まじで覚えてられない

恐ろしい短気記憶力のなさだ。4月2日はオカンの70歳の誕生日で、電話の一本でも入れようと朝には思っていて、忘れずに電話しようと思っていたら、いつの間にか12時間すぎてた。ぎゃー、気づいた時にはオカンはご就寝。


思えば、就職した時も本当にひどかった。とにかく電話の折り返しがめちゃくちゃ苦手で、いま電話したらいいのにしなくて忘れたり、電話はしたんだけど相手が出なかったので改めてかけるのを忘れてしまったり。そのせいで顧客が、ウチを大事にしてないと感じさせてしまって営業担当を変更されてしまったりしたこともあった。ああ、今思い出してもギュッとなるねー。

瞬発的なひらめきにはそれなりに優れていて、しかもそれがプラスティックのパズルのピースがカチカチと音を立ててハマるように、戦略と筋道と計画を伴って成り立つときがある。それが好きだし、それが得意だなと感じる。

ただせっかく思いついたアイディアも、本当に覚えていられない。ナイスアイディアのうち実現したものは、タイミングがたまたま重なって、うまく運んだものだけで、それ以外は潜在意識下にさっさとお蔵入りし、どこか違う世界で実現するサポートをしているのではないだろうか。


でもまあ、忘れていられるってのは、まあ悪いことばかりでもない。

かなりイラつく思い出もそうそう覚えていられることはないので人をいつまでも恨んで怒っていることもないし、誰かに優しくしてあげたとか、何かを恵んだとか、なんかいいタイミングでいいことを言ったとか、まあこっち側については一切覚えてないと言っても過言ではないから、恩着せがましさとは無縁で暮らせるのが強みだ。


この生来の忘れっぽさ。対処するにはその場で、もしも忘れてしまっても、必ず思い出せるようにすることだ。自分がこの先に何をするのかを行動予測までして、そこで自分がリマインドとして気づけるメモを置いておくとか、まあアラームでもいい。でもアラームをかけ忘れたら終わり。忘却の彼方へ飛んでいって、時空を超えて戻ってくることはほとんどない。


もちろん悪いことばっかりではないが、いやいや結構大変だ。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。