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駆け出しフリーライター日記/母親としての就活からフリーランスにたどり着くまで。

はじめまして。駆け出しフリーライター(自称)のyuuuumy(あーちゃん)と申します。ライター名さえ安定していない駆け出しライターです。
2年ほど前に記事を書きはじめかなり放置していたnote。少しずつ書いて慣れていこうと奮闘しているところです。
2児の母として、どう生活していこうか。ずっとずっとフリーランスで働きたい理想はあったのに、簡単に踏み込める世界じゃないことはわかっている。そんなことを重々承知で今のこのスタート地点につけたのか、自分へのアウトプットとして記事にしていきます。
以前記事にしていたものと被ることもありますが、そんなのなかったこととしてどうぞご覧ください。

“母親”としての就活の苦労

某広告会社で15年勤務。とにかく仕事が好きだった。原稿の校正・作成・ときにはコピー作成。営業と企業の間の営業事務としていろんな部署とやりとりしながら自分のスキルを身につけていった。会社の人も本当にいい人ばかりだった。産休・育休を経ても働かせて貰ってる環境が本当にありがたくて、時短勤務を経験しながら新卒で15年半勤続できた。
でも、某感染症における業績悪化でボーナス激減、そのうえ時短社員は軽視されるし、目に見えるやりがいもなく原稿をただたださばく日々。これでいいのか?こんなんでいいのか?と退職を少しずつ意識してきて、就活をすすめていく。でも、自分のスキルの低さにがっかり。Excelやパワポを使いこなせる技術も大してなく、PCスキルあるっていうの・・?レベルだったので事務職への転職は難しく、何ができるのかわからず毎日悩みながら過ごしていた。
気になる企業に少しずつ応募をしていくも、エントリーの段階で落ちることが多かった。内容はもちろんのこと、年齢の壁もあっただろうが、一番の難関は“母親である”ということだった。まだ子どもが小1と年少だったので、急な発熱で呼び出されることは少ないものの、フルで働くとなるとお迎え時間や行事で結局仕事のセーブをしなければ行けない部分も多く、面接までたどり着いても「うちではゴメン」「おうちで子どもとの時間つくりなはれ」と結局断られることが多かった。

子どもがいるってだけで、なんでこんなに諦めなアカンの!!??
おかしいやん!!!!仕事したいオカンもいっぱいおるよ!!!(涙

と、くじける毎日。働けることにはどんな働き方でも良いと思った。
でも、はじめての転職。15年働いたプライドもあり、自分の力をまだまだ発揮したかった。もっとできることがある、と信じて正社員としての就活は諦めなかった。(ワガママやなあ。

保活を経て興味を持った保育の世界。保育士資格取得へ。

いろんなことにイラついてきた私は、次男の保活にも挫折する。
小規模保育園からの3歳児入園。うまくいかないときは本当に何もうまくいかない。働きながら園見学して、どこがいいか本人の様子見ながら考えて、通えるところを探してどうしていけば良いのか毎日シュミレーションしながら過ごしていた。
そこで、転職のひとつとして「保育園で働いて保護者に寄り添いたい!」という気持ちが芽生え、保育の道にシフトしようと、今できる範囲での保育の仕事を探し出すも、結局目の前に“資格”の壁にぶち当たる。無資格でできる保育補助とか事務があっても、給料が低くなる。正直プライド高々な当時を考えたら、そこまで自分を犠牲にしてまでゼロからやる必要あるのか・・と思って断念、とおもったところで
「つべこべ言わんと保育士の資格とる方が近道かも」という考えに至り、保育士資格の勉強をはじめた。30歳を超えてからの勉強というのは本当に苦労だらけ。とにかく「覚えられない!!!」毎日勉強ばっかりしている学生とはワケが違う。
でも、猛勉強の末、最大3年間かけてとる予定だった9科目を2度の試験、なんと1年で取ることができた!!最後はゴロ合わせとか、運でムキになって覚えた笑。合格すりゃいいんですよ←

一度考えたフリーランスの道

この時に、「母親というアイデンティティが邪魔をする」ことをきっかけに、会社に勤めず何か起業したい、という思いが強くなった。
でもそのとき保育士勉強中。資格もないしなにかひとつ飛び抜けたものをもっているわけでもない。ライティングも好きだったけど、この当時の職場は有能ライターたちが周りにいて、そんなことで独立するなんて・・・という考えでライターは一ミリも思わなかった(それなら辞めないしね)。
保活で保護者の人たちに役に立つことをしたい、でも資格がない・・そのループの中で見つけた求人が、“療育”という仕事。当時もっていた教員免許が資格になるなんて・・でも実務経験はないし本当にいいのかな?という思いだったけど、保育のことを知るには療育の世界は知っておくべき!と会社への転職を決意してフリーランスは諦めることに。
でも、どこかで独立したい気持ちはあったので、面接時に「いつか起業したいんですよね、ハハハ」とぼやいたら、

「うちは新しい会社だから、そのやりたいことはうちで叶えてくれたら良いよ。でもそれまでは実務経験積んで頑張ってほしい」
という人事の方からのオコトバに私はうるうるきて、晴れて正社員で転職することができたのです◎

フリーランスになるつもりはなかったはず


そんなわけで約2年療育の世界に飛び込んだ。
ゼロからのスタートは簡単ではなく、つらいこともたくさんあったけど、“子どもたちの成長”という目の前のやりがいが大きく、ずっとこの仕事をしていたいと思えるほど充実したものだった。
祝日が出勤であり、まともな長期休暇が年末年始しかないのは本当にきつかったけど、行ってしまえば楽しんで仕事ができるから後悔はなかった。お給料も安定していた。

しかし・・・・・・

勤務先の吸収合併で勤務地が少し遠くなってしまった。
最初の1ヶ月は勤務時間を考慮して貰い、少しの時短で働かせて貰い、そのあとは近隣の店舗への異動になる予定だったけども、

ふと家族のことを考えると、
・保育時間最終まで預けられている
・祝日はだいたい祖母のところでお留守番
・長期休暇も当たり前に預けられる

そして、私は自分が見ていた子どもたちと離れることに。

仕事は楽しいけど、来年小学生の次男もいるし、あまりにも息子たちとの時間がとれてなかったよな、と少し反省。辞めるなら今しかない!!と思い、8月末に退職するはこびとなりました。

勢いで辞めたので、先のことは全く考えず、何よりマトモな長期休暇もなく働き続けていたので、ゆっくりしたい気持ちが強くて次の仕事のことはもう少ししてから考えようと思っていた。自分へのクールダウンとして好きなところ行ったりゆっくりしたり、推し活もしたい。ひたすらに野球を追いかける日々が続いた。
専業主婦でもええか、とおもったけど、結局どこかで求人探していて、働きたい気持ちがどうしても強い。できるならば子どもとの時間を大事にながらキャリアは捨てたくない・・。どうしたものか。

Webライターのセミナーから一歩を踏み出す

悩んでいる自分に、SNSで「Webライター」の広告が目にとまった。
もちろん、この職種にはお世話になっていたし、自分の力を発揮できるものだと、なんとなくはわかっていた。
もう一度基礎から学ぶのも良いかもしれない。とりあえずの気持ちで無料のセミナーを受けることにした。

どうしても、Webライターの世界は「どうやったら稼げるか」とか「月に○○万円稼げます」などお金を前面に出して「誰でもできる」と胡散臭い印象もあり、講習料も安くはない。だからこそ講習を受けてライターになる!と簡単にきめられるものではなかったけども、そのセミナーに参加できたことによってクラウドソーシングという存在を知り、一歩ずつ踏み出すきっかけをくださったのだ。

9月から少しずつクラウドソーシングを利用して案件獲得に向けて動くも、まだまだ実力不足ではありますが、がむしゃらに挑戦した!

・200文字程度の電話占い口コミ 1本
・100文字程度のグルメ口コミ 30記事
・8000字程度のコラム校正 2本
・SEO記事 これから20本(1本目で20回くらい修正)

ほんと、急にやり始めたから何の実績もありませんけど、少しずつ自分を売り出して行きたい。
野球のコラムを書くのが大きな目標ですけど、自分の持っている保育士資格や、経験した療育について、どこかで待っている人のために書けるように、今日から日々頑張っていきます◎

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