父のこと

難病のため、自由に動けない、ということに向き合っている父。

体は不自由であるけれども、
心と精神は何も変わらない。

毎日少しずつ少しずつ、体の動きと筋肉の力が少なくなっていることを感じている。それがどういうことなのか、私は想像してみる。怖れと寂しさと。

私もこの1年間のあいだに、手術の傷の痛みで体の動きが制限されるという経験を、人生で初めてした。
経験値として自分の生き方にプラスになっていると思いたいけれど、まだそんな気持ちの余裕もなく。
数年のウイルス禍に加え、身体の不自由さは私からたくさんにものを奪ってしまったように感じてしまっている。


父にことに話を戻そう。

友達が私に言ってくれた言葉がある。
「猫は居るだけで役に立つ」

その時はピンとこないというか、自分が駄目な人間だと責める気持ちが大きかったので、受け入れ難い考えだったのだけれど。
父を見ていると、わかるような気がしてくる

父の生活している様子。
動き難い状態でも人の助けを借りながら、寝起きや着替え、歯磨きや洗顔など日日の動作をきちんとしようとする
言葉が喋りにくくても、自分の考えや思いを伝わるように話すこと。話そうと努力すること。
時間がかかっても、自分の手でごはんを口に入れて少しずつ噛んで飲み込んでをしている。
お手洗いやリハビリなどで移動する時に、少しでもストレッチしたり筋力アップの動きを取り入れたり。
真面目過ぎてしんどいこともあるだろう。
時々、落ち込んだりイライラしたりしているのも、わかる。


お世話をしていると、痩せて動きもゆっくりになって、それでもそこに見えるのは間違いなく「働き者の手」なのだ。ゴツゴツしてシワだらけで、一生懸命に動く手。
父のこれまでの、そして今の生き様が、私に何かを教えてくれていると感じるのだ。

声かけをする。万が一の時のために支える。必要なことがないか訊く。
「頼むわな」「頼りにしてるしな」
寝る前に「俺も出来るだけのことして頑張るから、よろしく頼むな」と言ってくれる。

一度夜中に、独りでうがいをしに洗面所まで行っているのを物音で気付いてびっくりしてとんでいった。
寝ている私や母を起こすのが悪いと思ったらしい。

私自身は寝付きや寝起きが良くなくて睡眠のお薬を使っている身だけれど。
かかっているクリニックの担当医と相談の上、介護をする夜は使わないようにしている。
時々、気持ちが不安定になったり用を足したりする時の、サポートをしたいのだ。


私自身、人生に迷い、体と心に向き合い、手探りの日々。
父の人生に寄り添う決心だけはしているのだ。





※昨年中頃に下書きを始めたものの投稿です。

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