしたい。

相手と真摯に向き合って、

「聴く」ということは

自分の在り方が問われる

修行なのだ・・と思っています。

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