《迷走のループ》第3話 追い詰められて 【小説】
3-1 芽生える想い
山田恵子との出会いから数週間が経った。
ライターとしてのキャリアを閉ざされ、日々、運送会社で働きながら、請求されていた損害賠償金を徐々に返済していた篠原。恵子の言葉が心の中に棘のように刺さって残っている。
「あなたには、あなたの才能を活かしてたくさんの人を救うという運命が私には見えるわ」
恵子の言葉が何度も篠原の心に響く。それはまるで、石ころが水面に投げ込まれて波紋が広がるような感覚だった。
(自分の才能とは何だろう? 才能を通じて人を救うって、どういうことだろう?)
運転中のわずかな間、アクセルを踏む足とは対照的に、篠原の心はゆっくりと動いていた。帰宅後、アパートの部屋で、かつて撮った風景写真が散らばり、執筆中だったのノートが積み重なる中、篠原は自分の内なる葛藤と向き合った。
彩陽もまた、篠原の変化に気づいていた。彼女がその変化にどう応じるのか、篠原にとっての気掛かりの一つだった。
「武大君、最近なんか考えていることが多いようだけど。恵子さんに何か言われたの?」
彩陽の問いかけに、篠原は心の中を読み取られまいと、おかしな笑みを浮かべながら答える。
「いや、大丈夫だよ。忙しくてちょっと疲れているのかな」
篠原は、自分の中に芽生えた想いをまだ彩陽には明かせないまま、心の中に抱え込んでいた。
篠原の中で、恵子の言葉はまるで小さな種が土の上に落とされ、じわじわと根を張り、芽吹き始めているような感覚を生み出していた。
(どんな風に人を救うことができるんだろう?)
篠原は自問自答しながら、自分の才能が何なのか、そしてそれを活かす方法を探し続けていた。
かつて書いた虚偽の記事が好評であったこと、人々がその虚像に魅了されていたことを思い出しながら、彼は考え込んだ。
自分は、虚偽の記事を書いて責められることになったが、その記事が喜ばれていたのも事実じゃないか。
(自分の才能が、たくさんの人を救うって、それは関わる人々に喜びや希望を提供することじゃないか?)
篠原は、過去の選択と向き合う日々を送りながら、新たな一歩を踏み出す覚悟を胸に秘めていた。しかし、その一歩がどの方向へ進むものなのかはまだ見当もついていなかった。
このままではいけないと、彼は自分に言い聞かせるように決心していた。
一つのドアが閉まったからこそ、別のドアが開かれる。それがきっと篠原の選ぶべき未来なのだろう。
そしてもう一つ、気になるのは彩陽のことだ。
彩陽は篠原こそが自分の救うべき人間だと感じ、だからこそ、ここまで尽くしてくれているのだ。
しかし、恵子によれば、篠原は彩陽が救うべき人間ではないという。
それを彩陽に伝えるべきなのかどうなのか…。
もし伝えてしまったら、彼女との関係はどうなるのか?
だが、伝えなければ、自分の人生に輝きを取り戻したいという彼女の想いそのものを踏みにじってしまうことになる。
篠原はこれからの彩陽との関係をどうするかについても葛藤を続けていた。
心が振り子のように揺れるのを感じ、夜になると、篠原は枕元のノートにペンを持ち、自分の心を文字に託していくのだった。
3-2 新たな決意
損害賠償金の返済に日々を費やす中、篠原の心は徐々に変化していた。恵子の言葉は、まるで風が古びた窓を揺らすように、彼の内なる扉を叩いていた。迷いの日々が過ぎるにつれて、彼は新たな自分を見つけようとしていた。
(もしかしたら、あの時の虚偽の記事だって、ただやり方が悪かったのかもしれない。あの記事は、人々に喜びと希望を提供した。その結果、多くの人が笑顔になった。だからこそ、あの記事が好評だったんだ)
篠原はそう心の中でつぶやく。
虚構であると知りつつも、彼の文字が人々の心に響いた瞬間、篠原は自分の力がどれほど大きいものであるかを感じていた。それは、ただの言葉の羅列ではなく、人々の心に訴えかける魔法のようなものだった。
ある晩、アパートの窓から外を見ると、満月が静かに輝いていた。篠原は心を整理し、運命の道を見極めるための決断を下すことに決めた。彩陽に別れを告げずに、自らの新たな決意を胸にタイへと旅立つことを決心したのだ。
しかし、その決断は篠原にとって容易ではなかった。彩陽との幸せな時間を築いてきたことを思い出すと、彼の胸は苦しみに包まれた。彼女が篠原のために尽くしてくれていたことを思い出すたび、彼は自分の行動がどれほど自己中心的であるかを痛感した。
(でも、恵子さんは、はっきり言った。彼女が救うべき人間は俺じゃないって。彩陽は、俺じゃなくても幸せになれるんだ。俺はむしろ彩陽のそばにいない方が、彼女のためになるんだ)
篠原は、矛盾した考えを納得させるように、自分に言い聞かせた。
彼は彩陽の持っていた貯金を全て持ち逃げし、彼女の名義で借金をした上で失踪することに決めた。篠原は彼女の通帳を盗み出し、その金を手にする瞬間に心のざわめきを感じた。しかし、篠原はそのざわめきを無視し、自分の選択が正しいという確信を強く持ち続けた。
(彼女が俺に尽くしてくれていたのは、彼女の人生が輝きを取り戻すために俺を利用していただけじゃないか。このくらいの金をもらったとしても、バチは当たらないだろう)
篠原は、心の中で強がりながら、アパートを後にする決断を固めた。
新しい土地、新しい未来が広がる中、篠原は自分の使命を果たす決意を新たにしていた。彼は自分のライティングの才能を通じて、人々の心に響き、喜びと希望を届ける使命があると信じていた。
彩陽への思いがまだ彼の心を揺さぶっていたが、彼はその思いに蓋をし、恵子の言葉を信じて新たな一歩を踏み出す覚悟を決めていた。
3-3 言葉の隙間に見える真実
篠原が姿を消してから8ヶ月。インターネット上では、あるライターの名前が話題になっていた。
「Mondo Yamaishi(山石門土)」というペンネームで、驚くべき記事を次々と発信しているのだ。
彼の記事は、日本ではまだ知られていない異国の秘境や、闇に埋もれた事件の真相を暴露することで、多くの読者の興味を引き付けていた。
彼は、未開の部族や遺跡の発見を報告し、裏社会の暗躍や陰謀にも迫っていた。これらの記事には、信じられないような写真が添えられ、それが彼の記事が本物であることを証明する証拠となっていた。しかし、一つ疑問が残る。彼はどこからこんな驚異的な情報を入手しているのか。そして、彼自身は何者なのか。
山石は、情報源の安全を守るためと言って、決して情報源について明かそうとしなかった。
そもそも山石自身の素性が不明なのだ。
自己紹介ではタイを拠点に活動しているということだが、その経歴については一切触れられておらず、本名や顔写真なども公開されていなかった。
ただ、山石が書く情報はどれも衝撃的なものであることは間違いなかった。
特に遺跡に関するものは、学術的にも画期的な発見のように思われたが、それでも山石はその情報源については口を割らなかった。
証拠を出さない以上、記事そのものが捏造ではないかという疑惑も当然浮上したが、山石はそのような批判に対し
「信じるか信じないかは読者次第だ。自分は現場で見聞きした事実を伝えているだけだ」
と言うだけだった。
山石のことが話題になる一方で、新人編集者の奥平メイは山石の記事に対して不審感を抱いていた。
彼女は、山石が描く記事の中に矛盾があるように感じていた。
個別の記事は確かに興味深く読めるものだったが、記事同士を比較してみると、山石が伝えようとしている世界観に不一致があり、全体としての信憑性が欠けているように思えてきたのだ。
「どうやってこんな情報を手に入れているんだろう?」
メイは自問しながら、記事の裏側に隠された真実を突き止める決心をした。彼女は編集者としてではなく、一読者として、山石門土の正体を暴くべく調査を開始した。
彼の秘密を探ることは、メイにとって容易なことではなかった。彼の記事は常に新鮮さと衝撃性を持ち合わせ、読者たちは彼が発信する新しい情報を熱望していた。しかしその一方で、彼の情報源を突き止めることは、まるで迷路に迷い込んだような困難な作業であった。
そんな時、偶然にもメイは、先輩の編集者から2年前に起きた篠原武大の虚構記事事件のことを聞かされることになる。 篠原の失踪と山石門土の登場が何かの関係があると直感したメイは、その直感に従って、篠原の書いた記事を徹底的に分析してみることにした。
実はメイは大学時代に「テキスト解析による執筆者の特定」を研究テーマにしていたのだ。
メイは山石門土の記事と篠原武大の記事を徹底的に分析し、彼らの言葉遣いや表現方法、さらには情報の断片を比較して、その正体を探ろうとした。
彼女の分析によると、山石の記事と篠原の記事のスタイルは、95%以上の確率で同一人物の執筆であるということがわかった。
山石の正体が篠原だと確信したメイは、真実を探るために篠原の行方を追うことにした。
3-4 追及と真実の一歩
メイは、山石門土の正体が篠原武大であるという確信を持ち、その証拠を探すため、篠原の過去に関する情報を集めていった。
篠原が働いていた編集プロダクション「ワンマウント」に問い合わせると、彼が辞めた後に勤めていた運送会社がわかった。 そして、その運送会社で聞き込みをすると、「神崎彩陽」という女性の名前が出てきた。
「篠原か。あいつは突然姿を消して、こっちも困ったよ。姿を消す前は、女の話ばかりしてたな。借金を一緒に返してくれるって言って、感謝しきれないって言ってた。名前は何だっけ…カンザキイロハだったかな」
彩陽のことを調べると、すぐに彼女の住所や連絡先がわかった。
篠原のことを知るために、彼女に会いに行くことにしたメイは、ある日、彩陽のアパートに向かった。 彩陽の部屋の前で少しドキドキしながらチャイムを押すと、女性の声で
「はい、どちらさまですか?」
と返事があった。
すぐ後に、ドアが開き、彩陽が顔を出す。
「すみません、私、奥平メイと申します。篠原武大さんについてお聞きしたくて…」
メイがそう言うと、彩陽はちょっと戸惑ったような表情をしたが
「そうですか。じゃあ、少しお話しましょうか。こんなところで立ち話もなんですから、中に入ってください」
と言ってメイを部屋に招き入れた。
メイは彩陽に対して、今話題になっているWebライターの山石門土が篠原ではないかと疑っていることや、彼がどこにいるか知りたいことを伝えた。
すると彩陽は
「うーん、私も知らないんですよねー。むしろ私の方が彼の居場所を知りたいくらい」
とちょっと笑いながら答える。
「武大君、何も言わないで急にいなくなっちゃったし、しかも私の通帳も持って行っちゃって…」
「ええ!?盗んだんですか!?」
「まあ、そういうことかなぁ。それだけじゃなくて、私名義で借金まで作っちゃって…。でも怖いところからじゃなくて、クレジットカードでキャッシングだけだったからまだ良かったんですけど」
彩陽はまるで他人事のようにメイに話した。
「犯罪じゃないですか!警察には届けたんですよね?!」
メイが驚いて言うと、彩陽は黙って首を横に振った。
「どうして…」
メイが思わず尋ねた、
すると彩陽は微笑みながら答えた。
「武大君を救うことが、私の人生を輝かせるために必要なことだったから…。警察に言っちゃったら、彼、帰ってくるところ無くなっちゃうでしょ?」
彼女は現在、二つの仕事を掛け持ちして借金を返していることや、それでも篠原が立ち直って戻ってくることを信じて待っていることを話した。その様子からは、篠原に対する強い愛情と、彼を救いたいという思いが溢れているのが感じ取れた。
メイは、自分が山石門土の正体を篠原だと思っていることを再度伝え、篠原の行方を探るために何か手掛かりになるものがないか尋ねた。彩陽は少し考え込んだ後、彼のアパートに残されていたノートやメモなどをメイに渡した。
自分の家にそれらの資料を持ち帰り、詳細に調べたメイは、その中にあった「山田恵子」という名前に気づいた。
篠原のノートには
「自分の使命、自分の才能で多くの人を救うこと」
とあまりきれいではない字で書かれてあり、その言葉に向けて「山田恵子」という名前から矢印が引かれていた。
彩陽に恵子のことを聞くと、彼女は「「恵子さんは武大君にとっても、私にとっても大切な存在で、私たちの人生に影響を与えた人です」と答えた。
恵子のことが気になったメイは、彼女に連絡を取ってみることにした。
メイは恵子の電話番号を彩陽から教えてもらい、彼女に電話をかけた。
篠原の過去と真実を暴くため、彼女は新たな一歩を踏み出したのだった。
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