見出し画像

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで、やっぱり複業の人になるぞと決意しました

伊藤麻子です。

話題の本を読みました。

久々に一冊の本を読み切った気がします。
なぜなら最近、働きすぎて本が読めなくなっていたから。
この本の言う通りです。

この本、とても面白かったです。
いやいや面白かったなんてもんではない。

特に結論にはとても共感しました。
ちょっと泣いちゃいそうなくらい、私にとっては心にくるものがありました。

仕事以外の文脈としての読書


この本では、労働の時間と、余暇などその他の時間のバランスについて、歴史を振り返ったり、現代を分析したりしています。

そして現代の働く人たちの多くが、なぜスマホでゲームはできて、読書はできないのかという理由を、労働に対する価値観や心理状態という側面から説明しています。

自分から遠く離れた文脈に触れること―それが読書なのである。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.234

忙しく働いている日々では、仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなってしまう。これは本当に身をもって経験していることでした。

私は普段から、本を読むことが半分仕事のようなものなので、忙しくて本が読めないという状態とは少し違うと思いますが、読んでいる本のジャンルがかなり限られているという自覚があります。

仕事に関連する本しか読んでいない。仕事に関わることで、知りたいことがありすぎて、読みたい本がありすぎる。
なので、小説やエッセイや漫画などを読む時間がないと感じています。
(でもInstagramを見る時間はある)

こうした「仕事や自己実現につながる本ばかり読んでいるという状態」についても、この本で理由が語られています。
「ああ私のことや…」と説明された気がして面白かったです。

他者や違う世界観への想像力って大切


小説やエッセイなど、別に読まなくてもよくないか?という考えもあるかもしれませんが、私はもっと読みたいなという気持ちがあります。

小説やエッセイの本は、シンプルに癒されます。
短歌集とかも良いですよね。読みたい。
(でも読めない。時間がない。Instagramは見る。)

でもそれだけでなく、小説やエッセイによってまったく自分とは違う価値観を持った人間の人生をのぞき見したり疑似体験するというのは、本当に大切な機会だと思うのです。

そうしたことから得られる、「他者が見ている世界への想像力」というのは、私の中で長いこと大きなテーマになっています。

社会で起こる色々なミスコミュニケーションや、心無い批判、偏見などは、他者への想像力の足りなさによるものなのかなとずっと考えています。

私自身が日常で他者に対して、なんで?と思うことも、やっぱり自分の想像力の足りなさなのではと思ったりします。

そしてこの他者への想像力という話は、この本の結論にもつながっている気がして、そこが私にとっては胸が熱くなるポイントでした。

全身全霊をやめてみるという提案

働きながら本を読める社会をつくるために。
半身で働こう。それが可能な社会にしよう。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか p.266

本文にもたしかそう書いてありましたが、筆者の主張は「本を読むという行為」に限定されるものではありません。ある人にとっては、働きながら絵を描くことかもしれないし、もしくは働きながら家族の面倒をみることかもしれない。

どんなことであれ、ひとつのことに全身全霊でコミットすることの危うさに気づいて、変えていこうという呼びかけなのだと思います。

そして働きかたについては「半身労働社会」として、「週3日勤務、兼業、持続可能、ジェンダーフリー」などのキーワードが挙げられています。

この兼業の部分が、「そうなのよ」と激しく共感したところでした。

「一億総掛け持ち社会」という妄想


ここからは本の話からは離れて、単なる私の妄想の話です。

私は数年前から、

「社会人の全員が、2つ以上の仕事を掛け持ちするような世界だったら、もっと優しい人が増えるんじゃないかな」

と、漠然とした妄想をしています。

これは「他者への想像力」という話にもつながっています。

例えばコンビニの店員とシステムエンジニアとか、まったく違う視点の仕事を誰もが日頃から掛け持ちしていれば、もっといろんな想像力が働いて、人の仕事のミスを安易に糾弾するような風潮は無くなるんじゃないかなという妄想です。

あとは、短時間だけ勤務したり、週の2日しか出勤してなかったり、みたいな、そういう働き方がお互いに当たり前だったらよくないか?という願望です。

この本にもあったように、こうした働きかたは、コミュニケーションの複雑さが増しますし、働く側にしても、雇う側にしても、詳しく考えるほど不可能に感じます。

それでも、もし大昔からこれが当たり前のことだったら?全く違う社会の前提があったら?と、妄想したり。自分ひとりとその周りくらいなら、できるのかも、と考えてみたりします。

そしてこれは私自身が、複業・兼業をする人になろうと思った理由のひとつです。

さらに私が中小企業診断士という、経営のことを考え、実践する仕事をしようと思ったのも、全身全霊以外の働きかたを探りたい、既に実践している人が居るなら出会いたい、それを求めてる人が他にも居るならばそういう場を作ってみたいという思いがあったからでした。

半身で働く自分を受け入れたい


とはいえ、わたしひとりというレベルでも、やっぱり本業を「半身」にしていったり、バランスを変えていくことはとっても難しい。

心情的にどうしたってもっとコミットしたくなってしまう。全身全霊というデフォルト設定から到底抜け出せない。

でもこの本を読んで、「やっぱりそういうことが社会をよくしていくよね」と背中を押された気がします。

なのでこれからも、複業の人という働き方を、自分なりに実験していこうと思います。

素晴らしい本に出会えました。
熱く紹介して、私の潜在意識レベルに「読めよ」と訴えかけてくれたInstagramの本紹介アカウントの皆さんにも感謝です。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?