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ビデオゲーム史研究:「Appleとビデオゲーム」をめぐる歴史

本稿を執筆している2023年秋、ビデオゲームとApple製品をめぐる動きが活発化してきています。

2023年9月には、『デス・ストランディング』や『バイオハザード ヴィレッジ』といった、据え置き機向けのAAA大作がiPhone 15 Pro向けに発表されました。また、Apple幹部であるJeremy Sandmel氏は「iPhone 15 Proは最高のゲーム機になる」と語り、アピールを強めています。

iPhoneやiPadの「App Store」は、間違いなく、Appleが有する巨大なゲームプラットフォームですが、従来型の据え置きゲームとなると、現状のAppleの存在感はそれほど大きいものではありません

しかし、歴史を振り返ると、Appleとビデオゲームの間には浅からぬ関係がありました。本稿ではこれらの出来事を整理し、「Appleとビデオゲーム」をめぐる歴史を辿りたいと思います。


「Apple II」で花開いたビデオゲーム文化(1970〜80年代)

1977年にApple Computer(当時の社名)から発売された「Apple II」は、世界初のカラーグラフィックスを出力できるパーソナルコンピュータ(PC)です。本機の登場を以て、本格的なPCの歴史が始まりました [1]。

 Apple II
Photo by FozzTexx, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

Apple IIは「個人が所有するコンピュータ上で、カラーグラフィックを備えたビデオゲームが遊べるようになった」という点で、ビデオゲームの歴史においても記念碑的存在といえます。

それまでも、イリノイ大学を中心としたネットワーク「PLATO」上に構築された『ウブリエット』や『アバター』などのビデオゲームが存在しました。これらの作品は、テーブルトークRPGの世界をコンピュータ上で表現していました[2]。しかし、そのアクセスは大学関係者や研究者に限定されていました。

「PLATO V」端末(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ed/Platovterm1981.jpg)(Mtnman79 [1], CC BY 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/3.0>, via Wikimedia Commons)

そのような状況を打破したのがApple IIで、数多くのビデオゲームの名作が生み出されました。

シングルRPGの初期の名作として名高い『Wizardly』と『Ultima』の第1作目は、いずれもAppleII向けにリリースされました[3]。他にも、初めて本格的にグラフィックが導入されたアドベンチャーゲーム『Mystery House』[4]、『Castle Wolfenstein』『Lode Runner(ロードランナー)』『Karateka(カラテカ)』[1] など、数多くの名作がApple II上で生み出されました。

Apple II版『Ultima』のタイトル画面(https://www.mobygames.com/game/8812/ultima/screenshots/apple2/

このように、1970年代後半から1980年代当時Appleは、ビデオゲーム文化が花開いた、ホビゲーマーにとっての一大聖地でした。

「ピピンアットマーク」とその失敗(1990年代)

1980年代後半から1990年代に入ると、Appleの主力はそれまでのApple IIからMacintosh(現Mac)へと移ってゆきました。Macintoshにおいても、Apple IIのオリジナル版から1987年に移植された『Might and Magic I』[3]や、1989年に他機種版と同時発売された『Sim City』など、数多くのビデオゲームが発売されました。

ただし、この時代における最大のトピックといえば、やはり「ピピンアットマーク」を置いて他にはないでしょう。

ピピンアットマーク
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pippin-Atmark-Console-Set.png

ピピンアットマークは、バンダイデジタルエンタテインメント(バンダイの子会社)とAppleの共同開発によって1996年3月28日に発売された、マルチメディア情報端末です[4]。

ハードウェア自体はMac(Power Macintosh)そのものであり、当初は「初めて使う入門用Mac」という企画で開発が進められました。しかし、バンダイ側のそのような企画意図と、自社ビジネスとの競合を恐れるAppleとの間で軋轢が生じ、最終的には、Macとの互換性はほとんどなくなってしまいました。

それでも、「ゲームを含むさまざまなCD-ROMメディアを楽しめ、簡単にインターネットに接続できるマルチメディア端末」として訴求できるはずでした。しかし、1996年はまだインターネット黎明期であり、回線契約や料金体系など、さまざまなインフラが未だ整備途上でした。

さらに、さまざまな周辺機器を買い揃えると、結局Macの廉価モデルと同価格帯になってしまうことも災いし、販売不振に陥りました。最終的な出荷台数はわずか7万台で、「世界で最も売れなかったゲーム機」としてビデオゲーム史にその名を残すことになりました。

当時のAppleは、他社製Macを容認するなど多角化戦略をとっており、ピピンアットマークもそのような戦略の一環でした。

Appleがどの程度ピピンアットマークに本腰を入れようとしていたのかは定かではありませんが、かりにAppleがもっと本機の開発に力を入れていれば、Appleとビデオゲームの未来は変わっていたかもしれません。

「iPhone」の登場と「App Store」の隆盛(2000年代)

2000年代のApple、それは2007年に初代機が発売された「iPhone」の存在を抜きにして語ることはできません。それまでの常識を覆した画期的な製品で、世界中にスマートフォン(スマホ)が広く普及するきっかけを作りました。

奥から、初代iPhone、iPhone 3G、iPhone4(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e4/Original_iPhone_-_iPhone_3G_-_iPhone_4_-_Flickr_-_Yutaka_Tsutano.jpg)(Yutaka Tsutano from Lincoln, United States, CC BY 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons)

日本においても、2011年ごろからiPhoneを含めたスマホの本格的な普及が始まり、2012年後半からは全携帯電話販売数の70%以上をスマホが占めるようになりました[6]。

iPhoneの登場は、ビデオゲームの歴史においても大きな出来事でした。なぜなら、2008年に「App Store」が開始されたことで、企業・個人を問わず世界中の開発者が開発した(ビデオゲームを含む)アプリを、iPhone向けに販売できるようになったからです。これによりAppleは、ビデオゲームのプラットフォーマー(システムの提供者)として、大きな力を持つようになってゆきました

スマホ向けに開発されたゲームは、従来までのビデオゲームとはさまざまな点で異なっていました。典型的なものとしては「1.タッチ操作に最適化されたゲームデザイン」「2. 基本プレイ無料」という2点を指摘することができます。

特に「基本プレイ無料+アイテム課金」というビジネスモデルは、従来のビデオゲームとの違いを際立たせるものです。多くの人に気軽に手に取ってもらえる一方で、ゲームにのめり込むヘビーユーザーからは青天井にお金を徴収することができるため、従来のビデオゲームよりも高い収益を期待できるようになりました。

そして、Appleは、アイテム課金を含めたすべてお金の流れに対して30%(小規模事業者の場合は15%)の手数料を得ることができます。そのため、スマホゲームがApp Store上で隆盛を極めるほどに、その収益を積み増していったのです。

繰り返される「据え置き型ゲーム」への挑戦(2010年代以降)

前章でみたとおり、Appleはスマホゲームの分野において、プラットフォーマーとして大きな力を持つに至りました。それだけでなく、2010年代以降、Appleは、スマホゲームにとどまらず、従来型のビデオゲームに対しても、アピールや挑戦を繰り返してきました

その1:iPadの登場とiOS用Unreal Engineのリリース(2010年)

最初は、2010年に初代iPadが登場した登場したタイミングでした。2010年9月1日、Epic Gamesのゲームエンジンである「Unreal Engine 3」がiOSに対応し、技術デモ作品『Epic Citadel』が発表されました。これによって、「据え置きゲーム機のような本格的な3Dゲームが、スマホやタブレットでもプレイできる」ということが印象づけられました。

翌年(2011年)3月には次世代機「iPad 2」が発表されましたが、この発表会の場所と時間が話題を呼びました。というのも、発表会はゲーム開発者の会議「Game Developers Conference (GDC)」の向かいの会場で行われ、しかも、任天堂の岩田聡社長(当時)による基調講演と同じ時間帯に開催されたからです。

Appleがどの程度意図的だったのかは定かではありません。しかし、上の記事から分かる通り、人々はAppleによる既存のビデオゲーム市場への対抗意識の表れと受け取りました。

その2:「Apple Arcade」のリリース(2019年)

次にAppleが明確に既存のビデオゲームへの挑戦姿勢を見せたのは、それから9年後の2019年のことでした。この年、Appleは「Apple Arcade」というゲームサブクリプション(サブスク)サービスをリリースしました。

2019年は、ビデオゲームにとって大きな転換点となった(ように見えた)年でした。というのも、「Apple Arcade」だけでなく、Googleからはクラウドゲームサービス「Google Stadia」がリリースされ、「既存のビデオゲームのビジネスモデルが崩壊する」と取り沙汰されたからです。

当時、すでにサービスを開始していたXbox Game Passとは異なり、Apple Arcadeは「Apple Arcadeでしか遊べない独占タイトル」を揃えることで自らを特徴づけました。

ただ、ビジネスとしての成否はさておき、2023年現在、ゲーマー層におけるApple Arcadeの存在感は、十分とはいえません。坂口博信氏の新作RPG『Fantasian』など、大作がいくつもリリースされているのですが、それがうまくアピールにつながっていない印象があります。

その3:iPhone 15 Proのゲーム性能のアピール

本記事の冒頭で示した通り、2023年に他のiPhone 15シリーズとともに発表されたiPhone 15 Proは、「ビデオゲーム機としての魅力」が盛んにアピールされました。

発表会の中で「Gaming」というパートが設けられ、『ディビジョン』や『バイオハザード RE:4』といったAAAタイトルの発売がアナウンスされたのです。

モバイルデバイスの性能が向上してきたことを背景に、「従来は据え置き機やPCでしか遊べなかったゲームが遊べる」とアピールするのは、2010年の状況と似ています

ただし、今回は「Apple自身が強くアピールしている」という点で、従来とは異なるフェイズに入っていると言えるかもしれません。

おわりに

本稿では、2023年9月に発表されたiPhone 15 Proをきっかけにして、「Appleとビデオゲーム」というテーマで、その歴史を紹介しました。

こうして歴史を振り返ると、Appleは「つねにビデオゲームと一定の関係を維持しているが、自身が積極的にビデオゲームメーカーになったことはない」という特徴的な傾向があることがわかります。この点で、Xboxを擁し自身も大手ゲームメーカーであるマイクロソフトとは大きく異なります。

個人的には、特にApple Arcadeの今後の動向に注目しています。iPhoneが高いゲーム性能を獲得することになったことを背景に、例えばAAAタイトルがApple Arcadeのサブスクに多数追加される、といったテコ入れが行われると面白そうです。

最近、ポータブルゲーミングPCが人気を博していることからも分かる通り、場所を問わず遊べるモバイルゲーミングには強い需要があります。Appleが今後、この分野にどのようにコミットしてゆくことになるのか、楽しみにしています。

参考文献

[1] 柴田文彦(編著)、Apple II 1976-1986、株式会社毎日コミュニケーションズ、2004年
[2] 渡辺範明、国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか?、株式会社イースト・プレス、2023年
[3] The CPRG Book Project, The CRPG Book, https://crpgbook.files.wordpress.com/2023/10/crpg-book-expanded-edition_4.0.pdf, 2018-2023年
[4] 須藤浩章、加藤一(編集協力)、甦る 至高のアドベンチャーゲーム Vol.1、株式会社メディアパル、2022年
[5] 前田尋之(監修)、バンダイゲーム機 パーフェクトカタログ、株式会社ジーウォーク、2021年
[6] 小山友介、日本デジタルゲーム産業史 ファミコン以前からスマホゲームまで、人文書院、2016年

(了)

2023.11.02 Itaru Otomaru

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