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巨大な誕生日プリンをもらう

明日は誕生日です。投稿しているいまの時間ですと、あと1時間くらいで42歳のおっさんとなりますが、相変わらず精神年齢は低いような気がします。

15年ほどマジメに勤め上げた会社を辞め、人生を味わうことを楽しみ始めた友人がいまして、彼は最近ずっとカレー、プリン、コーヒーを自分の好きな味に近づけていく楽しみを覚えて人生に彩りが加わったように見えます。

そんな彼が愛知県からわざわざ誕生日の近くに遊びに来てくれて、巨大な誕生日プリンをつくってくれて、シェアハウスのみんなと一緒に食べました。

もともと彼は、「硬いプリンも好きだし、柔らかいプリンも好きだけど、その両方を備えたプリンをつくりたいんスよね」と言っていました。

それを聞いたときは、「どういうことだろう?」とあまり意味が分かっていなかったんですが、今日直径30センチくらいの大きなプリンを食べて、意味が分かった。外側や表面は火が強く入るので、少し硬いけれど、真ん中に近づくにしたがって火の入りが少し弱まり、その分プリンは柔らかくなっていたのだった。なるほど!!これか!

硬くて柔らかいなんてことできるんだろうかと思ったけど、できてる!

「これっすね!?」って言うと、「面白いでしょ??」って微笑んでいた彼の嬉しそうな顔は、働きづめだったときには全く見られない顔だったので、つくづく真面目に働き続けていた人生を大きく転換したことは、彼にとってすごくいい選択になったんだなあと思って嬉しくなりました。

プリンも嬉しかったんですが、こういう人生の変化に立ち会えることこそが一番うれしいプレゼントだと感じます。

人生も十分に中盤に差し掛かってきていると思います。人によっては42歳なんかもう終わっていると思っている人もいるかもしれません。同い年くらいの人が突然死したり、病気になって亡くなったり、事故死したり、自殺したりと、いろいろと人の人生の儚いことを感じざるを得ないことに出会う機会が増えてきました。

中盤とか言いながら、急に死んじゃったとしたら、今日は実はもうめっちゃ終盤だったのかよって思うかもしれないし、そんなこと思い出す暇もなく死んでいくのかも知れません。でも、いずれにしたって、こうして巨大なプリンや僕が喜ぶんじゃないかとプレゼントを贈ってもらえたこと、そして日々の感謝を伝えようと僅かばかりのギフトを渡したことは、ひとつ小さいけれども大事な思い出として刻まれていく気がします。

最近いっぱい食べていて、今日もいっぱい食べて、ここにきて過去最重量を更新してきていると思いますので、そろそろ痩せる習慣をつけていこうかなと思います。でもお腹いっぱいもとても嬉しいことだ。ありがとう。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。