腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.175 ついに、藤原先生に会いに行くことが実現した。(第4話)
4月3日(日)、ついに愛媛の旅も最終日となり、私たち4人は道後グランドホテルを後にし、午後からの八幡浜港から臼杵港に渡る、午後の便のオレンジフェリーの時間に合わせ、もう少し時間があるねとなり、前の晩、寒々、道後温泉本館と、からくり時計を見に行ったのだが、その辺りを、もう一度ウロウロとして、写真を撮ったり、焼きたてのせんべいを食べたり、お土産を見たりした。
道後温泉本館はあいにく、工事中だったが、松山市の宝である道後温泉本館を、子供や孫の世代にも大切に引き継ぐための必要不可欠の工事ということで、ある意味、また行こうともなるし、貴重な期間でもあったと思う。
まさか、今度行った時も工事してたりして?なんてさっきも娘と話したりした。
弟は、松山空港からなので、次男の運転で空港まで行き、見送り、私たちは午後の便の、八幡浜港から臼杵港までの、オレンジフェリーに乗るため、松山を後にした。
八幡浜港から松山に向かう時、次男は、『もう、愛媛には行くこともないやろ』と言っていたが、帰りには、『いやー、愛媛楽しかったね、また来るかもね』と言っていた。
愛媛を嫌いにならず、また来たいと思ってくれたことがとても嬉しかったし、『先生にまた来ます〜って言ってきた?』と突っ込まれた。
また、必ず行くと思いながら、そう簡単に行ける場所ではない。
しかし、何かの節目にまた行こう!と、家に帰ってから、そんな話をした。
今度は是非、愛媛に行っていない夫と、長男は行ってほしいと思う場所だった。
私も、ふと考えてみると、愛媛に行く前に、義母と家族の間にちょっとしたいざこざがあったのは確かだった。
気持ちがクリアではなかった。
しかし、この愛媛の旅が、全てを、大きく、大きく包み込んでくれた。
私は、愛媛の旅を楽しみつつ、こんな時でも、心の中では色々なことを考え頭に浮かぶものだなーと思いながら、愛媛に行く前、どういう方法であれ、行動を起こすことで学びは必ずあると、藤原先生ともZoomで話していた。
本当にその通りである。
先生のところで読んだ誕生日大全、実は昔、読んだことがあった、と思う。
おそらくそれだったと。
その時も、当たってる!!と思ったに違いないが、まだ私も若かった。
51歳にして、見てみると、さらに、当たっている!!というのが強い。
その期間、私なりに一生懸命に、生きてきた証拠だと思う。
弟の心の整体の時間だから、時間にすると、ほんの20分くらいの間だったと思うが、家族分は見れたのだが、義母の分は時間がなかった。
思わず長崎に帰ってから、誕生日占い的なものを調べてみた。
恐らく、先生のところで、誕生日大全を見ていなければ、この本を見ることは、当分の間なかったことだと思う。
この先見ることがあるとも言えなかった。
この辺りはもう、色々なことが繋がっていて、そうなることが決まっていたかのように不思議に思う。
私は昨年の10月20日から突然、施設から帰ってきた義母を家で介護してきたが、人間は、日々、同じでないように、88歳の義母も帰ってきた時の義母ではない。
施設では、足腰が弱っていたが、元々、原爆体験者であり、子供の頃の苦労から、とてもつもなく芯が強い。
誕生日占いでは、義母の誕生日の日に生まれた人は、『妥協しない! 』『こうと決めたら、達成するまで努力を惜しまない!』『孤独を好む』みたいなことを書いていて、他にもあったが、あっ、そうか、と納得してしまった。
私は介護をしながら、その部分はわからずにやっていた。
と言うより、考えていなかった。
私は、51歳にして、若い時にはできたが今はもうできない、と思ってしまうことはある。
少し悲しいことでもある。
義母ぐらいの歳になってみたことがないから、何とも、はっきりしたことは言えないが、今までできていたことが、歳をとったことでできなくなることを認めなくてはいけない。
こんなことを認めたくないだろうなとこの歳ながら思うようになった。
義母が施設から家に帰ってきた時は、確かに、運動能力も落ちていたし、幻聴や幻覚もあったりして、鳥肌もたったものだったが、今は違う。
その頃できないことができていたり、その辺りは、小さい子供が、初めて一歩歩いたとか、つかまり立ちができたとか、ママと喋ったみたいなことと似ている。
義母は小さい子供と良く似ているというようなnoteを数回書いたりしたが、義母はゼロ歳児に戻っていっているだけだと思っていた。
しかし、それは違っていた。
義母は義母なりに、小さい子供と同じで、これができるようになった!これもあれもできるようになった!そういうことに喜びを感じているのだと思う。
なので、できなくなる方向に、只々進んでいるわけではなく、この現状でも、できる!ということに喜びを感じているのだと、この誕生日占いで気付かされた。
それからというものは、私は愛媛から家に帰ってきてから、少し考え方を変えてみたり、言い方を変えてみたりしている。
旅に出る前も少しギクシャクしていたし、帰ってきてからも、果たして?と様子を伺っていた。
『家で、ばあちゃんと、お父さんがお留守番してくれたから愛媛に行って帰ってこれました。
ありがとうございました』と言って、3人でお礼を言った。
数日経って、私は、妥協しない、こうと決めたら達成するまで努力を惜しまない、孤独を好む、このことを頭に入れ接することに決めた。
生活を共にすると、noteには書けないこともあるが、こういうところかと思う節はあるすぎるほどある。
小さい子供のように、大人がやってしまうと、上手にできることも、小さい子供は時間がかかったり、散らかしたり、たくさん使いすぎたりする、しかし、このことにはもう、目をつむり、広い心で、小さい子を育てるように接していきたいと思う。
(第4話)で、終わるつもりだったが、お土産話が少し続く、ここまで読んでくださってる方には、大変申し訳ない気持ちもしますが、後1話で完結すると思うので、お付き合いくださると幸いです。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^
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