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ショートストーリー「おおきな買い物」



ミーンミンミンミン。ミー、
ミーンミンミンミン。ミー、
ミーンミンミンミン。ミー、

あちこちから聞こえてくる
蝉のざわめき。

中でも一際耳に付くその声は、
一定のリズムを保ち、
終わりなく繰り返される。

暑さと相まって、私の思考回路は
徐々に明瞭さを失っていく。


あ〜、暑いなぁ〜。
あ〜、……何だっけなぁ〜…
…まぁ、いっかぁ〜……



って、まてーぃ!!
今の私はそれに甘んじて
ベールに包まれた花嫁のような夢見心地に浸るわけにはいかないのだ!

今、決断しなければ。
そうしなければ手に入らない
幸せというのが、人生にはあるのだ。

決めなければ。どうするか。
そうしなければ、私はここから
一歩たりとも動けないのだ!!


「スイカ?」


振り返ると、
自転車に乗ったおばあちゃんが
巾着から財布を取り出していた。


「そうなんです」

「ふふふっ」


暑い暑い、とおばあちゃんは
まっすぐオクラに手を伸ばす。
えんじ色のがまぐち財布から取り出した100円玉を、会計箱にいれる。

チャリン。

可愛らしい音がした。


「割れないように
 持って帰らなきゃね〜」


ふふふっ、と柔らかく笑い、
自転車で、すいーっと去っていく。

ぽけーっと見送る私。



はっ!

そうだ。スイカだ。



***



状況の整理をしよう。


ここは、見渡す限り田畑に囲まれた
自然豊かな田舎町。

とまではいかないものの、
そこそこ自然が多い郊外。

都心では、5分も歩けば
3件は見つかるコンビニも、
15分歩いてやっと1軒
見つかるくらい。

代わりに、5分歩けば
必ず見つかるものがある。


無人の野菜直売所だ。


越してきた当初は、その存在に
なかなか気付かなかった。

と言うのも、野菜直売所の野菜は、
結構人気の上、品数が少なく
レアなものが多いのだ。


最寄駅へと向かう途中の道にある、
簡素な棚とひさしは目に入っていた。

しかし、朝の出勤時には
まだ品物が陳列されておらず、
夕刻の帰宅時は全て売り切れ。

まさに幻の存在と化していたのだ。


そんな野菜様に初めて
お目にかかれたのは、
歯医者の帰り道だった。

何が悲しくて休日に
わざわざ着替えて化粧をし
歯医者に行かねばならないのだ
しかも午前中から。

と腐り切っていた私の目に、
色とりどりの野菜が
飛び込んできた。

真っ赤に熟れたトマトや、
鮮やかなグリーンのピーマン。
茄子の艶肌はうっとりするような
漆黒に近い紫だ。
スーパーでは完全スルーの茗荷も、
ここに並べば立派なエースに見える。

試しに買ってみたきゅうりを
一口齧った時の感動は忘れられない。

味が濃いのである。

味噌もつけずにそのままポリポリと
1本食べ切ってしまった。


それからはすっかり、
野菜直売所の虜になった。



そして本日。

いつものように訪れた私を
待っていたのが、
夏の風物詩、スイカである。


目の前には、
大、中、小のスイカが
所狭しと並んでおり、

それぞれ、
700円、500円、300円の
値札シールが貼られている。


私の長財布には、小銭が潤沢にある。

これはもう、買うしかなかろう。


問題は、サイズである。

小玉は少し、物足りない。
しかし大玉は、いくら私でも
食べ切れるか心配である。
スイカってどのくらい
日持ちするもん?
かと言って、ここで中玉を
選択するのはあまりにも
ありきたりじゃないか?
という謎のチャレンジ精神。


うーん。えいっ!

チャリン
チャリン
チャリン
チャリン
チャリン
チャリン
チャリン。


軽くなった財布を鞄に収め、
大玉スイカを両手に抱えた。

お、重い…!
これが大玉スイカの重さかっ!
二の腕ダイエットにもってこいだぜ!

と謎にテンションを上げつつ、
よたよたと家路を急ぐ。



***



「このスイカ、どうしたの?」

「買ったの。野菜屋さんで」

「よく持って来れたね」

「鍛冶場の馬鹿力ね」

「……どんな状況?笑」



帰宅した旦那様と夕食を終え、
いざ、実食である。


まずは、半分にカット。

ヘタのあった部分に
包丁の先端を突き刺す。

柄を握った腕をぐいっと下げれば、
若干のパリンという亀裂音と共に
すーっと1本の切れ目が入る。

続いて、スイカを
くるっと180度回転。
反対側も同様にカット。


パカーっと割れたスイカの
まぁ〜綺麗なこと!!


真っ赤な果肉からは甘い香りと
勿体無いほどの果汁が流れ出す。

メロンのように
真ん中にポケットがあれば
ストローを刺して
是非とも一気飲みしたい。


続いて、食べやすい大きさに切り分け
皮を剥く。

ここでポイントがある。
皮は、ケチケチせずに思い切って
厚めにカットすること!

後ほど、外側の濃い緑の皮を削ぎ
煮物にするとそこそこイケるのだ。


切り分けたスイカは
保存容器には到底入り切らない。

我が家にある
1番大きなボールに入れるも、
漫画のご飯茶碗さながらの
もりっと具合だ。


残りの半分は切り口に
ラップをかけて冷蔵庫へ。

ボールのスイカは
そのまま食卓へ。


いざ、スイカ祭りだ〜!


「いただきまーす」


シャリ。
シャリ。


「うん。甘い!」

「瑞々しいし、味も濃いね〜。
 さすが直売所」


もうひとつ、もうひとつと
スイカに伸びる手が止まらない。


「スイカの95%は水分なんだって」

「えっ。食べ過ぎたら夜中に
 トイレ行きたくなりそうじゃん」

「でも美味しいから食べちゃうよね」

「まぁそうだね」


そこは甘んじて
夜中にトイレへ行こう。


「そういえばね
 おばあちゃんがオクラ買ってた」

「オクラかぁ。
 あまり食べたことないなぁ」

「じゃあ今度はオクラ祭りしよう」

「それは遠慮したい」


最後は聞こえなかったことにして
オクラ祭りのレシピを考える私。


次の休日が楽しみだなぁ〜。




おしまい。

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