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《迷走のループ》第1話 嘘の筆 【小説】


1-1 悪戦苦闘のライター

 篠原武大、彼こそがこの物語の主人公である。

 彼は都内の編集プロダクション「ワンマウント」に勤めており、そのオフィスは都会の喧騒とは対照的な、穏やかで落ち着いた雰囲気で満ちていた。 
 篠原のデスクは窓際に位置し、光と風が彼の仕事を照らしていた。

 彼の胸中には、常にプライドと不安が交錯していた。篠原は独自の視点で記事を執筆することに誇りを持っていたが、同時に他者との比較に苦しんできた。優秀な兄との幼少時代からの比較が、彼の自尊心を傷つけ、劣等感を煽る一因となっていた。

「篠原さん、これは素晴らしいアプローチですが、読者への伝達が難しい部分があります。もう少し分かりやすくまとめてみませんか?」

 編集者の言葉が、篠原の内心を揺さぶる。彼は自身のスタイルを守りたいと思いが強く、他者の意見を受け入れることが苦手だった。しかし、文章は読者に届けられるための媒体であり、その伝達力を高めることも大切なのだろう。

 オフィスの中、彼の周囲では、編集者や同僚たちが忙しなく動き回っていた。篠原はその中で自分の存在を確認しながら、取材ノートやメモ帳を整理していた。彼は常にアイディアを求め、新たな記事の着想を得るために取り組んでいた。

「篠原さん、新しいプロジェクトの案件が入りました。興味あります?」

 ある編集者が微笑みながら声をかけてきた。
 顔を上げ、彼の方を向いた篠原は頷く。新たなテーマに挑戦することで、自身のスキルを高め、多様なジャンルに対応できる可能性を感じていたからだ。

 一方で、彼は虚偽の記事を書くことによって、自己保身の手段を見出していた。これによって一時的な成功を収めることができていた彼は、始めのうちこそ感じていた罪悪感も、虚偽を繰り返すうちに薄れていき、今ではすっかり無くなってしまっていた。彼は自分の行動が読者たちに喜びを提供していると思い込むことによって、自分自身を納得させていたのだ。

 篠原がライターとしての道を選んだきっかけは、幼少時に手にした小説だった。その物語は架空の世界を通じて人々に感銘を与える力を持っており、篠原は文字の力で他者の心を動かすことに魅了されたのだった。

 そして、篠原は幼少時から兄との比較に苦しんできた過去を背負いながら、自分のプライドを保つために、虚偽の記事を書く道を選んできた。その劣等感が彼の心に根付いており、それを克服することができないまま、彼の筆は虚構の物語を紡ぎ続けた。

 篠原は、自己を取り巻く葛藤と向き合いながら、新たな記事のアイディアを追求していた。その一方で、優秀な兄に対する劣等感も自分の中で膨らんでいた。彼は自身の言葉を通じて、誰かに価値を届けることができるのか、自問自答する日々を送っていたのだ。

1-2 優越感と承認欲求

 篠原と彼の兄との関係は、彼の心に暗い影を落としていた。
 幼少時から、兄は優秀で成功を収める存在として、篠原は常に比較されてきた。それは、今でも彼の歪んだ自尊心に深く影響を与えている。

 兄は学業でもスポーツでも優れた成績を収め、その才能は篠原も認めざるを得なかった。しかし、それは常に「優秀な篠原の弟」という見られ方をするストレスを生んでいた。
 何かできても「さすが篠原の弟」、ちょっとできなければ「あの篠原の弟なのに」と、「篠原武大」本人を見てもらえないという不満が常にあった。
 そして、そのような環境で過ごした篠原は、兄の成功に対抗するように、いつも自分を表現する場を求めていた。

 ライティングの世界に足を踏み入れた篠原は、自分を高め、才能を発揮できる場を見つけたように思えた。しかし、彼の執筆スタイルは、過去の競争心から生まれた優越感と、承認欲求によって形成されていた。

 彼が最初のうち書いた記事は、まだ繊細な心を持つ若者の視点で物事を綴ったものだった。しかし、読者からの反応が伴わなかったため、篠原は次第に現実から逃れるような内容へと舵を切った。

 虚偽の情報を交えることで、記事はより派手で驚きを持って受け止められるようになった。彼の独自の言葉遣いと視点は、読者たちの心に響き、彼は初めての成功を手にした。その成功の感触は、彼の優越感と承認欲求を刺激し、ますます虚偽の記事を執筆する原動力となっていった。

 篠原は自己を守るために、過去の自分を隠し、兄との比較に立ち向かうために、記事の内容を歪曲させていった。虚偽の情報が次第に記事の中に溶け込んでいくと、彼はその過程に罪悪感を感じることなくなっていった。

 読者たちの反応はますます高まり、彼は成功体験を求めて、より驚きや感動を呼ぶ情報を虚偽で埋め尽くすようになった。しかし、その過程で、自分が生み出すものが現実ではないことに、彼自身も気づいていた。

 プロダクション内では、篠原の記事は一部の編集者から高い評価を得ていた。しかし、同時に彼の中には、自分が築いた成功の裏側に隠された真実を知る人々への不安が渦巻いていた。

 罪悪感や劣等感は、彼の内面を揺さぶり続けていたが、その一方で虚偽の記事による成功が、彼の優越感を満たし、一時的な承認を得る手段となっていた。篠原の心の葛藤は、次第に迷走するループへと彼を導くのだった。

1-3 虚偽の輝き

 篠原は、虚偽の記事による成功の喜びと、その裏に潜む罪悪感との狭間で葛藤していた。彼の執筆スタイルはますます大胆さを増し、事実と虚構が交錯する記事は、読者たちの心を惹きつけていった。

 記事の内容はますます過激になり、驚愕の事象や奇抜な情報が溢れるようになった。彼の筆から生まれる文章は、現実離れした幻想を読者に提供し、彼らを夢中にさせた。

「篠原さん、この最新の記事、すごい反響ですね!」

 同僚の声が篠原の耳に届く。彼は微笑みながら頷いたが、その微笑みの中には嘘が隠されていた。成功に喜びながらも、内心では罪の意識に苛まれていた。

 記事が成功を収めるたびに、篠原の優越感は高まり、同時に虚偽の情報を混ぜることが当たり前になっていった。彼は自分が他者に価値を提供していると信じていたが、その背後にある現実との乖離に苦しむこともあった。

 一方で、篠原は虚偽の記事によって多くの読者に笑顔や驚きを届けることに満足感を感じていた。自分の言葉が人々の心に響く瞬間は、彼にとって快楽であり、優越感と承認欲求を満たす大いなる報酬となっていた。

「篠原さん、次回の記事はどうしますか?」

 編集者の問いかけに篠原は一瞬戸惑ったが、すぐにアイディアを思いついた。彼の中には、ますます驚きや感動を求める欲求が芽生えていた。その欲求が虚偽の情報を増やし、記事の信憑性を揺るがせることに繋がっていた。

 虚偽の成功が彼の心に深く刻まれている一方で、時折、罪悪感の暗雲が忍び寄る。彼は自分の行動が正当化できると信じつつも、その信念を支えるには次第に努力が必要になってきていた。

 篠原は、虚偽の輝きに満ちた一方で、内なる葛藤に囚われていた。その葛藤は、彼の魂を不安と罪の意識で包み込む一方で、成功の快感と承認欲求に引き寄せられる力でもあった。

 彼は自己を保つために虚偽を重ね、一時的な成功を手にしていたが、その成功の影には築き上げた脆弱な塔が佇んでいた。

1-4 背後に潜む秘密

 物語の中で篠原武大が抱える「大きな秘密」が、物語の進行によって次第に明らかにされていった。その秘密は、篠原が虚偽の記事を書いていることに関する証拠が、ある出版社に送られたことによって明るみに出ようとしていた。

 ある日、篠原の所属する編集プロダクション「ワンマウント」が、匿名の手紙と共に証拠となる情報を受け取った。その証拠は、篠原が過去に書いた記事の中の情報が事実と異なることを示すものであり、その内容が出版社のスクリーニングを通過していたことが驚きだった。

「これは本当なのか…?」

 編集者たちは困惑と驚愕の表情を浮かべながら、証拠を眺めていた。篠原の記事は一部の雑誌で高い評価を受けていたが、その裏には虚偽の情報が潜んでいたという事実は、プロダクション内に衝撃をもたらしていた。

 篠原自身も、その証拠の存在を知って動揺していた。自分の行動が露呈することを恐れ、彼は急遽、編集プロダクションを去ることを決意した。深夜の電車に乗り込み、彼は故郷の町へと逃げるように旅立った。

 SNSやニュースで彼の疑惑が大々的に取り上げられ、過去の記事や写真が次々と公開される中、彼は絶望的な気持ちとともに、故郷で借りた自宅アパートに引きこもる日が続いた。
 ある晩、近所のコンビニに買い物に行く途中、彼の前に突如、小学校時代の幼馴染である神崎彩陽(いろは)が現れた。

「武大くん?」

 篠原は驚きと緊張で声を詰まらせた。彩陽は彼に微笑みかけながら近づき、話かける。

「びっくりしたー。こっちに戻ってきてるの?私、実は1年くらい前にこっちに戻ってきて、今、一人暮らしなんだぁ。」

 彼女の屈託ない笑顔が、篠原の心に安らぎをもたらした。

「あれ?表情が暗いけど、何かあったの?」

「うん…。ちょっとね」

 篠原は歯切れ悪く答える。

「もし、時間あるなら、ちょっとお茶でもしない?どうせ私も一人暮らしだし。あ、良かったら一緒に晩ごはん食べよう!」

 彩陽は半ば強引に篠原を誘い、近くのファミレスに一緒に行くことになる。

 ファミレスで、食事をしながら、ポツリポツリと篠原はこれまでの出来事を打ち明けた。彼が虚偽の記事を書いていたこと、そして証拠が出版社に送られ、彼の行動が明るみに出ようとしていることを。彩陽は驚きながらも、彼を受け入れ、支えることを決意した。

 篠原は彩陽のアパートで数日を過ごし、自分を取り巻く状況に向き合う勇気を得ていった。彼は過去の過ちを乗り越え、新たな人生を歩む決意を固めつつあった。

「武大くん、あなたは今、どうしたいと思っているの?」

 彩陽の問いかけに、篠原は深く考え込んだ。彼の答えは、自分の過去の嘘と向き合うこと、そして真実を伝える勇気を持つことだった。彼は再び都内に戻り、自らの行動を認め、謝罪の意を表す決意をしたのだった。

「うん、やはり正直に謝罪しようと思う。それにしても、彩陽はどうしてこんな僕を受け入れてくれたんだ?」

 篠原は彩陽の方を向いて訪ねた。

「あぁ、実はちょっと言いにくいんだけど…」

 彩陽はちょっと苦笑いを浮かべて篠原に向かって

「私、前にも言ったけどバツイチなんだよね。それまでは東京で結構、良い暮らししてたし、人間関係も悪くなかったんだけど、それ以来、なんか色々とうまく行かなくて…」

と語りだす。

「そんな感じで、こっちに戻ってきたんだけど、そんな時に知らない女の人から声を掛けられて。よっぽど暗い顔してたのかな」

篠原は黙って彼女の話を聞いている。

「その人、占いをやっているって言ってたんだけど、私の話を聞いてくれて『あなたと同じ立場の人がもうすぐこの町にやってくるはずだから、その人を救ってあげれば、あなたの運勢も元の輝きを取り戻すはずです』なんて言ってて、その時は変な人だなぁって思ってたんだけど、それからすぐに武大君に再開して、ピン!と来たっていうわけ」

 彩陽は語り終えると、篠原に向かってペロっと舌を出した。

「だから、武大くんを助けたっていうよりも、自分のためでもあるのよ」

「そうだったんだ…。てっきり、僕に気があるのかと思ってた」

 篠原は、少しがっかりしながらも、すっきりした様子で彩陽に冗談めかして言った。

「ちなみに、その女性の連絡先ってわかるの?」

 篠原が彩陽に尋ねると、彼女は

「あ、うん。名刺もらったから」

と言って、財布の中から1枚の名刺を取り出し、篠原に渡した。

名刺には「占い士 山田恵子」という文字が印刷されていた。

(占い師じゃなくて、占い「士」なんだ。こういう自己プロデュースも大切なのかな。どっちにしろ怪しいことには変わりないけど)

 篠原はそう考えながら

「この連絡先、メモさせてもらってもいいかな?」

と彩陽に尋ね、了承を取った後に手帳に名前をメールアドレスをメモしてから、名刺を彼女に返す。

(占いなんか信じないけど、そのおかげで僕が立ち直るきっかけにはなったわけだから、この山田っていう占い師には一応は感謝しなきゃな)

「彩陽はこれからどうするつもり?」

 篠原が尋ねると、彩陽は

「私も武大君と東京に戻るわ。最後まで見届けないと、救ったことになるかどうかもわからないしね」

と答え、悪戯っぽく篠原に笑いかけた。

>>第2話


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