見出し画像

自己否定で人間不信に陥った私を救ったもの

上杉、新たな出会いに心が躍る!?

「楽しかったって顔に書いてある」と夫にツッコまれ、ドキッとしました。

ふぅー、あぶないあぶない。

若い子にトキめいたことがバレたら、修羅場になってしまうわ・・・


いや、ならんか。

だって、女の子なんだから。


***

何時であっても、こんにちは。
大阪・兵庫で活動するファッションセラピストの上杉いとです。

新しい出会いはドキドキわくわくしますよね。

自己否定が強かったときは、人間関係を広げようとは思いもしませんでした。

自己否定をしない現在は、新しい出会いカモン!!人が大好き!来るもの拒まず!!

………いや、そこまでではないけど、、、

なんなら、けっこう選んじゃうけど、、、

それでもまぁ、人は好きです。

自己否定すると人間不信に陥る


過去の話ですが、自己否定していたときは人間不信に陥っていたので、はじめましての方はまず疑いの目で見てました。

この人もわたしを否定してくる敵なんじゃないか?とはなから疑いをかけるわけです。

自分は好かれるような人間じゃないと常に自己否定をしているので、周囲の人もそうだろうと不信感を抱いていたんですね。

自己否定が強く人間不信になってはいましたが、社交性はあったので、子どものころから友人はそれなりにいました。

ですが、どれだけ友人がいても、わたしの心は満たされませんでした。
むしろ、友人がいるからこそ、自己否定と人間不信のツラさをより感じていました。

自分が自己否定しているとまだ気づいていなかったとき、自分は嫌われている、好かれるわけがないと思い込んでいたので、どれだけやさしくされても、「心のなかでは嫌々やってるんだろうな…」と疑ったり、ちょっとした言動に「やっぱりわたしのこと嫌いなんだ」と落ち込んでしまうんですね。

親しい友人ですらこうなので、ただの知り合い、クラスメイトレベルであれば人間不信が常時発動して、不信感を募らせてました。

高校1年のとき、中間テストで総合16位になったことがありました。わたしは、進学クラスでもなくただの普通クラス。
それまでは順位が気になる程いい成績をおさめていなかったので、嬉しそうに話す担任を見て、(こんなに喜んでもらえるんだ)とわたしまで嬉しくなりました。

母はどんなにいい成績をおさめても褒めてはくれなかったので、また褒められたい一心で勉強して・・・

結果、期末で総合4位。

このときばかりは自己否定もせず、自分の努力を認めました。
担任も大喜びで、がんばった甲斐あったなぁと滅多にない喜びを噛みしめました。

下校のときに寮で部屋が近い進学クラスの子に会いました。(寮生でした)
会えば普通に話す程度の仲、ムシするわけにもいかず、なんとなく一緒に帰る流れに。

たわいない会話をしていると、そういえば…と期末テストの話題をふられました。
はじめは、数学難しくなかった?とかそんな話だったと思うんですが、最終的に言われたのは「また次も狙ってんの?」でした。

今回はたまたま、本当に奇跡的な順位だったと思っていたので、威圧的な態度にショックを受けました。

悲しい…そう思うだけではないのが自己否定&人間不信のわたし。

やっぱりわたしは嫌われてるんだ。
この子と同じように、みんなも心のなかでは調子に乗るなとか悪く思ってるんだ…。

また自己否定して傷つき、仲のいい子や先生までもきっとそう思っていると疑って、人間不信はさらに強まっていきました。

嫉妬心が理解できず、さらに人間不信へ


また、学生あるあるですが、特定の男子と話していると、あの男子が好きなんでしょ!?と決めつけられることがあります。
からかわれるだけなら、あるあるとして受け流せるのですが、中には嫉妬してキツく当たってくる子もいます。

わたしは男子と話すことも多かったので、それが原因でキツく当たられたり、陰で悪口を言われるなんてことはよくあり、それが余計に人間不信を強める原因の1つにもなっていました。

男子は女子と違って、共感を求めることが少なく目的志向の会話が多いので、この人は本当はどう思っているんだろう…と人間不信が発動しにくく、気楽に感じて積極的に話しかけていたのが、一部の女子に反感を買ってしまってたんですね。

わたしの世界は親がすべてだったので、高校生になっても親に愛されたいということしか頭になく、恋愛は特に興味なし、好きな人ができても付き合うなんて考えられないくらいお子ちゃまでした。(恥ずかしい…)

だから、他人に嫉妬する感情がまったくわからなくて、自分の存在が人を不快にさせてしまうんだと自己否定して、仲良くしていてもいつ攻撃されるかわからないから人は信じてはいけないと、キツく当たられるたびに人間不信に陥ってました。

きっかけはビジネスライクなお付き合い


社会人は感情だけで人間関係を作れませんが、わたしにとっては余計なことを考えずに済むとかえってラクになりました。
ビジネスライクなら、裏切られてショックを受けるほどの関係にもならないだろう…とわりきって付き合えると考えたんですね。

それに、会社では結果を出せば否定されることもなく褒めてもらえるので、仕事中は自己否定することが減ったのも大きいのかもしれません。

昔、よく飲みに行く先輩♂がいたんですが、先輩の知り合いに、友だち?と聞かれたので、「いいえ、違います(後輩です)」と答えたら、先輩に「えっ」とものすごく驚かれたことがあります。

どれだけ会社の外で会おうとも、あくまでも職場の先輩後輩の関係。
そう線引き(境界線を引く)していたので、まさかそれで相手を傷つけるとは思ってもみませんでしたが(ひどいw)、この線引きは今でも大事にしていて、相手との距離感を保つのにとても役立っています。


人間不信を克服したその方法とは・・・


自己否定も人間不信も強かったわたしですが、相手と心の距離を意識的に線引きするようになってからは、傷つくような言動をしてくる人に対しては一緒にいてもなんの生産性もないと躊躇なく離れられ、親しくなりたいと思える人にはオープンに振る舞って、わたしもあなたに近づきたいとアピールできるようになりました。

人間不信でいると、相手になかなかオープンになれないし、相手がもう少し親しくしたいなと思ってくれたときに、自分もそうしたい気持ちはあってもつい疑って、差し伸べられた手を振り払ってしまいます。
そんな自分を心から信用して親しくしてくれる人はどれだけいるでしょうか。
大抵の人はあきらめて離れていきます。

信用したい・信用されたいと思える人とは、お互いに気持ちのいいと思える距離に立てる場所を探し、信用したくもされなくてもいいと思う人には近づかない、近づけさせない。これを意識するようになったら、いつの間にやら人間不信を克服してました。

それまでは、この人もわたしを嫌うんだろうなとか、わたしがいたら不快にさせるんだろうなとか勝手に思っては自己否定して落ち込み、信頼されてないと感じると、やっぱり・・・と人間不信に陥ってましたが、心の境界線を引くと、相手と親しくなるためにできること、お互いに心地のよい関係になるにはどうしたらいいか?
この思考でいっぱいになるので、嫌われるかも…といった人間不信の特徴である、人を疑う気持ちは自然と減っていきました。

この人と信頼しあえる関係になりたいという気持ちを大事にし、それを実行することで自分の心がオープンになり、相手もまた信頼をよせてくれると、わたしを大事に思ってくれる人がいるんだと、だんだん人を信じられるようになっていったんですね。


あなたも境界線を引いてみよう


境界線?心の線引き?どうやるの?と思われたあなた。
わたしは専門家でもなんでもないので、今からお伝えする考え方は、あくまでも自己否定克服の1つのケースとしてこういう方法もあるんだな〜くらいの感覚で読み進めてください。


では、休日に自宅の一番落ち着く場所にいるときを想像してみましょう。

自宅の落ち着く場所でくつろいでいると、会えばあいさつする程度の知人から電話がかかってきました。

「一緒にご飯でもどう?家にいるならそっちに行くよ!」

寝巻き姿で今日は一日中ゴロゴロするぞ!という気分のときに、そこまで親しく感じてない人を家に招きたいと思えますか?
特別親しくもなくかといって仲が悪くもない微妙な関係なら、同性であっても2人きりになることに躊躇するでしょう。

適当に断ると、今度は親しくしている友人から電話がかかってきました。

「ちょっと聞いてほしいことがあって…。今から家に行ってもいいかな?」

この場合なら、もちろん!すぐにでもおいでよ!と返事したくなりませんか?
親しい友人と自分が思っている人であれば、頼りにされている、嬉しい!そういった気持ちになりますよね。こんな些細な気持ちに気づくことが自己否定克服のチャンスになります。

自宅は自分の心の許容範囲。
招き入れたい相手は、あなたが信用してる(信用したい)人です。

自宅には部屋が複数あって、リビングには入っていいけど、片付いてない他の部屋には入ってほしくない。
他の部屋いいけど寝室だけは入ってほしくないなど、人によって入ってもいいと思える部屋は変わりますよね。

全く気にしないという人は、自分が極力見られたくないと思うものを見せてもいいと思えるかどうか、見せるとしたら、どこまでなら見せられるかといった境界線をイメージしていただければ。

大抵の人は、嫌いな人、そう親しくない人に自分のすべてをさらけ出したいとは思わないでしょう。
人間不信の人であれば、弱みを知られたらどうなってしまうか…考えるだけで恐ろしくなってしまいますよね。

わたしの場合は境界線を引くことで、相手をどこまで引き入れるか、相手はどこまで望んでいるかを意識的に考えられるようになり、その結果として人間不信の解消、さらには、自己肯定にもつながる効果がありました。(もちろん、それだけで自己否定はなくなりませんが)

心の境界線(バウンダリー)を引くことは、心理学において対人関係のストレスを減らす有効な方法であると言われていますので、ぜひ取り入れてみてくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?