「あなたに私の気持ちはわからない」「はい、わかりません」からの関係
支援を必要としている方とお話をしようとして言われることがある。
「あなたには分からないと思うよ」「あなたのような若い人には私の苦労なんてわからないよ」「この不安な気持ちはわからんでしょ」
と。
ごもっとも、わかりません。
育ってきた環境が違うし、年齢、仕事、好きなもの嫌いなもの、経済状況、何から何まで違う人間なのだから。
1.そうですね、わかりません
ソーシャルワーカーが、支援を必要とする方に基本情報や現在一番困っている状況はなんであるのかを精査するためにお話を伺うと、こんな場面はよくある。
そのときどうするのか。
私はいつも答える。
「そうですね、わかりません」
そうすると、面食らったような表情をされることは多い。しかし、事実だ。
反対に、「そんなこと言わないでください。お気持ちわかりますよ」と言ってもいいのかもしれないし、言っているソーシャルワーカーさんもいるかもしれない。
でも、今までしてきた苦労という苦労の度合いもそれぞれの解釈の上だし、それぞれの経験値も違うし、そのときにどのような気持ちで過ごしてきたなんて、その方の隣でずっといてもわからないものだと私は思う。
私が今まで過ごしてきた中で、こんなところで公表できないくらいツライ思いをしたとある経験があるのだけれど、それについて思い切って話したときに「わかるよ」と言われたら、「いやわかんないっしょ」、心の中で思うと思う。
もちろん、その話した相手がそれよりツライ過去があったとしても、それは話してもらわない限り知りえないし、知ったとしてもその時の「ツライ」と思う気持ちはその人にしかわからない。
2.スタートライン
しかし、その「私には、わかりません」と相手に伝えることが、私は支援においてスタートラインに立つこと、だと思っている。
対等になるわけではないが、お互いにまっさらな状態になると思っている。
支援するにあたって、こっちが「上」に立っています、という関係性を作ってしまうと、心を閉ざされてしまうこともあるからだ。
支援される側は、痛いほど自分が支援される側であることを感じている。とても繊細に。だから時に警戒心むき出しになるときもあれば、恥ずかしいという気持ちから閉ざされてしまうことがある。
あなたと私は、お互いに何も知らないし、お互いに何もわからない
そのことを伝えることが支援のスタートラインと、私は思っている。
3.その先へ
でも、「わかりません」「そうですか」で終わってしまうと、支援ができないし、ましてや適切なサービスに結びつかない。それではソーシャルワーカーではなく、ただの話しかけてきた人である。
わたしは、こう言う。
「そうですね、わかりません。しかし、お話をしていく中で、あなたのことをサポートできるようなサービスや制度を一緒に考えていくことはできます」と。
過去のことや苦労や、ここに至った経緯は分からない。
けれど、現状を聞いてその先につなげることはできると伝える。それが私の役割であることも伝える。
これが正攻法であるかは分からないし、これを皆さんやってくださいね、とは思ってはいない。そもそもソーシャルワーカーの支援方法は、それぞれ違うし、それぞれに【こう話していくのがいい】というものがあると思う。
私の仕事は、現状を把握して、その先の生活の基盤を作っていく”サポート”をすることだ。生活をしていくのはその支援される本人である。その方の、生活のリスタートを後押しをするだけである。
このことを心にとめておかないと、過剰な支援になる。本人の持っている力を本人に発揮させる機会を奪うような支援になる。それだけはしないように気を付けている。
(その匙加減がとても難しいのだが、それこそがソーシャルワークの仕事の醍醐味だと私は思っている)
他人の人生の軌道修正とまでおこがましいことは思っていないし、更地にするつもりもなければスパイスを加えるつもりもない。
けれど、散らかったものを整理して、いらないものをどうするか考え、足りないものをおすすめすることはできる。取捨選択のお手伝い屋さんかな。
一緒に考え、(でも専門的な制度は説明して)それで「ああ、助かったよ」と言われれば、こんなうれしいことはない。
共に考えていく。
それを明日からも続けていきたいと思った日曜日でした。
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