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超絶刺激的な何かが欲しい

2月1日。

2月に入って1日目。
いつも投稿を読んでいるクリエイターさんが更新した記事を読んで、私も更新したいなと思ってnoteの下書き欄を開いたけれど、投稿しないままで保存されている何個もの記事は、どうも、今の気持ちと違って、投稿する気になれなかった。
じゃあ、何を言葉に残そうかと思ったけれど、最近の私の脳内と言えば、期末課題に、前回の記事で書いた卒論と春休みくらいで、大して記事として書くこともなくて、なんでこんなにも誰かに伝えられるような日常ではないのだろうとネガティブモードになった。
でも、最近誕生日を迎えた私の好きなバンドマンが、歌詞も思い浮かばなくて、曲が作れなくて、会社から急かすような電話がかかってきて、自分のことを嫌いになって、そして、そんな風にどんどん落ち込んで行ってしまう自分のことを世界中の誰もわかってくれないようなきがして、分かったふりをされているような気がしたときがあって、結局その時の気持ちをそのまま書いたと言っていたことがあった。
そして、私はその曲がそのバンドマンの曲の中でも上位に上るほど大好きだ。なので、私はそのバンドマンをまねてネガな私のまんまこの記事を書き上げることにした。


いつだったか、大学の友達に「百は、1人が好きなんだよね」と言われたことがある。これはグループでは親しいけれど2人では遊んだりしないくらいの距離感の子からの言葉だ。1人になる行動や人と違う動きをすることをその子の前での私は、していた。確かに、していた。なぜなら、その子の周辺の子とその子に心を開きたいと思わなかったからだし、一緒に行動してても自分の意思を曲げてまで合わせてたいと思わなかったから。
それである授業の日に私といつも一緒に授業を受けたている子が休むことになって、そして、そのタイミングで彼女にあった。私がどこの席に座ろうかと迷っていると彼女の友達が「うちらの隣座っていいよ?」と私に言った。そしたら、私の返事を待たずに彼女が言った。
「百は1人の方が好きだもんね」
そして、私に声を掛けてくれた友達にそういう人なのよと言葉をかけて、私を1人席に座らせるよう誘導した。
あそこ空いてるよと言わんばりの視線で。


ん?いや、別に全然いいんだけど、いいんだけど、なんで貴方に言われなきゃいけないの?
私は1人の方が好きっていうか、貴方たちと居るよりかはそっちの方がマシなのよ!と言葉にもできぬ私の言葉がツラツラとでてきた。なんか、全部1人でやっていけるんでしょとたった1人から言われただけなのに、その後ろに見える人たちの私へのイメージ、言葉のように聞こえてならなかった。私は、私が独りでないことも1人でないことも知っているはずなのに。その時の私は、その言葉を受け取った私はそうではなかった。

だか実際私の彼女のその言葉に対しての反応は「うーーん、まあ」という言葉にもならないものと愛想笑いだった。

こういう時私は自分の怒りを抑えるために大体このような思考をしている。
あなたたちは1人で行動できないの?
あらぁあーー、なんてお子様なの?
私が羨ましいのね。しょうがないから黙っといてあげる。

そして、この段階が終わった後私は次の段階に移る。うわぁー、結局私この子らに言われた言葉に感情を揺らがされてしまってるわ。
同レベじゃない。彼女達と。仏になるのよ。
OUT OF THE 眼中で生きてこっ!

って、そこまで言って忘れてゆくはずなのだ。
これはあくまでも私の感情の1つ。
心の中では、本当は、一緒に怒ってくれる誰かが欲しいし、分かってる人がそばにいて欲しいけど。強がりに強がりが重なって、どれが本心のなのか分からない。そんな言葉では誰も本心なんて気づいてくれないのに。


たった1人の好きでもない、ヨッ友からの私に向けられた嫌味で、私の1日は、いつもと変わらない日から、○○ちゃんに嫌味言われて感情揺さぶられてしまった日になるのだ。
嫌味っぽい言葉をもらうことすら私の日常にはスパイスになってしまう。
小学生の時とか、中学生の時とか、高校生の時とか、そんなことの連続だった。誰かが自分の気持ちを声にだして、行動にして、全てが新しいもので、私の感情は私の理解が追い付かないくらい怒りにも悲しさにも楽しさにも喜びにもなった。
大学生になってから確かに自分が関わる人の幅は広がったし、増えたけれど、誰かと出会っても、関わっても、3年経った今、私の新しいとか、この人と仲良くなりたいとか、そういう心躍る瞬間がないのだ。もう、ずいぶんとないのだ。それが最高に退屈だ。そんな振り回されるような、味わったこともない感情を味わうことに飢えているのだ。
もういっそのこと信じられないくらいの嫌味でもいいから、言ってもらってもいいし、性格の悪い女子でも男子でもチャラ男でも召喚してくれとすら思う。


3年もこの同じ街に住んでいる今、新たにそんな人との出逢いを待たって、来ないことは知っているのだが。


それでもただただこの記事を書いていて思うのはタイトルの通りだ。




それでは、また。

百。


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