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ラッピングペーパー


だだっ広い駐車場に停めた車内で、彼女の話を聴いている。いつも通り彼女が喋り、私はそれを聴いている。
くるくる回る表情。揺れるたおやかなブラウンヘア。エネルギッシュな口調は、十も離れた私の知らない景色を見せてくれる。か細く青白い私には、彼女の魅力の半分も無い。
なぜ彼女は、私を選んだのだろう。

後部座席に置かれたラッピングペーパーだって、彼女が選んだのはカラフルで賑やかなのに、私のは淡くぼやけた物ばかり。

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「高卒でホームヘルパー。本当はロンドンに出て写真の勉強したかったけど、貧乏だったしね。
…イブだね。あの日も24日だった。ヘルパー始めてすぐだから…40年位前か。まだ19だった。
派遣されて到着したのは、手入れの行き届いた小さな家で、ドアをノックしたら、奥の方から、どうぞ…って聞こえたの。 
真昼なのに薄暗い、写真も絵も掛かってない廊下。恐る恐る進むとリビングが見えてきて、窓向きのソファに小柄な老人が座ってた。こっちに背を向けて。
あぁ早かったね、そこのダイニングチェアにでも腰掛けて、と言われた次の瞬間、血の気が引いた。

テーブルの上に、銃が置かれてたの」 

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「…あぁ、早かったね。
まぁ、そこのダイニングチェアにでも腰掛けて。今日はもう、家事は全て終わってしまったんだ。
残っている仕事といえば…そうだね、そこの銃を手に取って、僕の後頭部を打ち抜くことくらいかな」

老人は背を向けたまま、さらりと言った。
指定された後頭部に目をやる。昔は綺麗なブロンドヘアだったのだろう、細く色素の薄い髪の毛が、品よくセットされている。
いくら待っても銃を持ち上げる音がしないからか、老人はひとり言のように話し始めた。

「1914年。第一次世界大戦。僕達イギリス軍はドイツ軍と対峙していた。招集されたとき僕はまだハタチで、一番の下っ端だった。
クリスマスまでには終戦すると聞いていたが、蓋を開けたら寒風のなか塹壕でごろごろと身を寄せ合う、そんな惨めなクリスマスイブだった。

明け方、ドイツ軍の塹壕の方から、きよしこの夜の歌が聴こえてきたんだ。何人かが手を振りながら出てくるのも見えた。何かの罠かもしれない。一斉に銃を構えた時、誰かが叫んだ。
待て、打つな、あいつ等銃を持っていないぞ」

ぴくりとも動かぬ後頭部から連連と流れ出る言葉には、時々僅かに抑揚が滲んだ。それは、冷たい置物のような彼にも体温が宿っていることを感じさせた。

「クリスマスだから休戦しよう、ということだったんだ。向こうからもこっちからも人々が流れ出た。飛び交うメリークリスマス、握手、笑顔、菓子、写真、サイン。あの頃誰もが飢えていた、他人の体温に。
人混みの中、佇んでいた内気な僕に、後ろから声が掛かった。メリークリスマス、と。
振り返って、…息を呑んだ。呼吸は随分止まっていたと思う。
ブラウンの巻き毛に溶ける陽の光。
吸い込まれる程に複雑なハシバミ色の瞳。
寒さで頬と唇に灯った完璧な紅。

知らなかったよ、息が止まると世界も止まるんだ。別の時空に滑り込んだようにね…。

彼は何をしても…サッカーをしても素晴らしかった。空き缶で始まったんだ。皆、ボールに群がる子供のように。彼は眩しくダイナミックで、シュートが決まる度に必ず僕に笑いかけた。
幼い心臓が割れる音が何度もしたよ。それでも必死に目で追った。壊れながらずっと…」

彼が見詰める窓越しの小さな庭には、空き缶が舞い、軍服の男達がひしめき合い、笑い声や叫び声や、そしてその合間から眩い視線を投げかける青年の笑顔が見えている。

「本人は恥ずかしがったけど、ドイツ訛りの英語は何というか…とても知的だった。夕日が沈む頃、彼のお喋りが一瞬止まって…顔を上げたら、ハシバミ色がその深さを増したのを見た。
そして彼…、彼は、僕の前髪を寄せたんだ。眉にそって、長い指で、すぅっと一筋…。
一瞬、瞳が揺れてしまって、思わず下を向いた。
戦争が終わったら会いに行くよ、いいだろ、って……そう言って、彼は僕の名前を呼んだ。
僕は頷いた、俯いたまま、必死に2回」

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その後、クリスマス休戦をした事実が上の耳に入り、両軍の一切の交流は禁じられた。

手を取り合った人に銃を向ける。肩を抱き合った仲間と殺し合う。果てしない不条理が、男たちを呑み込んでいった。写真だけが、手元に残った。あの日が幻想では無かったことだけが、手の中に残った。

「撃て、の命令が怖かった。いつだって、僕の前に彼が居ないことを祈った。この銃口の先に、彼は、彼だけは…、とね。
でも…彼を撃ち殺したのは、僕だったのかもしれない。そう、あぁ、きっと僕だったのだと思う。思い出すほどにそんな気がしてきて、狂いそうになる。せめて僕の左腕にめり込んだ弾丸が彼の撃ったものだったらと、何度願っただろう。」

微動だにしなかったあの後頭部が、いつの間にか少しだけ斜めに傾いていた。庭の芝生を堂々と照らしていた日はいつの間にか翳っていた。サイドテーブルの上に写真立てが見えた。青年が二人。見てはいけない気がして目を伏せた。

「聖書を汚す恋をして、何人もの人を殺し、こんな薄汚い老人になっても…ここまで来ても、自分の頭を撃ち抜くことも出来ずに。
……悪かったね。無垢なあなたを巻き込んで…。今日はもういいよ。どうもありがとう。ありがとう」

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「翌朝、窓の外には澄み渡った空ときらめく雪が広がっていた。完璧なクリスマス、と呟いたその時、電話が鳴ったの」

派遣会社からの仕事のキャンセル連絡で、彼女は老人の死を知ったという。
彼女が去った後、彼はしばらくあの日にいたのだろうか。引き金を引く前に、写真立てを見たりしたのだろうか。小さな家で長年共に暮らしたあの青年を、最期見つめたのだろうか。

「私、受話器握って泣いたの。彼が24日を越えられなかったのが悔しかった」

真っ赤なネイルがこの薄い肩に伸びる。私は呼応するように彼女の背に手を回した。そしてこの貧弱な体の真ん中の、一番あたたかい体温を注ぎ込んだ。彼女の真ん中に。
抱きしめながら、最初の夜を思い出した。
長い指は私の瞼をすぅっと一筋、やさしく撫でた。
色素薄く頼りないこの前髪を寄せ、覗き込もうとする眩い視線に、私の瞳は激しく揺れたのだった。  

でも…彼は越えてったのね、今はそんな気がするの…と、彼女の柔らかく落ち着いた声がした。

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駐車場から車道に出る際、車体が揺れた。その振動に、ラッピングペーパーが数本、ばらばらと後部座席から落ちた。

私達は一体、何を包んでいるのだろう。一体、何を覆っているのだろう。目が眩む程に明るいラッピングペーパーで。
一様に照らすことが、照らされることが、まるで正義であるかのように。





こちらのクリスマスアドベントカレンダーに参加させて頂きました。

「やる気を尊重」という百瀬七海さんのお気持ちのもと、小説に初挑戦しました。輪の中に居ながら、自由に悩み自由に書く。貴重な体験、素敵なクリスマスプレゼントを頂きました。ありがとうございました。

クリスマスまで毎日、小窓を開けていくのが楽しみなアドベントカレンダー。個性豊かな書き手さん方の作品が楽しみです。


最後に、ここまで読んでくださった方。こんな拙い小説、こんな暗い話を読んでくれる方がいるのか…と、膨らんでいく不安と戦いながら書きましたので、ここまでご一緒下さり、感謝で涙がちょちょぎれています。

どうもありがとうございました。



ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!