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はじめての老い -ついに眉毛が伸び始めた!-

村山富市である。
ついに内なる村山富市元首相が動き出した。
ある日、マスクの下でたわわに実ったヒゲを剃ろうじゃないかと、鏡に向かったところ、目に飛び込んできたのは村山富市さんのように伸びに伸びた眉毛だった。すごい。来たのか。あれが。この我が身にも! 長い! 長いぞ! 眉毛が長い! ウォー。
なにがウォーなのか。

「老いは常に、鏡で発見される」
誰かが書いた名言っぽく書きましたが、俺がいま書きました。でも、似たようなことはいろんな偉人が言っきていると思います。自分が年をとったことって理屈でわかっていても驚くんですよね、鏡とか、人が撮った写真とかで。
何人かで鴨川とかで遊んでたんですよ(京都在住アピール)。
「今日面白かったですね。ガビンさんまた行きましょう!」
友人からのDMに写真が添付されてきててね。そのDMに「こちらこそ! 股いこう〜」とかふざけて応えようとしつつ、目線はわたしの豊満なおなかまわりや、川から出てきた白髪のバケモノ的自分に目が釘付けになる。じ、爺さんがおる!

村山富市さんが首相の頃、テレビなどでお話をされている姿を見るたびに、ついつい眉毛の長さに意識が引っ張られ気味だった。なぜあんなに長いのか。なぜ切らないのか。なぜ邪魔ではないのか。なぜなぜなぜ。なぜ、あの眉毛で日本の未来を見通せるのか。ラプンツェルなのか? 眉毛界のラプンツェル気取りなのか。政治のどんな塔から抜け出そうとしてるのか。そんなことが気になって仕方なかった。
ような気がしてたけど、いまあらためて画像検索すると眉毛は瞳にはまったくかかってないのね。どちらかというとヨークシャーテリアやシーズーみたいなスタイルの眉毛だった。目を避けて左右にファサーと流れるスタイルだった。みんなも検索してみて。この情報いる?

当時私は、村山首相に対して「なぜ頑なに眉毛を切ろうとしないのか」「どこまで伸ばすつもりなのか」という視点で見ていたんです。しかし、眉毛伸び放題なってみてわかる村山富市。余談ですが富市という名前の響きはかっこいい。トミーチ。いい響き。エイドリアン・トミーネみたいな。
さておき、年とってからの眉毛ね。切っても切っても、気がつくと元の長毛に戻ってるんですよ。切っても切っても、すぐ戻る。ちょっと目を離した隙にすぐ戻る。振り向いたらもうふぁさふぁさですわ。なんと恐ろしいことなんでしょう。

なぜ眉毛が長くなるのかを一応書いておきますと、年をとると毛周期が乱れるんだそうです。これまたトミーチに続いて声に出して言いたい日本語、モーシューキ。
眉毛が、髪の毛のように無限に長くならないのは、伸びる速度が遅いことに加えて、毛が成長してやがて抜けるまでの周期=毛周期が、短いからなんだそうですね。長くなる前に抜けちゃう、と。
老いによってその周期が乱れると。これまで生え変わっていたタイミングで抜けずに、成長を続けてしまうことによって、眉毛が伸びると。気がつけばボサボサになってる。
そうだったのか。ごめんなさい村山さん。こんなに素早くボサボサになると思っていませんでしたわ。魔法のように眉毛が伸びると思っていませんでした。

個人的には、この「周期が乱れる俺」っていうのにもグッとくるところがあります。自分の体が、バグってきてる! この感じは「老い」醍醐味ですわ。共感されなそう。

多くの女性が、眉毛を整えていらっしゃいますよね。かつては時代時代で眉毛の太さ細さが目まぐるしく変化していた。
一方男性はどうでしょう。昭和では無頓着な人が多い印象ですが、昨今の高校生あたりは男女問わずきれいに整った人を見かけることが増えましたね。昨今ていつだ。だいぶ前からのような気がするけども。そこらへん大雑把なくくりになっているのもまた老いでしょうか。
私が高校生の頃のことを思い出すと、整えているのがかなりの少数派。きっちり細く整えておられるのは、ヤンキーと呼ばれる方たちが多かったかな。リーゼントを美しく整えるための「ソリ」も入ってましたね。カミソリとの親和性が高い人たち。
私は、昭和の、しかもヤンキーにもなりきることのできないワナビーでしたので、整えていなかったですね。

なのですが、いまごろになって切ったのです。眉毛を切ったのです。
切ったんだ。特になにも考えず、この伸びた眉毛は切るもんだ、とナチュラルに判断して切ったわけです。特に何も考えておらんかった。

そこから一週間くらいた経った頃か、妻に切った話をしたんです。妻は特に切ったことにも気づいてなかったんだけど、「え、なんで?」と言った。
なんでってなんで?
と思いました。
その瞬間に、自分に対して、なんでってなんでってなんで? とも思いました。たしかに「え、なんで?」と反応が来たように、私はガワで言えば、切らないガワだった?のか?
しかしなぜナチュラルに切ったのかを考えると、これはまあ、見苦しいと思ったんでしょうね。ヒゲも基本ボーボーなわけですが、定期的に切っていたりはする。なぜなら、ふいに鏡を見た時に見苦しいと思って、で、切るという習慣になっているわけです。
人と会って、すんごい伸びている口ひげなどを見ると、そこに視線が釘付けになってしまうことになってしまって、その情報いらんな、と思う。
というわけで、相手にややこしい情報を与えたくないという気持ちがあり、ちょいちょい切ったりしているということ。だと気が付きました。
そんなこと誰も気にしてねーわ。

じじいの生態として、過去のスタイルに固執する、と思われているでしょう。確かにそれはあるんだけど、いざ、じじにになって気がつくのは、スタイルを変える体力・気力がない、というのもある。
体力・気力のなさに身を任せていると、どんどんなんもしたくなる。それはそれでやばそう。

というムダな逡巡を経て、これからも気が向いたら眉毛を切るのだろう私は。こういう変化はあといくつ訪れるのだろう?

この「はじめての老い」シリーズはこちらのマガジンにしっぽり収まっております。購読しといて。
https://note.com/itogabin/m/mfadfc4b35ea7

このシリーズはじめたことから、日本科学未来館の老いに関する展示「老いパーク」に関わることになりました。11月にオープンしますよ!
https://www.miraikan.jst.go.jp/news/press/202309133124.html

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