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コラム|人も地域も、おもしろがってみる時間

医療関係者でも病院スタッフでもないのに、この「いとちプロジェクト」に関わることになり、週に1度、医学や薬学を学ぶ学生たちと地域を歩いたり写真を撮ったりという活動を始めて、もう4ヶ月くらいになっただろうか。

ツアーと呼ぶほどのものでもなく、医学実習と呼ぶほど専門的な知識が学べるわけでもない。参加していて「なんだろう、この謎の時間は……」といつも思うのだけれど、なんだか毎回楽しい時間を過ごしている。

ぼくたちが歩く場所はだいたい決まっている。いわき市鹿島町の久保という地域だ。いわきの大動脈「鹿島街道」が通っていて、たくさんの商店が立ち並んでいる久保地区だが、路地を一本入ると、かつてこの地がかつて「鹿島村」だった時代の雰囲気が感じられる。

久保の住宅地を、みんなであるきます

道沿いには古い民家が並び、畑で野良仕事をしている方を見つけて「どうもー」なんて声をかけることもしばしば。

もちろん、古きよき農村の風景だけがあるのではない。ここ数年のあいだに建てられた新しい住宅も、平成の時代に建てられたと思われるアパート群も残る。古い農村でもあり、住宅地でもあり、新しい移住者も少なくない。そんな背景も見えてくるから、歩いていて退屈になることがないのだろう。

久保地区のシンボル、かしま病院がドーンと鎮座するその奥には、里山というべきか、こんもりとした森がうっそうと広がっている。傍には蔵持川が流れていて、その流れのなかには小さな魚の群れも見つかる。静かで、空気が澄んでいて、懐かしい。久保には、そんな風景もあるのだ。

白衣を着た若者が、スマホ片手に田舎のまちを歩く。その姿はなんだか滑稽である。けれどその一方で、白衣を着た若者が畑のそばを歩いている光景は少し羨ましくもある。こんなふうに医師がまちを散歩し、野良仕事している父ちゃん母ちゃんに「こんにちは、調子はどうですか?」なんて声をかけられるまちは、とても豊かだと思うからだ。

畑があちこちにあるのが、久保のいいところ
あるいていると、地域のおばあちゃんたちとおしゃべりになることも

ちっぽけな畑に見えるかもしれないけれど、その土地の多くは、先祖代々受け継いできたもの。野良仕事を愛する皆さんは、野菜を大きく、美味しく育てたいと思うと同時に、きっと先祖から受け継いだ土地を大切に守りたいのだ。だから、暑い時期にも水を飲むのも忘れて雑草と格闘してしまうのだと思う(熱中症がとても心配)。

父ちゃん母ちゃんの、そんな気持ちを医師が汲み取り、その上で声をかけてくれたら、地域の住民としてはとても心強い。だからこそぼくは、医学生たちにこのまちを、この通りを、畑の前を歩いて欲しいと思う。そんなぼくの気持ちを受け取って、学生たちはスマホを傾け、笑顔を見せながら写真を撮る。ほら、やっぱりいい光景じゃないか。

竹やぶでパシャリと記念撮影!

見ている景色の、違いを感じる

久保地区の一角にある「かしまホーム」という活動拠点に戻ると、ノートパソコンに写真を送ってもらい、それをスクリーンに投影しながら語り合う。学生たちは少し恥ずかしそうに、この光景が鹿島っぽいなと思いましたとか、この建物の形が気になりましたとか、山が美しくて撮りましたとか、1枚1枚の写真の「背景」を話してくれる。

同じ場所を歩いているのに。同じ風景を見ているはずなのに。撮られた写真はみんなそれぞれちがう。写真を見たときに湧き出る感情も異なれば、写真について語る言葉も同じではない。そう、みんな同じ場所を歩いているのに、ちがう風景を見ているのだ。

自分にはこれが見えているのに、別の誰かはそれが視界にすら入っていない。とすれば、人はそれぞれ同じ風景を見ているようで、違う世界に生きているとも言える。いわゆる「環世界」というやつ。そう、ぼくたちはまちを歩いて、写真をシェアし合うことで、目の前にいる人たちが紛れもない「他者」であるということを知るのだ。

このとき、いわゆる「正しさ」のようなものは宙に浮いている。「このプログラムではこれを学べ!」という目的もあやふやで、そもそもみんな写真家でもない。「こう撮るべき」だなんて正解が示されることもない。学んだことがどう実際の医療の現場で生きてくるのかもよくわからない。つまり、謎の漂流の時間だと言っていいだろう。

医学生が撮影した写真についてコメントする筆者

学生たちにとって、少し戸惑いを覚える時間になるかもしれない。答えがなく、簡単に「これだ」という結論も出ないからだ。だがその戸惑いこそ、ここで感じてもらいたいことの大事なひとつ。「この時間、どんな意味があるんだよ」と言わんばかりにムスッとしている学生を見ると、ぼくは思わずうれしくなってしまうのである。

じつは彼らは、この場所に「地域医療実習」を受けに来ている学生たち。彼らを受け入れているのがかしま病院である。だから正しく言えば、彼らはかしま病院に「地域医療実習」を受けに来ていて、そのプログラムのひとつに、まち歩きが組み込まれているということなのだ。

驚くなかれ。このまち歩きは、かしま病院のれっきとした「地域医療実習プログラム」なのである。歩いてるだけなのに!

その人も地域も、まるごと診る

「学生たちに、地域を診る体験を届けてほしいんです」。

かしま病院の渡邉聡子先生からそう声をかけられたのは、今からもう1年以上前になるだろうか。

かしま病院は以前から医学生たちの地域医療実習を受け入れていたが、聡子先生は、その学びの時間を、できるだけ「病院の外で」提供したいと考えていた。地域の特性、文化的歴史的背景、暮らしぶりなども含めて学ぶことが大切だという思いが根底にあったようだ。

現役の家庭医、聡子先生

かしま病院は、もともと立ち上げ時期から「地域医療」の拠点だった。そこに暮らす人たちの、風邪も怪我も、認知症の方も、終末期の患者も、健康指導も健康診断もまとめて・まるごと診てきた病院である。爺ちゃん婆ちゃんの代から孫の代まで三世代まとめて面倒をみてきた、なんてことも少なくないらしい。

かしま病院において、この「まるごと」は、地域のみならず「個人」にも当てはめられる。かしま病院では、症状だけを診るのではなく、患者個人の家族構成、人間関係、生活環境やライフスタイル、つまりその人の「背後」にあるものも含めて、まるごと診断することに重きが置かれている。これこそまさに、かしま病院の理念そのものだ。

人をまるごと診る。それを「全人的医療」というそうだ。とてもおもしろい。そして、とても共感できる。なぜなら、その人のある症状を、その人の背景、地域性やライフスタイルにまで射程を広げて捉えようというのは、ぼくたちがやってきた「取材」ととても似ていると思うからだ。

地域づくり的なプロジェクトに関わるときにも、背景を読み解くことは重要だ。ある地域課題が、まちの歴史や産業構造、文化的な背景が関係していた、なんてことはよくあるし、たいてい、そういう背景にこそ地域課題の病理が隠されているもの。だからこそ、すぐには治癒できないものになっているわけだけれど。

まち歩きと医療の、不思議な出会い

切り離せない、人と地域

以前、いわきの地域包括ケアを取り扱う「igoku」というメディアに関わっていたころ、「いわきの健康課題」の話をよく聞いた。いわき市民は全国平均に比べて脳卒中や心筋梗塞など「血管系」の疾患が多いという。理由はさまざまあるが、とにかくしょっぱいもの、脂っこいものを食べる人が多いのだそうだ。ぼくにも思い当たる節しかない。

いわき市はかつて炭鉱の町として栄えた。特に常磐地区の炭鉱の坑内は温度が高く熱中症になりやすかったことから、坑夫たちは塩分補給のためしょっぱい漬物を持ち込んでいたそうだ。炭鉱業が衰退したのち、いわきでは製造業や建設業が盛んになり、工業団地が各地に作られたが、ライフスタイルは大きくは変わらない。

身体を使って仕事をしていれば汗をかくし腹も減る。どうしたってしょっぱいものを食べたくなる。市内の食堂は、そういう客のニーズに応えなければいけないから、自然とラーメンは大盛りになり、半チャーハンは「半」の概念を超えるしかなくなる。そういう食堂で食べ、ぼくもデカくなった。

だが、いわき市民の健康意識が高いわけではなく、なにごとも「しゃあんめ!」「大丈夫だっぺ!」で乗り越えてきた。自らの不健康を放置し、薬も飲まず、医者のいうこともほとんど聞かない。気づくと重症化して病院に担ぎ込まれてきた、なんて人も少なくないようだ。

地域の話も、医学生たちと数多く重ねてきている

人は、ポジティブな側面でも、ネガティブな側面でも、その地域から影響を受ける。その意味で、地域というものは、だれかの「その人らしさ」に、好むと好まざるとに関わらず影響してしまうのである。

そこに海がある。山がある。酒があって地域の食があり、水と空気がある。そしてそれを愛する。地域への愛着や人間関係は、「その人らしさ」や「ウェルビーイング」を支えているということだ。

原発事故でふるさとから離れざるを得なかった人が起こしている生業訴訟という裁判がある。その訴状で、こんなことが指摘されている。ふるさとというのは、ある特定のエリアを指す概念ではなく、そこで過ごした思い出や人間関係、自然に対する愛着、生業などの「総体」を言うのであって、ふるさとを傷つけられた状態というのは「その人らしさ」や「尊厳」が傷つけられていることに他ならないと。

原発事故で失ってみて初めて、ぼくたちは、そこに暮らす人たちにとって「ふるさと」がいかに大切なものか気付かされた。あの海が見えなくちゃ、あの山が見えなくちゃ、あそこの山菜を摘んで食べられなくちゃ、自分らしく生きられない、ということなのだ。高齢の人たちはきっと余計にそう感じるだろう。

目の前の景色が、自分をかたちづくっている

つまり、その地域らしさが、そこで暮らす人たちのウェルビーイングを支えもすれば、負の影響を与えることもあるということであり、人をまるごと診るには、その人の背後にある地域も含めて考える必要があるし、地域を知るうちに、そこで暮らす人たちの症状の特性や要因が見えることもある。「人を診ること」と「地域を診ること」は、つながっているということだ。

聡子先生から声をかけられたとき、そうか、人を診ることと地域を診ることがつながっているのだとしたら、地域をフィールドに活動してきたぼくたちのノウハウは、かしま病院で地域医療を学ぶ学生たちの、なんらかの学びになるかもしれないと思えた。そうしてこのプログラムが始まり、今に至る。

漂流し、アングルをシフトする

プログラムで大事なことは、課題を課題として捉えないということ。つまりネガティブなものをネガティブなものとして捉えないということだと思う。

この地域のここが変だな、こんなのおかしい、クソだ、という「善悪を判断する方向」に進むのではなく、「へえ、そうなんだ」という方向でおもしろがってみる方向に進むのだ。あえて、スイッチを入れて、演じるようにしながら、「おもしろがってみる」のである。

アングルをシフトするための「まち歩き」

久保のまちを歩くとき、「なんだよ田んぼしかねえじゃん」と思って歩くのと、「おもしろいものを撮ってやる」と思って歩くのでは、視界に入るものはちがってくる。大袈裟にいうと、そのスイッチひとつで「今までと見ている景色が変わる」のである。

そしてもうひとつ。そこで流れる時間に、そのまま乗ってみる、ということも大事だ。これはこれをする時間、これはこういう目的を持った時間、というように、ぼくたちはそこで過ごす時間に意味や目的を見出そうとする。そして、そこでふさわしい成果を出そうとする。先が見えないことに不安になるからだ。

けれど、地域に出てみると、予想通りに動かないことは日常茶飯事。ご高齢のじいちゃんばあちゃんに話を聞けば1時間では帰れない。そもそも地域の人たちは「学術知」のようなもので駆動しているわけではないし、学校で勉強していること、本に書いてあることが通用しないことも多い。だからまずは一緒に流れてみて欲しい。

地域の方々が大切にされてきたものを感じ取る瞬間

一緒に流れてみる。よくわからないけどおもしろがってみる。その地域で流れる時間に没入してみる。意味や成果など忘れて、目の前のミッションに全集中する。そういうタイプの学びは、なかなか大学や病院では難しい。だからこそ、この「いとち」の時間で、1時間でも2時間でもつくることができたらいい。そう思いながら、プログラムも日々改良を重ねてきた。

コントロールできない。どこかにエラーが起きる。セオリーが通用しない。そういうことが起こるのが人だ。その意味で、いとちのワークで体験する時間というは、いつもとちがう回路で「人を感じる時間」なのだと言えるかもしれない。そう、いつもとちがう回路で。

謎の学びのフィールド、いわき

この「いとちプロジェクト」が始まるまで、ぼくは、医師というのは病院で偉そうにしているもので、病院の外では、ぼくらのような一般の市民になかなか声をかけてくれる人たちではない、と思っていた。

ところが、かしま病院はちがった。なにか一緒にやりましょうと声をかけてくれるだけでなく、空いていた古い介護施設を開放し、リノベーションして地域のコミュニティスペースにしてしまった。そして、そこを地域医療実習の拠点にしてしまった。病院で最も偉いとされる理事長も院長も、フラッと飲み会にやってきておしゃべりにつきあってくれる。

事務や広報に関わるみなさんも集まり、医療の担い手と地域の担い手がコラボし、地域にふさわしい医療のあり方を考えようと、この「いとちプロジェクト」が始まった。まち歩きが行われたり、ワークショップが開かれたりと活動が広がり、ぼくも、学生たちの伴走者として関わるようになった。学びの機会は、ぼくにも開かれていたということだ。

医と地をみんなで学び、みんなで感じる

いわき市は、度重なる災害を経験し、「命」や「暮らし」に対して敏感になった人たちが多いように感じる。震災直後から今まで地域活動を続けている人たち、医療や福祉の現場で独自の取り組みをする人たち、課題が大きいからこそ突き抜けてしまった人たちが、あちこちにいる。彼らの言葉に耳を傾けることもまた、大きな学びになるだろう。

人も地域も、おもしろがってみる。その端緒を、ぜひこのいわきで、かしまで、一人でも多くの若い医療人に掴んでもらえたらうれしい。

(いとちプロジェクト・ディレクター 小松理虔)


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