見出し画像

誰かのために生きることの意味

誰かのためにと生きるのは、
その誰かの承認を得たいから。

私の自己評価は相当低いらしく、
過去、何度か言われたことがある。

だから、他人の承認で
自分を認めようとする傾向が強い。


しかし、他人の承認は思うように得られない。
相手の気持ちは、コントロールできない。

相手が、自分の頑張りに気づいてくれたら、
気持ちが満たされるかもしれない。

そんなことは一生起こらないかも。

それでも、淡い期待を抱いて
相手が認めてくれるのを待っていた。


少なくとも、離婚前の私はそうだった。

そして、淡い期待が裏切られたと感じた時、
私の中での結婚生活は完全に終わったのだ。

そう思って離婚した。


ところが、元夫の中では、
結婚していた頃の幸せをもう一度と
思っているのかもしれない。

分からないけどね、確認してないから。


最近、それに付き合うのも辛くなってきた。
正直、そろそろやめたい。

もう、手続き上は他人なのだ。

気持ちがとか
親子だからとか
思うところはあるけれど。

結局、夫婦になれなかったのだ。
結婚はしてみたけれど。


少なくとも、私は結婚してる頃は
夫の承認を得たいと思っていた。

ある意味、夫に依存していたのだ。
それをなかなか認められずにいた。

最近、ようやく”もう終わったこと”と
思うことがあった。

そう、もう終わっているの。
少なくとも、私の中では。

今は、用事のある時に来る元夫を
遠くに感じることもあるし、
縁を切りたいと思うこともある。


そして、元夫の気持ちに応えず、
(そもそも、本人に聞いてないし。)
私はわたしのために生きていこう。
そのために、仕事を始めようと思ってる。

元夫のためでもなく、
子どものためでもなく、
自分が楽しく生きられるように
残りの人生を生きていこう。


誰かのために生きたとしても、
私も誰かも幸せになれないのだ。

結婚は私に、そのことを教えてくれたのだ。

誰かのために生きる人生は
自分の人生ではないのかもしれないね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?