くわな100人会議準備会

「実家は三重県桑名市です」
という言葉を人生で300回くらいは言っただろうか。

僕の実家は三重県桑名市で、三重県立桑名高等学校を卒業するまでの18年間はずっとそこで暮らして育ってきた。実家を離れて暮らして、24年も経過することになったが、4年間は京都で、6年は大阪で、14年を丹波で過ごしているということになる。もうすぐ丹波での暮らしが実家で暮らした期間を超えるかもしれないが、それでも故郷は故郷である。

おそらく今よりもずっと世界のことを新鮮に見ていて、なにが出来るかもよく分からないし、なにがしたいかなんてことを考えることもなく、ただただ何をさせられているのかも分からない暮らしを、そういうものだと思って暮らしていた。そういう日々がそこにあったと思う。

故郷を離れてずいぶんと時間が経過し、今年の1月にうっかりと出会ったおじさん達とのご縁で、桑名市の中でいろいろと企画をしていたりする人たちとようやく人生の中盤で出会うことが出来た。丹波ではよっぽど出会っているような人たちが、なぜ桑名でこんなに出会わないのかと思っていたが、やはり僕も桑名では普通の暮らしをしていて、実家に帰ったからといって、何か面白い企画をしようとしていたわけじゃないし、ただ懐かしい景色を見て感慨にふけっていたり、昔の自分と今の自分の感受性の違いを確かめる装置にしか使っていなかったんだろうなと思う。

そうして、いまご縁が生まれたことで、自分が丹波でいろいろと経験してきたことを桑名のまちづくりやら人とのかかわりでも十分に活かせていける道が見えている。もちろん、丹波は丹波だし、桑名は桑名だから、同じやり方が通用するわけではないし、同じやり方をして再現したって面白くもなんともないというのは前提としてある。しかし、人はやはり人だというのもまた事実だと思うし、話せば分かるし、埋もれて見つけられなかったご縁を掘り出すのには、故郷というのは面白くて仕方ない場所なんだなということを実感している。

今日もそういう話をする機会をzoomで行い、GWに出会った人たちと改めてお話をしてみて、高校の同級生で今も仲良しな友人の、中学時代の同級生だったということが判明してワイワイと盛り上がった。こういう、確かめることもなく見えてこない、まさに埋まってしまっているご縁というものは、時間をかけて話している中で、うっかりと発掘されて、宝物のように輝きを放ち始めるから面白いし、人生の豊かさを味わう機会にもなる。これまでの関りがあるからこそ、楽しい、嬉しいと思える不思議な出会いだからだ。

僕がこうして体験したような感覚のうち、すべてではないにしても、いくらか同じような嬉しさ、楽しさを感じてもらえる機会を、一緒に故郷で時間を過ごした人たちにも提供出来たらいいなと思う。そうすることで、桑名を離れている人たちにとっても、桑名にいまも変わらず住み続けている人たちにとっても、桑名をより愛すべき街だと思う想いの総量も増えるはず。

そんな機会をつくるような、温かく、ゆるいつながりが生まれたから、ここからゆっくりと育んでいこうかなと思っている。少しずつ。焦らず弛まず。これはずっとやってきたことだ、大丈夫。続けると良いことがある。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。