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お正月にあった、母からの告白 の話

今回の内容は一部センシティブな内容だが、
私個人の話としての話をさせていただきたい。

これは父からのお正月での告白からの一年後、
今度は母から聞かされた話である。

お正月にあった、父からの告白の話

いたたまん過去記事

私の母は「長崎県出身」だ。

佐賀県にある実家も長崎県との県境で、
買い物に出かけるときは殆どが長崎方面となっており、
地元が佐賀ではあるが長崎市や佐世保市などのほうが
佐賀市よりも慣れ親しんだ街である。

それもそのはず、人口ベースで見ても
佐賀市 約23万人、長崎市 約42万人と2倍近い差があり、
長崎第二の街 佐世保市でも約25万人と頭も上がらない。
ちなみに私の地元は約5万人だ。

そんな何度も行っている長崎の事で新たな事実を知らされるとは思ってもいなかった。


昨年と同様、おせちを突きながら家族で会話を楽しんでいたが
その年のお正月は、兄は仕事の都合で不在であった。

親戚の話になり、母方の兄弟も元気してるかねー?と話をしていたが、
母の長女が入院しているとのことで体調面などの話になり、
そこでふと「被爆者健康手帳」の話になった。


この時初めて被爆者健康手帳の話を聞いたのだが、
詳しく話を聞けば、母以外の兄弟姉妹は全員持っているとのことだった。

生まれて30年以上で初耳である。
もちろん父はこのことを知っていたとのこと。

そこで気になるのは母の事。
どうやら母は被爆二世にあたるとの話であった。

母以外は全員戦前・戦時中生まれで、
原爆の被害に合い、別の市に移り住んでいたようだ。
また被爆者健康手帳を取得するのにもかなりの労力が必要で、
祖母は取得せず、母の兄弟姉妹を優先して取得していたとのことだった。


修学旅行では、平和学習として長崎市や広島市へ行き
原爆資料館や、被爆者の方の実際の声など聞く機会もあったが、
ここまで身近な話だとは思ってもみなかった。

また間接的に、私自身も被爆者三世となるが、
30代で知った私としては驚きはしなかったものの、
正月に色々ブっこんでくる両親に対して驚かされる。

このままでは毎年帰省するたびに、明るみになる事実がポンポン出てくるのではないかと不安だ。

あくまで私個人での話になるが、
三世であってもこの歳になって元気にオカマとして生活できてるわけで、むしろ不摂生が故の生活習慣病を気にするぐらいである。

ただ個人的に気になっているのは、この話、今現在でも兄は知らない状態という点だ。

実害も何もないため母がこの先言わないのであれば、心の中にひっそりと留め置き、noteに書き記しておこう。



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