負けるが勝ち、弱みが価値

生きていると、普通に生きているだけで「あとちょっと頑張るとすごいよ」なんていう誘惑がやってきまして、すぐそれに引っかかって、ついつい頑張りたくなるものです。だって自分に価値があるのとないのと考えると、やっぱ価値があるほうがいいんじゃないかと思うから。無理もない。


そういうわけでエンジンがかかって、調子よく頑張っていると、成果が出ることもあります。そしてその頑張っている領域から、いつの間にやら降りることが難しくなってくることがあります。

「すごいですね、憧れます」なんていう言葉なんて無視できればいいのですが、意識なんかし始めるとろくなことがありません。さて格好悪い姿を見せるわけにいかなくなっちゃったぞ、どうしよう、ああもっと頑張らないと。


組織的なポジション、社会的なポジション、いつの間にやら肩書がついてきたと思ったら、それなりの振る舞いが求められるような場に呼ばれるようになってきたりして、いつの間にやらそこに適応しちゃおうとするのが人というものです。あれれ、いつの間にやら立派な大人の振る舞いをしたりして。

なんでこんなことになっちゃったんだろう。ただただ普通に過ごしているだけより面白いことがあればいいな、なんて欲張っちゃったから、いつの間にやら他の人が勝手に自分のイメージを作り上げて、そのイメージを外せないなんていうことを自分でやっちゃって、外に出るのも苦しい。オエ。


ということが、頑張り始めて結果が出て、しばらくすると起こってきたりすることもあるでしょう。


そんなときには「負けるが勝ち、弱みが価値」ということを、どこかで言ってたな―なんていうことを思い出してみてほしいのです。

いつの間にそんな素敵さんを振舞うような人になっちゃったのかなー、ほんとは家で寝る前に心地よく屁をこいて寝ているだけの、大したことない人間なのにな。なんでこんなよくわからない重圧に押しつぶされそうになっちゃっているんだろう、なんてしんどい思いをしそうなときにこそ。


弱音も吐くべきだし、情けない姿も見せるといいし、必死になればいいし、あたふたもすればいい。一生懸命やって、なんかうまくいかないなー、あーどうしよう、困っちゃったな―、こんなやつなんですよホントは!!!って思ってても、一旦ある程度の成果が出ちゃっているから、信じてもらえなくなっちゃったりするから余計にポンコツぶりは伝えておかないといけない。

100戦100勝なんてすごいことだけど、さっさと一敗しちゃって、勝っても負けても別にいいんだけど、いい勝負ができたらいいなという領域でゴキゲンよくやっていた。

もちろん伝説になるのなら、負けちゃいけないのかもしれないけれど(笑)


多くの人が伝説にならなきゃいけないわけじゃなくて、ご機嫌よく暮らしてたまに素晴らしいことも起こったりして、でもしょーもない部分ももちろんあって、みんなそれを理解してくれて、それでも離れずにいてくれる。

そんな風な安心の中で、成果が出るとか出ないにかかわらず、その場所には自分がいてもいい場所があるんだぜって、ちゃんと嬉しい誇りを持っている暮らしをして、生きていけばいいんだと僕は思うのです。


スーパーマンになったらなったで、すべてのアドバイスは「すごいな」と思うだけで、「でもスーパーマンだから言うんだな、すごいな」とかいって、全然取り合ってくれないことも生まれちゃうかもしれません。

身の丈に合ったことで喜び、悲しみ、すこしずつ嬉しいことが積みあがっていく暮らしのなかで、ちょっとだけ当たり前を続けるだけでも思ったよりもすごいことが起こったりするものです。普段はポンコツな暮らしの中で。

そんなとき、「え、めっちゃ普通な人だけど、すごいな。だったら私もやってみたいな!」という風に思ってもらえる人のほうが、ほんとよっぽど影響が大きいと思うのです。身の丈にあった、普通の暮らしの中に変化があることをリアルに伝えることが、本当に人が変化するストーリーだと思うから。


あと弱みが明確で、もうどうしようもない感じで、しゃーないからもう手伝ってやるよホントに。っていう感じで人が巻き込まれていくほうがよっぽど素敵だなーって思ったりもします。みんなに感謝してどんどんプロジェクトが進んでいくような、そんな感じが楽しくていい。今の時代なんかとくに。


そして何よりも、純粋に楽しんでいる姿がいいのであって、人の期待に応えるのがすでに苦しいのに、無理やりキラキラしてる自分を偽るなんてことに時間を割くのは、時間が勿体なかったよなーなんてことは、後になって気づくことかもしれないのだから、知っていたらやる必要ないよなと。


まあ、なんせ自分で自分の首を絞めることなく、気楽にやりましょう。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。