《迷走のループ》第2話 表舞台への帰還 【小説】
2-1 謝罪の言葉
都内の編集プロダクション「ワンマウント」に向かった篠原は、心の中に緊張と葛藤を抱えながらも、編集者たちと向き合う覚悟を整えていた。彼は自分の過去の過ちを正直に認める決意をし、それがどんな反応を引き起こすかを不安に思いながらも、心の底からの謝罪の言葉を用意していた。
少し前、篠原はプロダクションに電話をかけていた。
「あの…、以前そちらでお世話になっていた篠原です」
電話越しでも、周りがざわつくのが感じられる。
「以前はとんでもないことをしてしまって、申し訳ありませんでした。お忙しいとは思うのですが、一度、きちんと謝罪したいと思っていますので、少しだけお時間を取っていただけないでしょうか」
篠原がおずおずと尋ねると、意外にもOKをもらうことができた。
今日は、その約束の日。
しばらく、どうやって謝ったら良いかあれこれ考えてしまい、眠れない日が続いたが、正直に、誠心誠意謝るしかないと腹を括り、今日という日を迎えたのだった。
「またここに来ることがあるなんて、あの時は考えもしなかったな…」
篠原がそう考えながらプロダクションのドアを開けると、応接室ではなく、会議室へと通される。
編集部の会議室に足を踏み入れると、そこには彼の上司や同僚だった人間たちが集まっていた。彼らの顔には驚きや不信の表情が見受けられ、会議室内には緊張感が漂っていた。
篠原は軽く咳払いをし、ホワイトボードの前に立った。集まった人々の注目を感じながらも、彼は自分の心情を整理し、口を開いた。
「皆さん、ごめんなさい。私は…過去に虚偽の記事を書いてしまいました。そのことを謝罪したくて…」
短い一言が部屋に響き渡った。篠原の言葉に会議室内は静まり返り、かつての同僚たちは微かな怒りと共に彼の告白に聞き入っていた。
元上司の一人が口を開いた。「お前、本当にそれをやったのか?」
篠原は目を逸らすことなく、上司の目を見て言った。
「はい、本当です。私が書いた記事の中には、虚偽の情報が含まれていました。読者や出版社に迷惑をかけたこと、そして信頼を裏切ったこと、本当に申し訳ありませんでした」
その瞬間、会議室内には様々な感情が渦巻いていた。怒り、失望、疑念。篠原の告白はそこに集まった人々の心に波紋を広げていった。
「君の記事には僕らの名前も載っている。読者からの信頼もあったのに…」
と、元同僚の一人が声を荒げた。
篠原は頭を下げて深く息を吸い込み、言葉を選びながら彼らに向かって謝罪を続ける。
「本当に申し訳ありません。私の行動は許されるものではありません。ただ、この場を借りて、謝罪の言葉を述べさせてください」
さらに続けて、篠原は自分が虚偽の記事を書き続けるようになった背景や、その際の心情についても話した。彼の言葉は正直で率直であり、部屋の中では篠原への疑念や不信感が交錯していたが、そんな中でも、彼の謝罪の気持ちは伝わっていった。
そして、会議室内の空気が静まり返った後、元上司の一人が口を開いた。
「お前の行動は許し難いものだが、お前が真摯に謝罪しようとしていることは理解できた。これからどうするつもりなんだ?」
篠原は目を閉じ、深い考えにふける。
しばらく考えた後、
「私のライターとしてのキャリアはもう終わってしまいました。でも、この先、自分に正直に向き合って新しい道を見つけたいと思っています。だからこそ、皆さんに謝罪して、しっかりとけじめをすることが大事だと思っています」
会議室の中には沈黙が広がり、編集者たちの心情は複雑なままだった。しかし、篠原の誠実な言葉に対する彼らの反応は、これからの物語の方向を決定づける一歩となった。
2-2 キャリアの終焉
篠原の告白と謝罪の後、編集プロダクションの会議室の中には重い沈黙が広がった。篠原の虚偽の記事に関わった者たちは、怒りや失望を抱えて彼の言葉を受け止めていた。長い間、その部屋の中には何も聞こえない静けさが続いたが、やがて元上司の一人が口を開いた。
「お前の謝罪は真摯なものだったと思うし、本心なんだろう。でも、これだけで事は収まるわけじゃないだろう」
その言葉に、会議室の中の他の人々も頷く。篠原はその意味を理解していた。彼の過去の行為は簡単に許されるものではなく、謝罪だけでは済まされない。彼のライターとしてのキャリアは、ここで終わりを告げる運命にあった。
篠原は少し息を吐いてから、続けた。
「私はもう、ライターとしての仕事を続けることはできないと思っています。皆さんに迷惑をかけたこと、そして信頼を裏切ったこと、本当に申し訳ありません」
部屋の中の雰囲気は重たく、それぞれの人々が武大の言葉に対する感情を抱えていた。彼らは長い間、武大の記事を読んで信頼し、その虚偽に騙されていたことへの怒りや悲しみを感じていた。
「言葉だけじゃ済まされないよ。君がやったことは信じがたいものだ。これからどうするつもりなんだ?」
再び元上司が問いかけると、武大は頭を少し下げて考え込む。彼はライターとしてのキャリアが終わった今、どのような選択をするべきかを模索していた。少し間を置いた後、篠原は決意を込めて答えた。
「私はしばらく、ライターのような仕事から離れて、別の道を歩んでみようと思っています。虚偽の記事を書き続けた自分に嫌気がさしていたこともあります。何か新しいことにチャレンジして、自分を変えていきたいと思っています」
篠原の言葉に、部屋の中の人々はしばらく黙って考え込んでいたが、やがて元同僚の一人が言った。
「まさか、運送業にでも転職するつもりか?」
篠原は照れくさそうに笑った。自分がどのような道を選ぶかはまだ決まっていなかったが、新しい可能性に胸を膨らませていた。彼のライターとしてのキャリアが終わったが、新たな始まりに向けての第一歩を踏み出す決断をした瞬間だった。
「そうですね。まだ、何をするかまでははっきりと決まっていませんが…」
篠原が答える。
「いや、そういうことじゃないよ」
元上司の男性が篠原に向かって言葉を投げかける。
「お前がこれから何をしようとも、それは俺たちには関係ないんだ。言葉だけじゃ済まないっていう意味を本当にわかっているのか?お前がやったことが業界で広まってから、俺たちがその後始末にどれだけ時間と金をかけたか理解しているか?」
「そ、それは…」
「さらに言えば、それ以降、うちの会社の売上はガタ落ちだ。当然だろう。その補償がお前にできるのか?っていうことだ。言葉だけじゃすまないっていうのはそういうことだ」
上司の言葉に篠原は掠れた声で
「ど、どうすれば良いんでしょう…?」
と応える。
「会社として、お前に賠償請求するということだ。もちろん、お前の虚偽を見抜けなかった俺たちにも責任はあるから、お前が会社に与えた損害額そのままにはならんだろうが、それなりの金額にはなるはずだ。それが大人が取るべき責任というものだ。わかるよな?」
元上司は、篠原の顔をじっと見て言った。
「はい…。おっしゃる通りだと思います…」
篠原は、今にも消えそうな声で応えるのがやっとだった。
今更ながら、自分のやらかしてしまった罪の大きさを自覚することができた。
(自分はなんて馬鹿なことをしてしまったんだ…)
改めて、後悔が彼の心の中に湧き上がってきた。
自分では反省したと勘違いしていたが、本当のところは何もわかっていなかったのだ。
人に言われるまで、本当の責任なんて感じちゃいなかった。
いっそのこと、また逃げ出してしまいたい。
篠原はそう思ったが、ギリギリのところで踏みとどまる。
(今度こそ本当に生まれ変わるんだ!そのためには、自分の罪と責任から目を逸らすわけにはいかない!)
「わかりました…。自分のしてしまったことは、それだけのことだと思います。どんな請求でも真摯に受け止めるつもりです」
篠原は元上司の目を見て、しっかりとした声で応えた。
2-3 新たな日々
篠原はプロダクションでの謝罪の後、編集部との関係が完全に終わることを悟りながらも、胸の中に複雑な感情を抱えて過ごしていた。
編集プロダクションからの賠償請求を払うために運送会社へと就職したし野原は、彩陽との静かな日々を過ごしていた。
東京に戻ってきた時は、別々のアパートを借りた二人だったが、最近は、都内の小さなアパートで共に過ごすことが多くなっていた。
彩陽の優しさと温かさが、篠原の心に新たな光をもたらしていた。
篠原は、彼女の存在が彼を支える力となっているのを感じていた。
代わり映えのしない毎日の中で、篠原は自分の行動や選択に向き合い、その中に秘められた複雑な感情を解きほぐす努力を始めていた。
しかし、篠原の心の奥底にはまだ兄へのコンプレックスが渦巻いていた。彼の兄は常に優秀で社会人になってからも成功しており、簡単には許されない罪を犯してしまった武大は兄と自分をどうしても比較してしまうのだった。
兄への劣等感と「大企業の歯車として生きている奴とは違って、俺は自由に生きている」という歪んだ優越感が入り混じる中で、篠原は自分自身を見失いそうになることもあった。
ある日の夜、彩陽との会話の中で、篠原は自分の心情を素直に打ち明ける。
「彩陽、僕は今でも兄へのコンプレックスが消えなくて…。あいつはいつも優秀で、もう関係ないとは思いながらも、今でもあいつと自分を比べてしまうのが情けなくて…」
彩陽は静かに聞き入れながら、篠原の手を握った。
「武大君、それは自然なことだよ。でも、あなたはあなた自身であり、お兄さんと比べる必要はないんじゃないかな。誰もが違う道を歩んでいて、成功の尺度は人それぞれ違うんだから」
篠原は彩陽の言葉に励まされながら、自分の心に向き合う決意を強めていった。彩陽の存在が、彼の中に眠る自己評価の歪みに光を当て、それを修正しようとする意欲をかきたててくれた。
日々の中で、篠原はライターとしてのキャリアを終え、新たな道を模索していた。過去の行動に責任を取るため、そして自分を変えるために努力していた。彩陽の支えと共に、彼は新しい始まりへの希望を胸に抱えていた。
ある日、篠原は彩陽と一緒に街を歩いている最中、手帳に書き込んでいた占い師、山田恵子のことを思い出す。
「彩陽、ひとついいかな?」
「なに?」
「君は以前、占い師の山田恵子さんに占ってもらったことがあるって言ってただろ?どんな人だったのかな?」
「うーん、ちょっとよくわからないけど、オーラはあったかな」
彩陽は武大に言う。
「彩陽はその後、連絡は取ったりしてるの?」
篠原が彩陽に尋ねると、彼女は首を振り、
「取ってないよ。まだ、武大君が救われたかどうかわかんないし、武大君が借金を全部返し終えてからかな。私も一緒に借金を返すのを手伝うから、一緒に頑張ろうね」
と、彩陽は篠原に笑いかける。
「そうか…。ちょっと、僕もその人にアドバイスをもらってみたいなと思ったんだけどどう思う?」
篠原が彩陽にそう伝えると、彼女は微笑んで応えた。
「それなら、連絡してみたらどうかな?」
篠原は彩陽の提案に頷き、山田恵子へ連絡先を取ってみることにした。
彼の人生はまだ混沌としていたが、彩陽との出会い、そして自分自身と向き合う決意が、新たな可能性を切り開いていく兆しを感じさせていた。
新たな日々が、ゆっくりと歩を進めていく中で、篠原は自分の心に生まれた小さな変化を後押ししてもらうために、山田恵子に会ってみたかったのだ。
彼女の言葉が、自分の決心を揺るぎないものに変えてくれるはずだ。
別に占いは信じていないが、山田恵子を信じて、僕を支えてくれている彩陽を信じてみよう。
そう思った篠原は、山田恵子に連絡を取ってみることを決めたのだった。
2-4 新たな一歩
篠原は山田恵子に会うためのアポイントメントを取ることにした。彼は心に芽生えた新たな決意を確固たるものにするため、恵子に背中を押してもらいたかったのだ。
彩陽に相談した次の日、篠原は電話を取り出し、手帳にメモしていた山田恵子の勤める占い館に連絡をした。すると、呼び出しを受けた恵子の少しハスキーな声が聞こえてきた。
「山田恵子です」
「こんにちは、山田恵子さん。初めまして、私は篠原武大と申します。友人の神崎彩陽からお話を聞いて、占いをお願いしたいと思っているんです」
「ああ、彩陽さんのお友達ですね。もちろん、歓迎しますわ。いつ来られる予定ですか?」
篠原はスケジュールを確認し、都合の良い日時を伝えた。恵子はそれを受け入れ、アポイントメントが取れることを確認した。
「それでは、一週間後、その日時でお待ちしています。何か特別な用意などは必要ありませんが、あなたの心を開いていらしてくださいね。お会いできるのを楽しみにしています」
篠原は恵子の言葉に感謝の意を込めて頷き、電話を切った。
彩陽が「一緒に行こうか?」と尋ねてきたが、一人で恵子に会うことに決めた篠原は、彼女の言葉に自分の決意が固まるということを期待しつつ、彩陽との新たな未来への扉が枯れるのではないかという淡い期待もしていた。
約束の日が訪れ、篠原は恵子のいる占い館に向かった。彩陽が感じたのと同じく、篠原もその独特の雰囲気に引き込まれていった。
「こんにちは、山田恵子さん。お世話になります」
篠原が挨拶すると、恵子は微笑みながら出迎えた。
「こんにちは、篠原さん。どうぞお掛けください」
恵子の案内に従い、篠原は占い処の席に座った。部屋の中には落ち着いた雰囲気が漂い、篠原は心地よさを感じながら、自分自身に向き合う準備を始めた。
「それでは、占いを始めましょう。まずは、手を重ねていただけますか?」
恵子の案内に従い、篠原は手を重ねると、静かな空間の中で、新たな旅路への第一歩を踏み出していった。
恵子の手が篠原の手に触れると、彼はふと胸の鼓動が速まるのを感じた。その瞬間、未知の世界への扉が開かれるような予感が彼を包み込んだ。
恵子は目を閉じ、深い呼吸を繰り返すようにして静寂を保った。その姿勢からは豊かな経験と洞察力が感じられ、篠原はますます期待と緊張を感じながらも、彼女の導きに身を委ねる決意を固めた。
「篠原さん、あなたの過去には、自分自身を評価する際のコンプレックスが影響を与えているようですね。お兄さんとの比較や自己評価の歪みが、あなたの選択に影響を与えてきたことが感じられます」
恵子の穏やかな声が部屋に響き、篠原の胸に深く響いた。彼は恵子の言葉に共感し、過去の自分と向き合う必要性を再認識した。
「それと同時に、あなたは新しい可能性を求め、自分自身の変革に向かう意欲を持っています。この出発点が、あなたにとっての新たな一歩となるでしょう」
恵子の言葉が、篠原の心に新たな希望を灯すものとなった。彼は自分の選択が正しかったということを再確認し、これから進むべき、まだ見ぬ道へ進む勇気が湧いてくるのを感じていた。
「恵子さん、本当にありがとうございます。あなたの言葉が、僕にとって大きな力になりました」
篠原は感謝の意を込めて恵子に微笑みかけると、彼女も穏やかな笑顔で応えた。
「どういたしまして。でも、あなたの選択と努力が大切なのです。私はあくまで道標に火を灯すだけですから」
篠原はふと思いつき、恵子に尋ねてみた。
「恵子さん、もう一つだけ良いですか?」
「ええ、何かしら?」
「実は、僕があなたのことを知るきっかけになった彩陽なんですが、自分と同じような誰かを救うことで、彼女の人生がまた輝き出すということをあなたに占ってもらったと言っていました。彼女は、その救うべき人間が僕だと思っているようですが、それは正しいんでしょうか?」
篠原が彼女に問いかける。
すると恵子は
「いいえ、あなたではないわ」
とあっさりと答えた。
「えっ?そ、それじゃあ…それはいったい…?」
「だって、あなたには誰かに救われるなんていう運勢は出ていないもの。むしろ、あなたには、あなたの才能を活かしてたくさんの人を救うという運命が私には見えるわ。ただし、それには相当の覚悟が要るみたいだけどね」
恵子は怪しい笑みを浮かべて篠原に伝えた。
「さ、今日はこれくらいにしておきましょうか。次のお客さんもそろそろ来る予定だし」
篠原は恵子の言葉を胸に刻みつつ、彼女とのセッションを終える準備を始めた。心には彩陽への疑念が少しずつ生まれつつあったが、それを明確にすることはまだできなかった。
「篠原さん、これからもあなたの未来が明るいものとなるよう、願っています。どうか自分を信じて、前進してくださいね」
恵子の言葉が、篠原の心に深く刻まれると同時に、彼は新たな一歩を踏み出す決意を固めた。彼の中で光が灯り、未知の可能性が広がっていることを感じながら、篠原は恵子に頭を下げた。
「本当にありがとうございました、恵子さん。感謝の気持ちでいっぱいです」
「どういたしまして。どうか幸せな未来を手に入れてくださいね。また、興味があればいつでもどうぞ」
篠原は恵子の言葉を胸に抱えながら、占い館を後にした。
彩陽への微かな疑念が、彼の中に生まれていたが、自分がたくさんの人を救う運命だという恵子の言葉が嬉しかった。
新たな一歩を踏み出す決意を胸に、篠原は彩陽の待つアパートへの帰路についた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?