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認知症の母のこと

その日の夕食を終えた18時過ぎ、88歳になる母が入所している介護施設から電話が鳴った。

この時間帯に連絡が来るということは、また母の様態が悪くなって病院に連れていかれたのかな?と嫌な予感がした。電話に出ると、最近の母の様子を伝える話だったのでホッとした。

母は今から4年前くらいに施設に引っ越した。その頃の母は、尿を少し漏らすようになっていたため、おむつとパッドを履かせていたのだが、自分でトイレに行ったときに、そのパッドを便器に落としたことに気づかず詰まってしまい、トイレの外にまで汚水が溢れてしまう、ということが何度か続いていた。

ケアマネージャーの方が、たまたま近所のケアホームに空きが出たことを教えてくれたので、そちらに入ってもらうことにした。

その頃我々は高台の上に住んでいて、高校に入学する娘の通学のことも考えて、この際交通の便の良い平地の場所に引っ越しする計画があった。賃貸で母の部屋まで用意するとなると家賃もかさむし、それなりの広さの物件を借りなければならないこともあり、母には独り施設に行ってもらうことにしたのだ。

もちろん、認知症が少しづつ進行していた母の世話を今後どうするのか、悩んでもいた。家族が誰もいなくなった日中に母がなにをするかわからないという不安もあった。

しかし本音をいえば、手間がかかる母がいることで家族の雰囲気が確実に悪くなるだろう、と思っていた。そしてなにより俺自身、どうしても我慢できずに母に対してきつく当たることが多くなっていたため、この際お金はかかってもストレスを減らせるもんなら減らしたい、そんな思いもあった。

母が入所したケアホームは月12万の使用料とおむつ代や介護用品のレンタルが1万近くかかっていた。母の年金は月9万ほど。つまり毎月3,4万ほどの赤字なのだが、そこは母の貯金から切り崩す、という生活が始まった。

母が、そのケアホームに入所した矢先にコロナの流行が始まった。そのため施設への面会が完全にシャットアウトされてしまった。話せるのはベランダの窓越しに、という事態になり、落ち着いて話すこともできなくなった。

そんな状況が1年、2年と続き、会うたびごとにみるみる母の認知症が進んでいった。ついに、ここ1年ほどはほぼまともな会話ができない、話もかみ合わない状況になってしまった。

そして、つい先日そのケアホームから医療行為ができる他の施設への転所が決まった。母が食事や水分を摂ることを拒否したり、今後急な様態の悪化が予想される為だった。

新しい施設は、民家も疎らな山間の中にひっそりとあった。なんでも、おむつ代が免除になったり、新しい介護の助成金が適用になるとかで、月の利用料が9万ほどに減額になるとのことだった。これは、こちらとしてはかなり助かる話だった。しかし、個室だった以前の施設と違い、今回は4人部屋だった。『うちの母は絶対に嫌がるだろうな…』と思った。

新しい施設に入所する当日は、私も付き添った。車椅子に乗った母が、玄関先で突然「嫌ぁーっ!!」と泣き叫ぶように絶叫した。元気な頃は人前では努めて明るく振る舞うタイプで、自分の感情をあからさまにする人ではなかった母が、ここまで拒絶反応を示したことに驚いた。

一応ここに引っ越してきたのは、なにかあったときに看護師の方に対応してもらえるから、と事前に話してはいたのだが、症状が進んだ母に理解できるわけもなく、やっと我々と暮らせる、そして家に戻れると思っていたようだった。もう、あなたが戻れる場所はないんだよ…さすがの俺も少し心が痛んだ。

…冒頭の施設からの電話は、最近の母の様子と共に、食事の際、母には介助が必要となってきたので、介護認定を上げることになる、そのため利用料が若干増えることになる、というお知らせも伴っていた。『やっと利用料が減ったのに、また増えるのか…』とガッカリしたが、こればかりは仕方がないのだった。


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