ポンコツを誇れよ、同志たちよ

未だについつい必死こいて帳尻を合わせしまうクセがありまして、よろしくないなーと思っております。ない燃料をどっかの回路を燃やして燃料にするようなことをしているんだから、つぎの日あたりに苦しむわけですから。

ですが根本的にはご存じの通りポンコツでありまして、忘れ物、忘れ事、ダブルブッキング、書類出せない、公共料金払い忘れる、部屋が片付けられない、整理が出来ない、詰め込んでとっ散らかる、焦るけど気分が乗らないと進まない、気分が乗らないと先延ばしにする、ぜんぜん気分が乗らないから先延ばしにしまくる。


そういう自分が情けないな―と思って落ち込むことがありますが、思うけど落ち込まない時もわりとあります。それは「そういう姿を見ると安心します」という非常に優しい言葉をかけてもらえたことをきっかけに、


「あれ、これでもいいのかもしれないな、なんだもしかすると、これ僕はこのままでええんちゃうか、いやそもそも僕はこのままでいるとみんな幸せになるで、ありがとう自分。」


とまで思えるようになったあたりです。ここでは、情けないなと思っていますが、いやしかし、これで情けない奴じゃなかったらまあまあイヤミじゃないだろうかむしろ、と思うところもあるからです。


なんでしょうか、この世の中にはノルマのようなものがふーわりと漂っているような感覚があるんですね。


果たせないものもあるけれど、テスト・通知表の成績、受験、就職、結婚、孫を見せる、昇進、家を買う、保険をかけて安心させる、車を買って旅行へ、定年する、地域の役をやる、穏やかに文句言わず死ぬ。


まあこんなものでしょうか。


そのなかで途中まで頑張っていたような気がします。孫を見せるあたりまで頑張ってたけど、やっぱり途中で「そろそろいいかな、もういいかな」という気持ちになってたような気がしまして、ビジネスマンコースからドロップアウトして、新しい暮らしを始めたわけですが。

それまでもビジネスマンコースでは、本当に総合的な能力と言いますが、全方位的な防御力が極めて低い自分は、事務能力のなさ、フォローの弱さ、配慮のなさ、ふろしき畳めなさ、などいっぱいうまくいかないことをしまくってきたけれど、必死でなんとかごまかしてきたように思います。疲れた。


ドロップアウトしてから、地域で暮らすようになってからは、自分で自分の責任をある程度は取れるようになっていったので、生きるのは随分と楽になったように思います。

それでも離婚をしたときはけっこう悲しかったし情けなかったですね。世間にもどうしようもない人間だと思われるんだろうなあ、あーあ、と落胆していたことを思い出します。今となってはどうでもいいことになりましたが。


もはやノルマをきちんとこなせるような暮らしは、仕事においても、家庭においても不可能かなあ、だめだなこんなポンコツ野郎は・・・と思っていたけど、思ったより世の中は冷たいこともなく、割と優しかったです。

わざわざ自分で自分を責めている人間を、さらにもう一太刀斬りこむような人たちはあまりおらんのと、みんなそれなりに辛い時にどんな気持ちでいるのかを知るオトナが多いからこそ、いろいろと支える言葉をくれました。

自分の情けない姿をちゃんと見せることは、人に支えてもらう大切な要素だと知りました。


そしてまた、自分の情けなさを隠してても仕方ないから、もういいや言ってしまえばいいのだと開き直ってから感じたのは、むしろそこから信頼をしてもらえることがあるという不思議な感覚に気付いたことでした。

痛みを知っているのなら、この話をしていいかもしれない、と思ってくれたのだと思いました。

実感を伴う痛みのない人には、自分の痛みを共感してくれる優しさを備えているようには思えないと、人は本能的に知っているから、自分が経験してきた痛みと、その内訳を明確に伝えることで、ならば自分の痛みもひとつ共有してみようという気持ちになってくれるものなんだなと思いました。


それでも世の中のポンコツたちは誤解をしています。


必死で弱さを隠さねばならぬ、と。

自分の情けなさを知られてはならぬ、と。


でもそれは違うなと思うし、弱みを出せよと、情けなさを出していこうぜ、とあえて言いたい。世の中はあまりにもそうした条件付けが過ぎる。

これこれをしたからここにいていいよ、という気持ちでしかいられない場所なら、もう離れてしまおう。そこはもう辛いだけだ、そんな我慢比べのような場所にいるくらいなら、そこじゃなくても生きれる場所に行けばいいということを知ってほしい。大丈夫だ。


弱みをさらけ出して、「ああ、情けない奴だな」という人たちとは離れてもらえたほうが長く生きていくうえではラクチンだ。

そして楽をしても、苦しんでも、生きて死ぬ時間は等しくやってくる。

苦しんだからあなたは死ぬ間際に最高な状況になるのだとはだれも補償はしていないのだから、自分に与えられた嬉しい状況になる権利を行使していこうぜ、楽でいいんだぜ。弱みをさらして生きるんだぜ。すげえ情けないぜ。


だからこそ、そんな人が生きていてくれて、生きやすいです。

ありがとうございます、と言われるようになればしめたもの。


そんな世界もある。だからポンコツを誇ろう。

情けないけど、これを誇れなければ辛いばっかりだ。

与えられた、人がやさしくなってくれる才能を、いかんなく発揮しよう。

やさしい世界をつくるためには、そのポンコツさが必要だ。


そう思う。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。