見出し画像

オタクで腐女子であるということ

私は物心ついた時から、オタクで腐女子であることで苦しめられ、助けられてきた。

小学校6年生の時、年の離れたお姉ちゃんの居る友達が、先に腐女子になっており、気付いたら私もなっていた。
最初はその子と話題を合わせたくて、ちょっと覗いてみるだけのつもりだった。でもその沼の淵は深く、ぬかるんでいて、気付いたら足を取られ、そのまま沼底まで落っこちていた。
腐女子になる前の記憶はほぼない。これは腐女子あるあるらしい。不思議だ。
 
私を沼の底から這い上がれなくした決定的な作品は、はらだ先生の『カラーレシピ』だと思う。
カラーレシピが発売される前から、はらだ先生の作品は好きで、漫画を何冊か持っていたが、この作品を読み終わった後の衝撃と快感は今でも忘れられない。先の読めない展開の連続で、結末はまるで鈍器で頭を殴られているみたいだった。
はらだ先生の作品のみならず、今まで読んだすべてのBL作品の中で一番好きな作品だ。
あれからもう8年ほど経っているが、まだ私の中でこれを超える作品に出会えていない。
はらだ先生はあれからずっと一番好きなBL漫画家で、社会人になると、展示会に行ったり、グッズを買ったり、漫画を全巻揃えたりなどした。社会人になると、稀にこのような良いこともある。

カラーレシピで思い出した、淡い思い出が一つだけある。
2016年までカラーレシピは1巻完結の作品だったのだが、2018年に出版社と形態を変え、上下巻になってリニューアル発売した。しかも、上巻は既刊と変わらないのだが、その1年後の話を下巻にするという、私的大事件が起きた。
その時、私はまだ学生で、待ちに待った下巻の発売日、学校が終わってすぐに今は潰れている近所のすみやまで走った。
あの衝撃的な出会いから2年。その物語の続きが読めるなんて! と、ワクワクしながら、私は下巻を手に取った。
そしてレジに向かおうと、おもむろにレジの方を見やる。
なんということでしょう。そのレジのバイトは、私の初恋の男の子だったのだ。
瞬間、私の脳にフラッシュバックする甘酸っぱい思い出。
小学五年生のバレンタイン、思い切ってチョコを渡したっけ。しかもそれは人生で初めて男の子に渡したチョコで、お返しはキティちゃんのかわいい缶に入ったキャンディで、本当に嬉しかった。
背が高くて結構体ががっしりしているのに、案外真面目で、優しくて面白くて本当に好きだった。
それに引き換え今の私は…
執着と依存ぎみのBL漫画でしか欲を満たせなくなっている。日本は終わりだ。こんな異常性癖の女が誕生してしまったのだから。
いままで何度かこのすみやに来ていたが、一度も彼を見かけたことはなかった。
しかも今、レジにいる店員は彼しかいない。
この時、まだセルフレジなんていうハイテクなものはなく、この漫画を今買うためには彼のレジに行くのが絶対条件だ。
今日買うのを諦めるか、他の店に行く、という手段もあったが、ここ何か月間かの心の支えを、この下巻を読むことに集中させてしてしまっていたので一刻も早く読みたかった。
悩むこと10分。ついに私は覚悟を決め、彼のレジで下巻を買うことに決めた。
表紙は福介さんのビューティーフェイスだけで、あまりBLBLしておらずパッと見少女漫画のように見えるが、一応裏面にして持っていこうと作戦を立てた。
だが裏表紙には「一番じゃないと 常に俺のこと考えててくれないと意味がないし」と少女漫画にしては不穏な感じのセリフが、太文字ででっかく書いてあった。もしこれを読まれたら、「こいつどんな話読んでんだよ」と普通に人間性を疑われる。
そして、すみやのレジ打ちをしたことがない為よく分からないが、バーコードを読み取ると、ジャンル:ボーイズラブとか出たりするかもしれない。そうしたら太字うんぬんの前に終わりになる。そもそも、彼のレジで買うと決めた時点でリスクしかないのだ。
腹を括り、彼の前に商品を出す。
会計中の記憶はほとんどないが、申し訳ない気持ちと物悲しい気持ちでいっぱいだったことは覚えている。
けれど、そんな思いをして手に入れた下巻の内容は、上巻に負けないぐらいのパンチと衝撃があり、本当に素晴らしくて大好きになった。買ってよかった。
ちなみにその4年後くらいに、コンビニのレジで働いていた彼とまた偶然再会した。
その時の私はブラック企業に勤めており心身共にボロボロで、しかも今回は、メルカリで売れた若手俳優のグッズの発送手続きをしようとそのコンビニに来ており、なんだか後ろめたくて話しかけられなかった。
その後、彼との再会は一度もない。
彼の中の私の最後の記憶が、ボロボロの姿でメルカリの発送手続きをしているのなんて嫌すぎる。
すみや事件の時点で、彼が私の存在ごとすっかり忘れていたり、全く気付いていなかったら何も問題はないのだが…。

話が逸れてしまった。
この出来事も十分辛かったが、もっと辛いことがある。
私は地方にある、不良が比較的多く住んでいる地域に小学生のころから住んで居る。
そんな治安が悪い地域の小中学校は、気の強い子供が多い。
そして、オタクは汚い、きもい、そんなイメージが学校中に蔓延していた。
そんな中、気の強い子供たちにオタクであることがバレるとどうなるか。いじめの対象待ったなしだった。
それなのに、中学2年生の厨二病真っ只中だった私は、オタクであることを隠すのが面倒くさくなってしまい、思い切ってその一年だけオープンにしてみた。
下敷きやクリアファイルを銀魂にしたり、カンペンにハンターハンターのお手製マグネットを貼ったり、給食の時間の音楽に歌い手のCDを流してもらったり。
すると、気の強い子たちは、いままでの態度を一変し、私はオタクだ、と、ことあるごとにからかってきた。事実だが、いい気はしない。
いつもクラスで一緒に居た、仲良の良かったオタクの友達は、気づいたら学校に来なくなった。
暴力を振るわれるとか、ハブられるとか、そういう決定的ないじめ行為を私がされることはなかったのだが、「え、オタクきも~」とかクラスの派手顔の女に言われるのは結構ストレスだった。
それとたまに、腐女子の魔女狩りがあった。「受け」の反対は?とふいに聞かれるという、よくある簡単なもので、幸い私は引っかからず、腐女子認定は回避することが出来た。もし引っ掛かると、クラス全体に「あいつは腐女子だ」「変態だ」と吹聴されひそひそ言われる。それは聞いているだけでもきつかった。オタクも腐女子もきもいのは分かるが、人に言われると悲しくなるし、BL=エロだけではない。それが分かっていない人が多いように思えた。
そして、私はまたオタクを隠し始めた。
幸い、学年が上がりクラス替えをすると、私がオタクだと知る者は案外少なく、中学3年生の間は「オタク」レッテルを貼られずに済んだ。私が昔から目立つタイプではなかったのも功を奏したかもしれない。
もちろんオタクをやめたわけではない為、友達とこっそりアニメの話はするし、二次創作も読むし、ボカロも引き続き聴き続けた。
でも、大好きなものを大好きだと言えない、また別のストレスが溜まっていった。

令和に入っても未だにこの地域には不良が多いらしく、この前トンネルの壁にスプレーで「〇〇(地域の名前)卍会」とでかでかと書かれているのを発見した。
不良も漫画を読む、少しは良い時代になったのかもしれない。

社会人になった今でも、オタクと腐女子であることを隠し続けている。
昨今、メディアで注目される「推し活」などで、少しずつオタクの存在は認められてきているが、私はまだあの時の事を思い出して、未だに好きなものを好きと言えないでいる。
特にBLはナイーブな部分で、BLはこっそり楽しむもの、という界隈でも暗黙のルールがあるので余計に人に言えない。
それでもたまに、カラーレシピのような最高の作品に出会えたりすると、宝物を見つけた子供のような気持ちになり、リアルで使っているインスタのストーリーに、ポンっと投稿してしまいたい気持ちになる。
それが出来ないのがまた苦しい。

学校に馴染めなくて辛い時、勉強で辛い時、部活で怒られて辛い時、社会人になってパワハラを受けて辛い時、鬱になって無職になって辛い時、
その時その時で、それぞれ他に好きなものはあったけど、一貫して好きだったのはBL作品やアニメで、何度も心を救ってもらった。
特に鬱になったとき、2getherというタイBLドラマに救われた。マンゴーのように甘く爽やかな恋模様に目が離せなくて、これが終わるまで死ねないと思い、なんとか生き延びることが出来た。完全に私の生きる糧だった。

3600字もつらつら書いておいて、結局言いたいことは私を腐女子たらしめる物達への感謝だ。
大っぴらにこの性癖を晒せる時代が来て欲しい、とかではない。(ただのオタクには風当たりを優しくしてやって欲しいが)
腐女子であるということは、人に気軽に話せない、という多少の苦しみを伴うものだと思う。
私は死ぬまでこの苦しみを抱いて生きていく。
オタクで腐女子で苦しいけど、オタクで腐女子で良かった。