ひいじいちゃんの仕事を知る

じいちゃんは市議会議員だったという話は、自分が30歳で市議会議員になった時に知った。そういえば、ポスターがあったなあと思っていたが、ちっとも気づかなくて、自分がなってから、じいちゃんも市議会議員だったのかと思ったのでした。

さて、今日はひいじいちゃんが「大工」だったということを知りました。

そもそも親戚のおばちゃん(父親の従兄弟)が天台宗の尼さんであるということは知っていて、今日はそのおばちゃんと久々にお会いし、しかも直接で二人で話をするというのは人生で初めてだった。前にお会いしたときは大学生だったか、なんてくらいの頃だったと思うから、もうずいぶんとご無沙汰していたものである。


先日から続けている、両親と話そうという企画を続けていくうちに、我が家ったらどんな歴史があるのかしらねーって話に少し興味が湧いてきたのでした。おじさんかおばあちゃんのどちらかが手書きで残してくれた家系図は、字が達筆ながら、印刷が薄くなってたりしてところどころ読めなくて困る。だけど、あるだけマシだ。

ここから手がかりに自分の家系について色々と考えていけそうである。ちなみに、我が家の家紋が判明しまして「丸に抱沢潟」ですって。意味は知らない。

ちょっとずつ歴史を調査していくことができそうです。徐々に進めていきます。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。