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余談…謝罪に対し思ったこと

この記録は…

書いてモヤモヤとした思いを消化したい、
吐き出したいと思ったこと。

少し迷いながらも…記録する。


突然の贈り物


ある日、それは突然。

遊びに来ていた知人が、
私に“あるもの”を渡してきた。

“これ覚えてる?昔あなたの大事にしていた物で、私が壊してしまったものなんだ”

“悪いと思っていたんだ”

“今、これ復刻で売られていたの!
お返ししたいと思って!”

“あの時は、申し訳なかったね”


思い起こされる、記憶


そんなこと、すっかり忘れていた。

学生の頃の話だ。

その品は、昭和レトロと言わんばかりのデザインのされた入れ物。
(だからこそ、復刻されたのだろう)

少しずつ、蘇る記憶

…あぁ、そうだ。
これ、あの頃大事に使っていた入れ物だ。

どんどん蘇る、“負”の記憶


そうだ、そうだ。

あの時、それは“勝手に”使われたのだ。

壊されてしまった物だ。

そして、私は使えなくなった。

あの時、そう、怒りも覚えた。


でも、

自分は、

その黒い思いを随分と前に消化し終えた。

無事、忘れるに至っていたのだ。

…なのに。



その謝罪、誰のため?


時を超えて、“謝罪”という名目で
その記憶は掘り起こされた。

今現在、大人になった私は、
無論、そんな謝罪や物など、求めていない。

結果芽生えた気持ちは、

え?今更?
私、もうこれ、要らないのだけど…

しかし、

当の本人には、悪気はない。

むしろ、良いことをしている雰囲気もある。

もしかしたら、その商品の復刻を見つけ、
急いで購入してくれたのかもしれない。

…でも

当人の真相は不明だが、

これって、誰のための行動か?

これって、自己満足ではないのか?

少なくとも…私はそう捉えて
悶々としてしまった。


結論、自分も気をつけようと、一つ学んだ


“あぁ、あの時のあの態度はなかったな…”

わたしも、そんな思いに駆られることもある。


でも、

それを今謝って救われるのは?

謝った側の、当人だけかもしれない。

謝罪という、自己満足かもしれない。

大事なのは“その相手へどう伝えたいのか”

謝罪こそ、配慮が必要なのだと。

そして、

謝罪といえど、言わなくていいことも、
絶対にあるということ。


そんな出来事。


“あなた、この気持ちを、直接本人に伝えればいいじゃないか?”と思われそうだが、

良心を全面に出した笑顔に対し、
そのような言葉は、とても出せない自分…。
(感情を表す言葉も、直ぐには浮かばず)


そんな自分にも、とほほ…なのだ。

40も過ぎた女が、

悶々とし、

声にも出せず、

でも吐き出したいなと思った、

そんな記録である。

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