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#毎日noteの記録が途切れて改めて気づいたこと

実は先日ショックな出来事があった。

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ちょうど200回目の#毎日noteを投稿した次の日に毎日noteの記録が途絶えてしまったのだ。

ちょうどその日は3時に起きて海でサーフィンをしていた。
夕方に伊勢を去り自宅に帰宅して、ビールを飲みながらご飯を食べてから「さあ書くか」とnoteを開きその日の出来事をつらつらと書いていると急に眠気に襲われた。
なんとか眠い目をこすりながら書き終え、安心して布団に向かいそのまま泥のように眠った。

次の日PCを開くとなんと公開設定ボタンを押してはいたものの最後の公開ボタンが押せておらず投稿されていなかったのだ。
思わず「なーーー」と変な声を上げてしまった。

その日は結局朝にその記事の公開ボタンを押して仕事から帰ってからもう1記事書いたものの、noteからのお知らせは「30週連続投稿!」というなんとも微妙なコメントだった。
そして、昨日は「やった!3日連続投稿!」だった。これでは三日坊主ではないか。


私はこのnoteを始める前、はてなブログを書いていた。
今のように毎日投稿しているのではなく、週一回日曜日に3000字程度の割としっかり目に書いたブログを投稿していた。

割といいことを書いているので是非一度ご覧いただきたい。


このはてなブログは200回目を更新した後、まるで糸が切れたように全く更新しなくなってもう一年が経とうとしている。
完全に燃え尽きた感じになってしまったのだ。

ある程度いいことを書かねば、誰かの役に立つ有用な記事を書かなければというなんとなくのプレッシャーがあったのかもしれない。
200回の節目を迎えた後はブログを開く気にもなれなかったのだ。


しかし、今回のnoteは違う。
200回を超えたとしても、たとえ毎日投稿の連続記録が途絶えたとしても書くことへのモチベーションは全く下がっていないのだ。

これは私が「書きたい」と思って、自分の好きなように誰にも忖度することなくありのままの自分で書いているからなのだと思う。
以前の私ならちょっと記録が途切れると一気にモチベーションが下がる完璧主義的な部分があった。

しかし、今noteを綴っている心境は私のあたまの中そのもので、おそらく文字にして可視化して自分で読み返すのを自分自身が一番楽しんでいるのだと思う。


365日連続投稿を密かに狙っていたので残念なことに変わりはないが、かえって私がこのnoteにいかに愛着を感じていて自分の本能的な「スキ」の部分を体現しているのかを実感できたことは大きな収穫だ。


少しずつnoteでのフォロワーさんとの関係性も築けてきているようにも思うし、これからもちょっとずつ自分という人間臭さを出しながら綴っていこうと思う。

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