かかったらお陀仏

オカンとメッセをしていて「志村けんが死んでしもたな、悲しい」という連絡をしたところ、「私らもかかったらお陀仏やわ」と返信がきました。

さて、もうすぐあと数日で誕生日の母も、先日に誕生日を迎えた父も、69歳でして、僕が子供の頃からずーっと愛煙家で過ごしております。肺の疾患でどうこうなったという話は聞いたことがないものの、年齢的にも、蓄積した喫煙量を想像しても、たしかにまあリアルにお陀仏やなと思えるのでした。


数日前に、「志村けんさんがコロナウイルスにかかって入院し、一時は重篤な状況だったが、今は小康状態」なんていう報道を聞いて、なんとか助かるみたいでよかったよかった、なんてノンキに思ってたら、今朝の報道で急転して、昨晩亡くなってしまってたと。

テレビでいつも、ふざけているか、笑っているか、という顔しか見せない人が、世界を巻き込んだ感染症で亡くなるというリアルさ、笑えなさ、が不安というか心配というか、なにせ目が覚めるような急速な自粛ムードの高まりを加速させた感じがしました。

誰もこんなふうに悲しいことは望んでいなかったけど、この事実が明らかに楽観的なムードを吹き飛ばし、警戒させることにつながったと思います。


きっと今日のうちに、親に連絡した子供や、子供に連絡した親が増えたのではないかと思います。ずーっとただごとじゃなかったけど、本当に本当に、ただごとじゃないんだってことが明確になり、不安で心配で、なんとなく近しい人の安否を確かめたくなる気持ちが高まった日になった気がします。


わりと矢のように過ぎる忙しい日々に追われつつも、基本的には「今日ぼくが死ぬとしたら、ぼくはそれをどう感じるかな」ということをいつも考えています。ネガティブなわけじゃなく、なんか自然とそういうことを考えていて、だからこそ、今日とても大切にしたいことをしておこうと思えるので。

それでも、こうした不安なことが世の中に蔓延しているとき、もう会えなくなるという可能性が、いつもあるのだということを意識させられます。周りで急に自殺してしまった人が、この数年でも何人かいます。急病で亡くなってしまった人もいます。

だからネガティブなわけじゃなく、それは実際に起こっている事実から自然とそう考えざるをえないからそうしているんだなと思います。人の命は、訳もなく、いきなり消えて無くなるって、何回も直面していれば、それは自然とそうなる日に備えて気持ちを準備しておきたいものだなと。


今回のウイルスは、若い人や、免疫力が高い人や、呼吸器系に悩んだことが少ない人にとっては、症状が出てもかなりしんどい風邪ぐらいで回復をすることになる可能性が高いようです。

ですがウチの両親や、また二人の兄貴たちのように日々タバコをたくさん吸っていたり、僕と兄貴なんかも「喘息」の発症経験があるので、親父が展開している「横田家」は呼吸器系にはかなり不安な自覚があります。

年齢的には僕は37歳(かなりオッサンになってきましたな)と比較的若い方です、というか、家族では一番末っ子ですからね、ええ。


それでも、まあ運が悪ければ、みんな「かかったらお陀仏」です。


ちなみにお陀仏ってのは。

《往生際に阿弥陀仏 (あみだぶつ) の名を唱える意から》
1 死ぬこと。「この高さから落ちたらお陀仏だ」
2 物事がだめになること。また、失敗に終わること。「計画がお陀仏になる」


往生際(死ぬ間際)に阿弥陀仏の名を唱える、からお陀仏。浄土思想からの新しい日本語が生まれているんだなってことがわかります。いやーそれだけ浄土思想の仏教が浸透してきた、日本式の独自の進化を遂げた仏教が生活に馴染んだ国なんだなと思う。


いや思うんです。ただ。


もともとこれ「南無・阿弥陀・仏」なのですよ。

簡単に言うと「信じます・阿弥陀・仏さま」なんです。

それはけっこうマジメな話で、阿弥陀仏が仏になる際に「せめて自分の名前を10回でも口にするものを、私がつくる極楽浄土で仏として生まれさせることができないなら、私は仏にはなりませんからね」ってそういうかなり思い切った誓いを立てて、この「南無・阿弥陀・仏」という言葉は成立しているわけなんですけども。

それが「御・陀・仏」ってのはなんとなくおかしいんですけどねえ。「いたる・さん」だとすると、それはつまり「御・る・さん」ですよ。名前が端折られ過ぎて「る」になってるわけですよ。

それ、敬う気持ちで「御」つけたとしても、「る・さん」と言われてもそれは果たして自分のことかいなと思ってしまいますがどうなんでしょうね。


いやもうほんと、それはもうほんっとに、どうでもいいか。


なんせ、ぼくや大切な人がお陀仏のときには、ちゃんと南無阿弥陀仏と唱えられたらいいな。われわれは必ずいつかお陀仏するもんだからね。

ただ一度もお会いしたことがないけれど、子供の頃から何度も大笑いさせてもらってきた志村けんさんが亡くなってやっぱりほんまに寂しいですね。

なんか、ほんと精一杯生きようと思います。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。