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神様の存在に感謝する

私の毎週のルーティンといえば近くにある多賀大社へのランニングだ。
片道5Kで往復10Kとランニングコースとしてちょうど良いのだ。

毎週日曜日には必ずランニングと週一回のお参りを兼ねてここを訪れている。おそらく多賀町の住民の方よりも多賀大社に訪れているのではないかというくらいにお多賀さん贔屓である。

実はこの多賀大社滋賀県では一の宮であり、全国的にもお多賀さんとして知られている。
古事記でこの世界初めての夫婦として有名な伊邪那岐神(イザナギ)と伊邪那美神(イザナミ)が祀られている神社である。
ちなみに伊勢神宮に祀られている天照大神(アマテラス)は伊邪那岐神と伊邪那美神の子供である。

なので多賀大社は伊勢神宮とつながりが深く「お伊勢参らばお多賀へ参れ。お伊勢お多賀の子でござる」という有名な言葉があるくらいである。

そんな由緒正しい神社に私はランニングを始めた2014年頃から毎週のように訪れ参拝している。我ながら本当に恵まれていると思う。


ただそんな私も一度だけお多賀さんに対して疑念を抱いたことがある。

それは忘れもしない前厄に入った歳のことである。
私は毎週参拝はしていたもののお祓いは受けたことがなかった。
だがご縁もあることだからとスーツを着てネクタイを締めて本殿に入れてもらい厄払いをしてもらった。

これで今年も安泰だとホッとして帰ってきて駐車場でまだ始めたばかりだったスケボーを練習していたら小石がウィール(車輪)に絡み顔からアスファルトに突っ込んで思い切り顔面にすり傷を負い前歯を一本折ってしまったのだ。
その時は流石に「お多賀さん、、なぜ、、」と思った。

しかしよくよく考えてみれば頭を打ったりなど命に関わるような傷ではなかったし、これ以降スケボーをする時には地面の小石には十分に注意するようになったし、何よりこんなことでコケたりしないように上手くなりたいという気持ちが芽生えて思い切り練習してそれがサーフィンの上達にも繋がりつつある。

まさに良いことづくしなのだ。
というより本当に物事はどう捉えるかで生き方は変わってくるということを身を以て教えてもらったように思うのだ。


そんな懐かしいエピソードを思い出しながら今朝もお多賀さんにお参りした。

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今朝のランニングで多賀大社を訪れた時には門松が立てられてすでに年明けの準備が万端という感じだった。

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社の前にはすでに初詣用の賽銭箱の拡大版(語彙)が設置されていてますます年末の様相を呈していた。
横に広がって参拝くださいとソーシャルディスタンスを促しているのが今年らしいと思った。

私は元来それほど信心深いタイプの人間ではない。しかし毎週のように顔を出して参拝させてもらえる「行きつけの神様」があることは本当に心強い。

今年も楽しく健康に過ごさせてもらったのはお多賀さんのおかげだと思っている。そのことについて感謝をして今日は今年最後の参拝を終えた。

来年も、そしてこれからもずっと私の心の支えであってもらえるとありがたいと思うのだ。

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