僕と遺書

ある日引きこもりになった僕に
外に出るきっかけを作ろうと
兄は僕にある課題を提示した。
「毎週、兄が指定する全国の美術館あるいは博物館に行く」
というものである。
全て指令通りの場所を巡ることを達成した暁には
かかった全ての費用の贈与を受ける
その代わりに
一度でも巡ることができなかったらこの課題は終了で
それまでにかかった費用は自己負担
というものである。
僕はやらないという決断に至るまで数分考えた
この数分が生まれたことが
既に僕らの関係性を説明するまでもなく
第三者にさえ欺かれても致し方なく
受け入れれば受け入れるほど憎悪した
僕が一瞬でもその計画に乗ろうとしたのは
それが自身では完結することのできない
魅力的な生きがいに思えたからである
しかし兄は無償の愛など与えられる人間か
きっと途中まで順風満帆にことが進めば
どんどん過酷な課題を出して
僕を追い詰めるに決まっている
そして僕が挫折したところで
たくさんの観客を用意し
事態の事実を話し出すだろう
僕の兄は善人の立場を取りながら
いつでも主導権を握り
労力を使わず
相手を稚拙な言葉で見くびったりせず
的確に貶めることができる
なぜなら彼には絶対的に
彼の偽善の姿に惚れ込んだ悍ましい人間が控えていて
その人間に彼の口先が数秒開けば
ここぞとばかりに瞬く間に魔術の言語に変わり
その言葉が兄という強力なフィルターを通せば
相乗効果でみるみる肥大し
僕の心を確実に踏みにじることができるのだ
簡単そうな姿をした呪いのような絵だ
覚束ない自分の力を蔑ろにした弱さで
一瞬でもすがりつこうとした僕は
幾度となくその罠が現れては阻止してきたことか
僕が怯んだ姿を願う人間と
それを助長する人間が簡単にいること
そしてそれらはほぼ無意識的であり
無意識に互いの力を大きくして
僕という一点に注がれてしまうのは
誰のせいでもなく
誰にも変えられないこと
それよりも悲しいことは
そんな彼らのことを
僕は好きだったということだ
人間が恐ろしい
せめて僕がその構図を事細かに記した遺書を
毎晩枕元に置いて眠り
いつでも二度と目を覚まさなくてもいいよう
最後まで僕はその呪いとともに生きてきたことを
誰に伝えるでもなく残そう
その時が来るまで
意図しない幸福を誰にも与えまいと
誓いながら
それはいつかの誰かのためにあげられるほど
人を愛する力もないのだけれど
今はただ
僕は静かなの部屋の中で座っている


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