カギをなくすということについて

さて、僕の知り合いが読んでくれているのでご存知の方が多いのだが、僕は忘れ物や落し物がめちゃくちゃ多いのである。財布に至っては、年に30回以上はどこかに置いてきては発見されたり、「置いてってるよ!」っていう注意を受けては、事無きを得るということを繰り返し続けている。


そもそもなぜそんなに忘れ物をするのかということについては、諸説あるのだが、やはり一番有力な説はADHDだから頭がとっ散らかってしまっていて財布の事を気にしてないからではないか、という説。

ちなみにお医者さんに診てもらったわけではないが、自分の周囲でそういう発達障害やらに詳しい人たちには「まあ典型的なADHDの人ですよね」と言われるし、便利なインターネットのADHD診断ではもちろん見事にADHDであると断言されているので、やはりそうなのだろう。


ADHDは、注意欠陥多動性障害とも呼ばれ、不注意(集中力がない・気が散りやすい)、多動性(じっとしていられない・落ち着きがない)、衝動性 (順番を待てない・考える前に実行してしまう)の3つの要素がみられる発達障害のひとつです。


ということであるが、注意力が欠けていて、衝動的で多動、となればまさに自分ではないかと思わざるを得ない。30歳まで人間とは普通はこんなもんであって、なにか考えればまず行動すればいいんであって、やらないとすればそれはやる気がないんだな、と本気で思っていたので始末が悪いのである。

一方でカギを閉められないとか、忘れ物がめちゃくちゃ多いとか、そういうネガティブというか生活に直結した困り事はきちんと一通り何回も何回も、繰り返し失敗してきたが、なんかなかなかうまくいかないなと思っていた。



そういうわけで、今日は家のカギを落とした。



東京の家のカギは、カードキーみたいなやつで、合鍵をつくって増やす事もできないので、失くすと非常にめんどくさい事になる。そして特殊な鍵なので、それを再発行するか、鍵をつけ直すかするとなると、普通の鍵の付け替えよりもずいぶん高いお値段になってしまうのである。


そして困った時のために最大3つまでは失くしても大丈夫になっていたのだが、いよいよ本日この3つめの鍵まで旅に出てしまった。ああ。。。

いよいよ面倒臭いこと、そして無駄な出費がかさむことになってしまった。


そもそもなんで鍵なんかかけないといけないのだ。

鍵なんかかけなきゃいけないのは、自分の家でもないのに勝手に入ってくるような人がいるから、わざわざ自分の家に入って欲しくない、と思う人がかけるものである。

ただ、もうもはや世界中は鍵社会である。どこもかしこも疑いの世の中であり、他の人が自分のお宝・財宝・大切なものたちを奪おうとするんではないかと守るのに必死である。なんてこった、信じられない社会である。


それが当たり前だなんて、なんて嘆かわしいことだろう。

そもそも人の家に入るんじゃない。人のものを取ろうとするんじゃないよ。何考えているのだ。自分のところにあるもので満足して生きていなさいよ。

もしくは、もう誰のものとか言うな。ぜんぶ誰かのものってことにしてしまって、もう全部シェアさせてくれ。

例えばもう、カサとか何十本無くさなきゃいけないのだ。あんなもんは、雨の日にはどっかにざーっと用意されて、それをどっかにポーイと返せば乾燥してもらえて、それで成り立つようにしてくれたまえ。もう自分のものなんかいらない。持っているから失くすんだ、もうやだやだー。


と、まあ一般的には「アホなことを言ってないで、失くさない対策をしろ」でおしまいなのであるが、そりゃわかっているが、それでも失くしちゃうんだからどうしようもないのである。困ったものなのである。

丹波の我が家は一応、玄関は閉まっているものの、基本的にはギチギチに鍵を閉めて出ることなどまずない。これでも玄関の鍵が閉まっているだけでも対した進化である、前はそれすらかけなかったのだから。


田舎の良いところは鍵をかけなくても済んじゃうようなところだろう。

それでも田舎にも最近は窃盗チームみたいなものがやってきて、なんか随分手荒な感じでものをとっていく輩もいるようなので、本当困ったものだ。

自分のもので満足するか、諦めて自分のものなどないシェアの社会にするか、もうどっちかにしてくれほんと。とにかくカギなんか失くしても困らない社会を心から切望している。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。