見出し画像

区史(自治体史)に関する著作権トラブルについて考える

はじめに

2023年2月、東京・世田谷区の区史(自治体史)の編纂を巡り、著作権トラブルが発生しました。東京新聞で「世田谷区史の著作権は誰のモノ? 区と執筆者が対立している理由とは」との記事が公開されています(2023年3月8日現在)。今回は、この事件を題材に、著作権について考えてみたいと思います。

区史(自治体史)は著作物か?

この事件で検討すべきポイントはいくつかありますが、まず素朴な疑問として、自治体の歴史を記述した「区史(自治体史)」は著作権で保護される対象なのか?という点があるかと思います。

自治体史というからには、自治体の歴史を記述したものということはわかります。しかし、歴史それ自体は、過去に生じた事実それ自体です。そうすると、例えば「今年の元旦の天気は快晴だった」などというような事実と同じで、そもそも著作権を与えてはいけないのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

ところが、自治体史は、結論としては著作権が与えられ得る性質のものであると考えられます。というのも、自治体史と一口に言っても、世の中全ての自治体史が共通した表現形式を取っているとは言えず、各々で異なる表現形式となっているというのが一つ目のポイントです。また、内容とする情報それ自体は客観的な事実であったとしても、そこには、過去に生じた事実を元としながらも執筆をした方の情報の取捨選択や表現上の工夫がみられるというのが二つ目のポイントです。

著作権法は、客観的な事実やありふれた表現には保護を与えず、創意工夫が施された表現に対して保護を与えるのが原則ですが、素材の選択や配列に創作性がある編集物にも保護が与えられるものとされます。このため、自治体史は、本来的には著作物に該当する類のものだと思っておいて良いかと思います。

公共目的で作られた著作物なのに著作権の話になるのか?

自治体史が本来的に著作物に該当するのだというということはわかりました。しかしそうはいうものの、自治体が作る自治体史である場合、公共的な目的で作成されているものなので、やはり著作権法では特別な取り扱いがなされているような気がする方もいらっしゃるかもしれません。

自治体が作った著作物に関しては、著作権法13条において、「国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人…又は地方独立行政法人…が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの」は、たとえ著作物であっても著作権(及び著作者人格権)の目的となることができないと規定されています。

地方公共団体とはつまり自治体このことだなとすると、もしかすると自治体史も著作権等の目的とならないのではないかと思うところかもしれません。しかし、条文をよく見ると「告示、訓令、通達その他これらに類するもの」と書かれています。果たして、自治体史は告示、訓令、通達といった類のものと同列に扱われるようなものなのでしょうか。どうも文字面としては性質が異なりそうだなという気がしてきます。

ここで、立法者の解説(著作権法逐条講義七訂新版)を参照してみましょう。立法者解説によれば、「告示、訓令、通達その他これらに類するもの」というのは、「行政庁の意思を伝達する公文書」だとされ、通知や行政実例といったものが想定されているとされます。白書や報告書といったものはこれらには該当せず、権利の目的となるのだと説明されていますので、この点からも、自治体史はここには含まれなさそう(つまり権利の目的になりそう)だということがわかります。

著作権法には、国等が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書といった著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができるという規定も設けられていますが、これとは違うお話になります。

自治体の職員が執筆すると扱いが違う?

次に、上記の記事で「葛飾区は区の学芸員らが執筆したため、著作権は区に帰属。」と書かれている点が気になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

区の学芸員や職員が執筆した場合はどういう扱いになるか-これを解説する前に、大前提をお伝えする必要があります。

まず、著作権法の世界のお話に進むためには、検討しようとする対象が「著作物」である必要があります。自治体史がどうやら著作物らしいということは、上記で説明を試みましたので、これは良いでしょう。

では次に、著作物を作るのは一体誰か、という問題があります。著作権法では、「著作物を創作する者」が「著作者」だと定められていて、著作者は著作権と著作者人格権を享有(「きょうゆう」と読みます。ここでは「取得」くらいの意味合いと思って頂いて構いません。)すると定められています。

著作権法では、創意工夫が施された表現に対して保護が与えられるのが原則だとお伝えしましたが、もう少しちゃんと書くと、「思想や感情を創作的に表現したもの」が著作物だと定められています。思想や感情を表現するにあたって創意工夫を発揮できるのは「人」、特に「自然人」(「しぜんじん」と読みます。個人のことです。)だけですね。

「自然人」に対する概念が「法人」です。法人は法律上「人」であると擬制された、いわばフィクションですので、そもそも思想や感情を持ちようがありません。このため、著作者となり得るのは、原則として自然人=個人だ、ということになります。

とはいえ、世の中の社会活動では、法人が大きな役割を担っていることも否定できません。例えば新聞や雑誌など、法人名義で世に出されている著作物は枚挙にいとまがありません。

もしこうしたものでも記事を書いた自然人が著作権者だとするとどうなるでしょうか。ある記事を利用したいという人は、新聞社や雑誌社に問い合わせ、執筆をした記者個人の許諾をいちいち取る必要があるのでしょうか。在職中であればまだしも、退職していたり既に死亡していたりすると、事は厄介だなぁというのは想像に難くないと思います。

そこで編み出されたのが「職務著作」という制度です。この制度は、法人等の発意によってその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものについては、契約などで異なるルールを定めなかった場合には、著作者をその法人等とする、というものです。

つまり、上記の例で言えば、新聞社や雑誌社が自社名義で公表する新聞や雑誌については、記事を執筆した記者個人ではなく、新聞社や雑誌社といった法人が著作者になる、ということです。こうすることで、利用をしたい人は執筆した個人ではなく新聞社や雑誌社といった法人から許諾を得れば良いということになります。

これを冒頭の自治体史について当てはめてみたいと思います。

区の学芸員や職員というのは、いわば自治体職員です。そして、自治体史というのは、その自治体名義で発表する性質のものというのは疑いないでしょう。そうすると、自治体の業務に従事する職員が、その自らの職務として作成するものであれば、原則として職務著作が成立する、ということになります。

このため、自治体史について、その自治体の職員が記事を執筆しているのであれば、著作物が完成した時点で、譲渡も何も検討することなく、自治体が著作者であり著作権者でもあるということになります。つまり、そもそも著作権の問題が生じないということになります。

冒頭の世田谷区では、外部の大学に所属する研究員が編纂メンバーになっているため、どうも事情が異なるのだな、ということがお分かり頂けたかと思います。

なお、たとえ雇用関係にない場合であっても職務著作が成立し得るとした最高裁判決もありますが、外部の人に業務を依頼しただけで職務著作が成立するという簡単なものではありません。その事件では「雇用関係の存否が争われた場合には,同項の『法人等の業務に従事する者』に当たるか否かは,法人等と著作物を作成した者との関係を実質的にみたときに,法人等の指揮監督下において労務を提供するという実態にあり,法人等がその者に対して支払う金銭が労務提供の対価であると評価できるかどうかを,業務態様,指揮監督の有無,対価の額及び支払方法等に関する具体的事情を総合的に考慮して,判断すべき」であり、法人等の指揮監督下で労務を提供し、その対価として金銭の支払を受けていた場合に、形式的に雇用契約がなかったからといって職務著作の成立が否定されるものではないとしたもので、今回の事件とはちょっと事情が異なります。

著作権を持っているとできることとは?

職務著作が成立しない以上、著作者は実際に執筆をした自然人=個人であることになり、その個人が著作権や著作者人格権を保有します。

著作権を持っている人のことを著作権者と呼びますが、著作権者は、自らが保有する著作権の全部または一部を他人に譲渡することもできますし、譲渡をするのではなく利用を許諾することもできます。著作権は一種の財産権だからです。

もちろん、譲渡も利用許諾も、無償である必要はなく、有償とすることも自由です(もちろん当事者間で金額等の条件について合意する必要があります。)。

著作者人格権の不行使とは?

著作権者は、財産権である著作権を他人に譲渡することができるのですが、著作権とは別に発生する「著作者人格権」は他人に譲渡することができません。著作者人格権というのは、公表権、氏名表示権、同一性保持権の3つからなるもので、著作物が思想や感情を具現化したものであることから認められるものです。

著作者人格権というのは非常に強い権利でして、たとえ著作権を他人に譲渡した後でも著作者人格権を行使することが可能なものです。このため、ある著作物を改変する権利を譲り受けたとしても、著作者人格権(特に同一性保持権が問題になることが多いです。)を侵害するような改変をすることは認められません。

これらの著作者人格権は、他人に譲渡することができないというのは著作権法ではっきりとそう書かれているのですが、上記のように、著作権を譲り受けた側からすると、少々厄介な印象を持たれかねない権利だと言えます。

そこで考えられるのが、著作権の譲渡に伴って著作者人格権を放棄してもらったらいいのではないか、ということを思いつく方もいらっしゃるかもしれません。しかし、著作者人格権は、その性質に照らして放棄をすることはできないと解されています。

そこで編み出された(という表現が正確かはさておき)のが、これを使わない(行使しない)ということを自ら表明することはできないか、というものでして、契約書において著作者人格権を行使しないこととする旨の条項を入れておこう、というものです。この条項のことを「著作者人格権の不行使特約」と呼んでいます。

この不行使特約は、諸説ありますが、契約によって自発的に著作者人格権を行使をしないこととするというのは、有効だろうというのが有力であると言えます。

著作権を全部譲り受けたとしても、後から著作者人格権を行使されたら困るという発想からすると、世田谷区の条件提示は、一見すると合理的なようにも思えますが、話がこじれてしまったのは何故なのでしょうか。

世田谷区はどうしたらよかった?

上記のように、著作者人格権というのは、著作物がそもそも著作者の思想や感情を具現化するところに心血が注ぎ込まれるというところに着目して与えられる権利でして、譲渡も放棄もできない特別な権利だと言えます。

このため、一般論として、契約書の決まり文句のような格好で、丁寧な説明も合意もなく不行使特約を入れておくこと自体、トラブルの種になり得ると言えます(世田谷区が具体的にどう説明したかは存じ上げません。)。もし不行使特約をどうしても入れたいのであれば、その明示をするとともに、趣旨や理由、背景などを丁寧に説明を予めしておくべきと言えるでしょう。

また、著作権は財産権ですので、いくら公共目的であるからといって、いきなり寄越せというのは失敬なと思われても致し方ありません。公共事業のための用地買収ですら難航することを思えば、いくら自治体だからといって無闇に他人の財産権を持って行けはしないということは想像に難くないかと思います。

世田谷区としては、完成してから著作権の話をしては遅すぎるからという心づもりだったのかもしれませんが、残念ながら著作権譲渡の提案をするにしては、なお遅きに失していたということでしょう。また仮にこのタイミングであったとすれば一層のこと、丁寧に事業の趣旨や将来のことなどを伝え、時間がかかっても合意形成を図ることを重視すべきであったのかもしれません。

この事件の落とし所は?

ひとたびこじれてしまった当事者関係を修復するというのは大変な労力がかかります。しかし、こじれたまま放置したところで時間が解決してくれるものでもありません。自治体史の編纂という一大プロジェクトを成功させるには、提案したものとは異なるスキームでの解決も模索することになるかと思います。

一つの方策としては、利用許諾を受けるという格好が考えられます。利用許諾という枠組みとする場合、著作権は著作者個人に残り、自治体としてはそれをあくまでも「借りる」ということになります。

自ら保有していないで借りているというのはどうなの?と思われるかもしれませんが、自治体の場合、財産権を譲り受けてしまうと、むしろ行政財産として管理することが必要になりかねませんので、譲り受けることが正解とは限りません。

利用許諾と言っても、必ずしも毎月・毎年の利用料を払わなければならないものではなく、無償での利用許諾も可能ですので、要は当事者間の合意次第です。

将来の改訂の際にも、ガラッと書き換えるのであれば別ですが、今回作った自治体史の記述をベースに加筆・修正をすることになるでしょうから、著作者人格権(特に同一性保持権)との関係では各執筆者の合意や協力を取り付ける必要がある点からも、利用許諾型とするのは、それなりの合理性があるのではないかと思われます。

もちろん、歴史を勝手に修正することが望ましくないということは双方わかっていることでしょうから、こうしたことは行わない旨の確認は取っておくべきでしょう。

一方で、将来の二次利用の場面などで、幾分の改変があり得るというのは、自治体側のニーズとしてあることも想定されます。こうした場面でもいちいち該当の執筆者の許諾を得なければ動けないとするのであれば、せっかく多くの人が関与して完成した自治体史も、活躍の場面が減ってしまうかもしれません。

著作物は利用されて初めて価値をもつものだということを改めて認識をし、双方が納得できる条件の調整が求められていると言えるでしょう。

自治体として気をつけるべきこととは?

今回は自治体史がきっかけでトラブルに発展しましたが、最近では学校での著作物の無断利用がトラブルになった事例が相次ぎました。

自治体では広報誌、便利帳、ごみカレンダーなど、様々な媒体を制作していますが、これらの多くが他人の著作物を利用していたり、制作を外部に委託していたりします。誤解されているように感じるのが(違ったらいいのですが)、自治体が業務を発注しているのだからその制作物の著作権が当然にその自治体に帰属するのだ、という意識は誤りであり、むしろ危険ですらあります。

著作権は全ての職員が関わるといっても過言ではない法律ですので、必修の科目ではないでしょうか。自治体における著作権リテラシーの向上は、待ったなしなのではないでしょうか。

こちらの記事に関するお問い合わせは【こちら】までお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?