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発達障害者支援センター勤務時代①

私は、大学院を修了した後、発達障害者支援センターというところで9年間勤務をしておりました。

発達障害者支援センターで9年勤めたことのある人は結構いないんです。
私は、この経験がすごく自分の中で誇りだなと思っています。

■とにかく、若かった私。

勤務し始めた当時、私は25歳になる年でした。
まだ若かったので、保護者の方が全員年上だったんですね。

発達障害者支援センターは、都道府県とか市町村などによって、
役割が違うんですけれど、私が勤めていた発達障害者支援センターは、元々都道府県の建物の一室をセンターにしてしまおうという構想で作られたものだったんです。

その母体の施設(附置施設)というのが、肢体不自由のお子さんの施設でした。
車いすに乗ったのお子さんや、身体障害に知的障害などを併せ持っているお子さんたちがいる施設の中に、発達障害者支援センターというものがあり、そこで働いていました。

その母体の肢体不自由児施設には、入所もあるし通所もあるし通園もあるし外来もあるし、お隣には肢体不自由の特別支援学校もあるし…というような感じでした。

ですので、発達障害のお子さんだけでなく、車いすのお子さんとか肢体不自由のお子さんとも、慣れ親しんでお仕事をさせてもらっていました。

発達障害者支援センターでのお仕事は、
心理職なので、基本的に発達検査を取らせていただいてフィードバックをするお仕事や電話相談とか、あとは研修の講師だったりグループワークのファシリテーターのような、そんなような仕事がメインでした。

都道府県の機関だったので、いろんな市町村に出向いて指導をしたりとか講座を開いたりという立ち位置で振る舞わせてもらって、
身分不相応感というか…🙄

能力的にも対応しきれる範囲というのがまだまだキャパが小さかったので、そういうことに思い悩みながら、まず最初の3年間勤めました。
そして、3年目の年度末に私は結婚しました💒

■結婚して、さらに多忙に…

結婚した後も、そこでしばらくお仕事をするわけなんですけれども、家庭と仕事の両立が、不器用な私にとっては大きな課題でした。

当時、家に帰ってくるのが夜20時とか21時とか、そんな生活をしておりました。ちなみに、朝は8時半には行かなきゃいけないんですよね。

相談業務とかそういうのがいろいろ終わるのが、大体17時〜17時半とかそんな感じで、そこから所見を書き始めたりなど、落ち着いて仕事ができるみたいなそんな感じなんですよね。
学校の先生もかなり近いものがあると思うんですけど、
子どもたちが帰った後からが仕事の本番みたいな感じで、研修のパワーポイント作ったりとか所見書いたりとか…そういう仕事が始まります。


帰ってご飯作ってお風呂入れて、お風呂掃除して…。
当時は夜、洗濯物干していたので、その後、洗濯物干してなんてやってたら新婚生活なのに全然楽しくなくて、この生活いつまで続くんだろうっていう。
どうしたら、この生活から抜け出せるんだろうと、思い悩んだ時期もありました。

29歳ぐらいのときが一番私の中では、ピークの大変な時期でした。
仕事もしんどい、家庭もしんどい、子どもができなかったので、
そのしんどさもあり。
そういう三重苦の生活を送り、「暗黒期」でしたね。
30歳になり、少しずつ自分をケアしながら、働いていくことを覚え始め、自分の力で、環境を変えようと思い、33歳のときに、9年間勤めた発達障害者支援センターを辞めることにしました。

■暗黒期に体験した、移転業務

着任した当時は子どもの支援が多かったんですけど、途中で実は移転業務というのも加わって。
通常業務+建物移転に関連した業務をしていました。

元々の母体の施設が肢体不自由児の施設だったので大人の方が相談に行きにくいよねっていうことで途中から建物がお引っ越しになったんですよね。
建物を建てるとかお引っ越しするとか、引っ越しした後の仕組みを整えるという、大人の方がより相談しやすくなるようにっていうような業務もやらせてもらって。
私としては、職場は変わってないんですけど、建物変わってるし移転業務を経験してるので、いろんな業務を経験させていただけたなっていうふうに思います。


今の私はずっと同じことをやり続けるのって進歩がなくて嫌だなって思っちゃったりとか、挑戦していたいなって思うんですけど、昔はそういう自分の特性に気づいていなくて、1ヶ所でそこそこ頑張ることが良いことだと思っていました。

■自分の強みを見つけることができた

でも、今振り返ると自分のこのキャリアっていうのは決して無駄ではなくて頑張って積み上げてきてよかったなと思いますし、
発達障害のある方の、子どもから大人までの成長過程をしっかり知れたのは、私にとってはすごく財産になってるなと思います。

学生時代のボランティアで最初に関わった
当時の診断名でアスペルガーの男の子がいて、当時は小学校4年生だったんですけど、今もういくつなんだろう・・・20代後半ぐらいなのかな?
その子が、障害者雇用でお仕事立派にされてるんですよね。

当時、子どもだった子が、どんな大人になるのか、経験的に知っている。
これほど、大きな財産はないと思っています。

スペシャリスト≠視野が狭いではないと私は思っています。
その時期のことだけしか見えてないと、今必要な支援とか助言も、変わってくるなぁと思っていてます。


私が社会人になって9年間勤めたその職場にいたときは離婚してないんですよ。次の大学に着任してからそういうことが起きてくるわけなんですけど。
ということで9年間務めた発達障害者支援センターについて今日お話をしてみました。
そして2月22日に無料のZOOMセミナーを行います。
これは私が発達障害者支援センターで勤務をしていた時代に、いろいろな事業所、療育の関係機関や就労の関係機関とか、いろんな事業所を見させていただく機会がありました。
それ以降のキャリアでも、たくさん事業所の方と関わらせていただいてるんですけど、発達障害のあるお子さんとか、様々な障害のあるお子さんがどんな福祉サービスを利用しているかをあまり知らない方もいらっしゃるなと思って。
障害のある子のことだから別に知らなくてもいいとか、特別なことだから別に知らなくてもいいっていうことじゃなくて、
「当たり前に知っている」っていうことが、当たり前になるといいなと思っているので、今回、無料セミナーを企画しました。
私の公式LINEに登録していただけるとセミナーのリンクが送られてきます。

「あんまり興味ないな」とか、「ぶっちゃけ自分とは遠い世界の話だな」と思う方でも、一度聞いていただけると嬉しいです☺



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