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90年代初頭・東京 あの子の思い出

90年代初頭、俺は東京に住んでいた。

高校を卒業して、映像関係の仕事をやりたい連中が集う専門学校に入学した。

とりあえず映像作品を作ろうと思えば作れる程度の機材は揃っていたものの、特に何某かの資格が取れるわけでもなく、普段ムサビなどで教えている人が非常勤でたまに来て授業をするような場所だった。

そこに入学するために俺は、新聞奨学生制度を利用し、新聞専売店に住み込みで働いていた。場所は目黒区の洗足だった。

東京に暮らし始めて3年になっていた。専門学校には在籍はしてたものの、なにか作品を撮るアイデアが湧き上がることもなく、すっかりやる気をなくしていた俺は、学校に足が向かず、日々の仕事とたまに行く映画館巡りやライブ鑑賞に明け暮れていた。

毎年、専売所には新しい若い子たちが入ってきた。大学や専門学校に行ってる者や予備校に通っている者など、ここに住み込んでいる理由は様々だった。

概ね素直な田舎の子たちばかりだったが、その年は二人ほど癖の強い男たちがいて、そいつらは俺ら歳上にも敬語を使わないし、どこか舐めた態度をとってきたので、だんだん仕事場に行くのも嫌になってきていた。

俺は勤務年数が長いこともあって、仕事場から少し離れた木造の古いアパートの一室をあてがわれていた。しかし他の子たちは仕事場の二階にある2畳ほどの、狭くて隣の音が丸聞こえの蛸壺のような部屋に押し込まれていた。今にして思えば、特に予備校に通っていた子たちなどは、かなりのストレスをため込んでいて、優遇されていた俺に対して思うところがあったのかもしれない。

さて、そんな中に一人女の子がいた。彼女は予備校に通うわけでも通学してるわけでもなかった。日々の仕事が終わると、専売所を経営する夫婦たちと話していたり、実家が関東だったこともあり、たまに帰っているようだった。

将来何をしたいのか決めきれず、とりあえず独り暮らしをしたかった、というのがここに来た理由だった。そういった理由からなのか、他の子たちとは違って、どこか浮き上がってるような、ぽつんとひとりでいるような雰囲気だった。

ある日、彼女がオーバーオールのGパンを着ていたことがあった。今だとホンジャマカの石塚さんのイメージが強いが、当時でも若い女の子がオーバーオールを着ているのは珍しく、その人と違ったセンスが面白いと思ったし、なにより似合って可愛かった。

俺はこの子のことを好きになった。

最初の頃は楽しく話ができていた。しかし、ある日をきっかけに彼女が俺を避けるようになった。理由ははっきりしないが、一度俺が彼女の仕事場での態度に思うことがあり、若干説教じみた手紙を渡したことがあったので、たぶんそれが原因だったのだろう。

その年は、俺も専門学校を卒業して、この専売所も出ることになっていた。3月になり、あの子とも結局仲直りできずじまいでお別れか…と思いながら、仕事場でチラシを新聞に差し込んでいたら、いつの間にか後ろにいた彼女の方から声をかけてきてくれた。

「ここを出たら、どうするんですか?」

俺は、新しい部屋を見つけて、知り合いの紹介で見つけた足ふきマットや掃除道具のレンタルを交換するアルバイトを当面行うことを話した。彼女は実家に帰ると言っていた。結局、彼女になにも伝えられないまま別れた。

その後、大田区の上池台で一人暮らし始めて数か月経った頃。近所の銭湯帰り、コンビニの雑誌コーナーに見覚えのある顔を見つけた。あの子だった。あまりのことに驚きつつも声をかけた。

話を聞くと、一旦実家へ帰ったものの、まだ落ち着きたくなかったらしく独り暮らしを始めたとのことだった。思わぬ再会に内心嬉しくて仕方なかった。

自分のアパートに浴室はあるものの、たまに俺と同じ銭湯を使っている、とのことだった。その日も銭湯帰りだったようで、濡れたショートカットの髪から淡い香りがこちらにも漂ってきていた。

彼女のアパートの前までついて行って、ひとしきり話し込んでしまっていた。しかし奥手だった俺は、彼女の直接の連絡先をどうしても聞くことができなかった。だが同じ街に住んでいるんだから、また会うことは確実にあるだろう、と淡い期待を抱いていた。

とはいえ、そうそう偶然が重なるわけでもなく、彼女に会えないまま日々は過ぎていった。久々に会ったのは山手線の車内で、彼女はドフトエフスキーの”悪霊”を読んでいた。そうゆうところに惹かれたんだな、と思った。

同じ駅で降り、少し話して、それぞれの家に戻るために別れた。相変わらず連絡先の電話番号は聞けずじまいだった。

そういや専売所の先輩に、この偶然の再会のことを興奮気味に話したことがあった。彼は「今すぐ彼女の家に行って告白しろ!」と俺にけしかけて、勢い余って二人で自転車に乗って彼女のアパートまで押しかけたのだった。しかしアパートの前まで来て、肝心の部屋の場所までは知らなかったことに気づいた。結局訪ねることすらできなかった。

それから何度目かの偶然の再会はしていたものの、結局俺は彼女に何も伝えれないまま、東京を離れ、地元に帰ることになった。彼女には東京を離れることも言わなかった。

東京での当てのない生活に漠然とした不安を感じていたこともあるが、あの子に対する想いを振り切る気持ちも正直かなりあった。

それから1年後くらいに、一緒に専売所で働いていた先輩に会うために東京に遊びに行った。先輩の部屋で話していると電話が鳴った(まだ携帯がない時代だった)。なんと、あの彼女からだった。どうもその先輩と彼女は連絡を取り合っていた、とのことで、俺も久々の彼女との会話を楽しんだ。そして、次の日に泊まる予定の別の友達の電話番号を教え、もし気が向いたら連絡して、と伝えた。この期に及んで、自分から彼女の連絡先を聞き、自分から彼女に電話する、という勇気がなかったのだった。

次の日、友達の家には彼女からの連絡はなかった。そりゃ彼女も、まったく知らない人の家にいきなり電話するような気分じゃなかったのだろう。結局、あのときの電話が彼女との最後の会話になった。

しかし、あれほど広い東京で、なぜ彼女が俺と同じ街にいたのか…それは決して偶然だったわけじゃなく、たぶんあの先輩から俺の消息を聞いたのでは?彼女も俺と同じく、あの街で偶然会うことを期待していたのでは?そして、先輩の家にかかってきた電話も、事前に先輩が俺が遊びに来ることを彼女に教えていたから?と、あれから30年近く経った今にして思う。今でもSNSで繋がっている、あの先輩に真相を聞いてみようかな、と思いつつ、やっぱり今も勇気が出ないままでいるのだった。


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