早くないが着実にやっている

これまでとは違い、動きが随分と変化してきた。まったく目的地に向かって急いでないということ。なぜなら目的地に行くことよりも、今日の過ごし方を最も大事にしているので、目的地を優先して無理をしたりすることがなくなって、結果的には必ず少しずつは動いているけど、かなりゆっくりであることが増えてきたように思う。しかもそのほうがなんかいい。

なぜなら、そのほうが実は人が一緒に動いていけるから。これまでの進め方はすごく思いついてから行動して実現するまでがあまりにも早過ぎて、タッタカターとさっさとひとりで走ってしまっていたような気がする。

でも今も別に誰かに合わせて走ろうというわけではなく、少しずつ興味のあることを味わいながら進めていくうちに、観察することや呼吸することなどに興味が湧いてきたので、その場その場で立ち止まることが増えてきた。

いまは苦しいし、しんどいけど走ろう、とかはなくなってきて、しんどいときはさっさと休んで、やる気が出ないときは何もしなくて、動きたくなったら動いて、眠たくなったら眠るっていう感じになってきた。それくらいのペースでやってたら、みんなが関与する余地がいっぱい生まれてきた。そして僕はやらないでいたら、みんながやれるようになってきて、そのうち自分でさっさとやるよりも全然早く、多様にも、大きくもやっていけるイメージも随分と湧いてきた。

ずっとこんなペースでやってこればよかったのか?というと、多分それは違うだろうなと思う。自分もみんなも変化してきて、徐々にそのペースが合致してきているのだろう。それに、好きなことをタッタカターと早いことやってきた時代があるからこそ、今の自分があって、そうしていまの周りの人たちとの出会いもある。だからここに至るまでに必要な道を歩いてきた。


とはいえ、これもまたプロセス。僕の目下の関心ごとは、庭木の伐採だ。これは伐採なのであって、剪定といった残すためのものではなく、庭木をしっかりと減らすための行動。昨日も今日もずいぶんと伐採が進んできていて、人生でも珍しい断捨離モードに入りつつあります。

これまではなかなか手放すことができなかったんだなと思います。そこから徐々に要らないものをどんどん手放し、本当に必要なものだけ残すような、そういう暮らしにシフトしていける可能性を感じています。

不思議なことですが明らかに心境が変化してきています。するとここから見える景色はかなり変わっていきそうです。たのしみ。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。