日常の手応えのうちに過去が消える

決して悪いことではない。日常が明らかに充実しているということの現れであると言えるのだから、幸せなことじゃないかと思う。何もやることがないから呆然と暮らしているなんてことはなく、やるべきことがあり、しっかりとそのニーズに答えていくために集中しなくちゃいけないことが続く日々。

充実しているときはやっぱりいつもこうだ。手からこぼれ落ちるように日々にやることが溢れて、とりこぼしている、確実にとりこぼしているんだけど、じゃあ丁寧にやればこぼさなかったのかといえば多分そうでもない。

結局のところ、精緻なことなど向いてないのに、自分が不向きな精緻さに心を囚われているときに手が止まる。手が止まると気持ちが上がって来ない。気持ちが上がって来ないとアイディアも出ないし、行動もしない。

粗くても何かをしているときに、雑にでも高速移動しているときに、やはり運が良い=運びがいいようになっているんだなと実感する。


でも、立ち止まって考えたいことがある。


それはやっぱり時間を取らないと難しい。特別に時間を設けないといけない、じゃないと結局は日常の煩雑さにかき消されて過去は消えていく。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。