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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.93 調子乗ってたのかな・・・?

色々な事が、起こるべくして起こってきるような気がしないでもない。

『調子乗ってたのかな・・・?』
『そんな事ないさ』という夫婦の会話。

家で、主人の三連休、バーベキューしたり、毎日、畑を耕し、これから先のことを考えて、花壇や、レンガで目で見て楽しめるこれからを目指そうと、主人と、ホームセンターを見て歩いたり、ご先祖さまから、これという骨董品は何一つないが、受け継がれた、山や土地などを、荒らさずに、手入れしていかないとねと、話していた矢先、義母を施設から連れてくることになった。

バーベキューをしてた日に、介護度の話で施設の方からの電話。

介護について、私の頭の中で色々考えていた、そんな時にまた、施設から、家に帰ると言って聞かないと、電話をもらい、結局は誰にも、義母の勢いは止める事ができなかった。 

私は、ちょうど一年程前、仕事場の人間関係が特殊で、人間関係に合わせることだけをして、パートを続けていた。
たった、数ヶ月間の話だ。

そんな時、娘は娘で吃音がひどく出て、娘が学校を休みたいという日が増えていた為、娘をどうにかしてあげないと、このままではいけないと思い、私は、仕事もひと段落したのもあり、辞める決心をした。
3月に、ふじわら先生との出会いがあり、他人軸ではなく、自分軸で生きるということを学ぶ。
他にもとても、大事なことを学んだ。
まだ、まだ、学ぶ予定だった。 
きっと、まだ、学ぶ。

娘の吃音でも、病院や、児童デイサービスでお世話になるようになり、現在に至る。

私が、子供会、お寺、神社の役員が、3つかぶった時があった。

令和に時代が変わる時だった。

どう考えても、介護と、役員をこなすのは無理だ。

施設に、義母を入所させることになったのですが、それまでの4年間位、入退院を繰り返していた義母でした。
やっと、ある程度落ち着いたねとなった時、施設に入所を決めた。

過去には戻れない、もちろん、わかるが、なんとなく、過去に戻ったなと思った私。

気持ちは違います、もちろん。

施設の方が、どうのこうのではないのは、わかります、むしろ、私が見ている限りでは、良くしてくださっていると、とても、感謝しています。

数年前に戻った気持ちがありながら、過去には戻れないこともわかる。

noteを始めていて本当に良かった。
スマホを片手に、少しの隙間時間に、ちょこちょこと・・・

気持ちを外に出すことで、かなり、気持ちも整理される。

今の時代、介護士が足りないのも、よくわかっているが、しかしながら、家で全部を看るとなると、それはそれで、色々な問題はおきてくる、それは、おそらく、主に介護をする人だけでは、到底、どうにもできない。
家族の話し合いが必要であり、みんなが、色々な部分で協力的でないと、とてもじゃないが、気持ちは持たないと思うし、家は回らない。

それは、家族皆んなだ。
まだ、義母を家に連れてきて1週間も経たないが
、思った以上に、色々なことに時間がかかる。

おそらく、うちだけじゃなく、色々なところで
こういう、介護の問題は、起きているのだろうけど、介護される側の気持ちや、気持ちがわかっていても、それを全部受け容れることは、とても、難しいんだよと話をしても、思いが通じない。

おそらく義母は施設の中でも元気があるから、他の人と介護度があっていないのだと思う。
色々な話を聞いて、やはり、自分が看るべきなのだろうと思うが、他の事とのバランスを保つのは、非常に難しい事だと私の中では思っている。

色々な事が難しい。
でも、この状況を受け容れるということも頭ではわかっている。

私は家族全体を覆う形で判断しているつもりだけど、それが全く受け容れられそうにもない。

私は自分軸でと、意識してやっとできているとすれば、義母は、全くの自分軸だ。
100%にほぼ、近い。

かなり、我慢をしていたのもわかる。
問題解決には、もうしばらくかかりそうだ・・・

前向きに、考えようと思う。

この出来事にも、意味がある、必ず。
やっぱ、調子乗ってたのかな・・・と反省するところはして。


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^


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