見出し画像

あの別れは優しさだった。

1月29日。


こんにちは。
この投稿を開いて頂きありがとうございます。

新年明ける前、12月31日。
年越し蕎麦を食べて、部屋にこもって私は
1冊の本を夢中になって読んでいました。
去年「流浪の月」を読んでから気になっていた
凪良ゆうさんの1冊。

     「わたしの美しい庭」

この物語には、
色んな恋とその結末が待っていました。

幼い頃に亡くなった彼を忘れらない。
同性との恋と現実。
別れた妻への未練。

その全ての恋に生きて、辿り着いた場所で
出会った人、その道中で繋がる人、居なくなる人がいること

会社で嫌味を言われる役になる
家で1人の男として生きろと言われる
身を粉にして働く
鬱の彼氏を持つ
親に結婚や妊娠を迫られる

全ての今と向き合って、逃げて辿り着いた場所で出会った人、その途中で繋がった人、別れた人がいること


物語の登場人物1人1人が
生活する家
働く仕事場
安らぐ恋人
彼らが生きる1つ1つの場所

どこに居るのも同じ人間のはずなのに
それぞれの場所で1人の人間の色んな一面が描かれていてました。

今この文章を書いている時の
静かな私と大学での私が全く違うように。

どれも自分で
どれも私で

そして、色んな自分があるから
色んな人と繋がって行くわけで。

そんな当たり前のことを
言語化してくれる、認めてくれるような
暖かい物語でした。

       ***

私が印象に残っている言葉があります。
それは、小学生の百音が統理と路有に

「思いやりとはなに?」
と聞いたときの言葉。


 「僕たちは同じだから仲良くしよう」より
「僕たちは違うけど認め合おう」のほうを勧めたい。     

  次の次では、
「それでも認められないときは
       黙って通り過ぎよう」
だな。
                        「無駄に殴り合って傷つけ合うよりは、他人同士でいたほうがまだ平和」ってあたりまで。

わたしの美しい庭 凪良 ゆう p294



「思いやり」をこの言葉達で表現しているのを読んで、

私が大学生になって
仲良くなったけど自分と合わないと思って
離れた人

バイト先の先輩が
同級生だけどどうしても気が合わないからと業務以外の話をしないようにしている人

を思い出しました。


「傷つけ合わない」ことを選択した結果が
距離を置く、離れる
ということなら
それは、「思いやり」とも取れる。
それが大学生になって人間関係が小さくなっていく自分の行動に、周りの人の行動に
言葉として納得できた気がしました。


誰かと出会って別れた
誰かと出会って離れた

仲良くなったけど仲良くなくなった
いつも話していたけどいつからか話さなくなった

そんな人が居たとしたら
それは、無意識のうちに
もしかしたら意識的に

私が、貴方が、誰かが、
その繋がりの裏で
「思いやり」を持って動いた結果
なのかもしれない。

そう言葉にしたら、
出会いもだけじゃなくて別れも少しだけ優しいものになって、心に留めることができる気がします。


そんなことを考えた1冊でした。




それではまた。

百。








この記事が参加している募集

「百」をサポートしてくださると嬉しいです。私の正直な気持ちと日々の風景を1人でも多くの誰かに届けたいと思っています。