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「アート」とは何か?

「○○ってアートなんだよね」
なんて言葉をよく聞くようになりました。「アート」と言う言葉は日本語として定着しているように思いますが、そこに込めている意味は人によって違っているかもしれません。そこをちょっと考えてみたいと思います。

何を意味しているか?

「アート」はもちろん英語から来ています。英語でいうArtを辞書で調べると、芸術、美術、技法、手腕、人為的技巧(自然のものに対して)、手管、学芸…などなど実に様々な意味が出てきます。
一般的にはアートと聞くと絵画や彫刻といった美術作品を思い浮かべるのではないでしょうか。

しかし、絵画や彫刻であれば、なんでもアートとなるわけではなさそうです。
アートを賛辞として使っている限りは他のものと比べて何か違うところがあるはずであり、そこが人によって違っていて、「アートなんだよね」という一言は「口では説明できない感性に訴えるもの」の意味で語られていることが多いように思います。
言うならば、それは単なる「美しさ」で終わらない何か、なのではないかと想うのです。

アートが引き起こすもの

絵画、彫刻、音楽、演劇…どんなアートも「表現」であると言えます。作者や演者の内側にあるものが外に表現されて見えるようになる。そこに人は美しさを感じたり感動したりして影響を受けます。アートとはそれを見たり触れる人にとって肯定的な影響を与える表現なのだと思います。

美術館で絵画展があったとして、ホールに掲げられている絵には作者と書いた年と画題がついていると思います。しっかりとした絵画展になると、その絵の描かれた時代背景や画家の生涯でどのような時期にあり、どんな心情でその絵が描かれたのかを想起させる解説がついています。
それらを全て読んだ上で、目の前のある絵に向き合うと、色彩や構図などの美しさとは違うその絵が語りかけるメッセージやストーリーが伝わってきます。作者が何をみてどのように感じながら描いたのかを追体験するのです。ヴィヴィッドに音が聞こえてきたり風を感じたりすることができるまでそこに留まり、作者の気持ちを探っていくと絵が表現している世界の中にどっぷりと入り込み味わうことができます。名画の前にずっと立ってる人、居ますよね…
絵画鑑賞の楽しみとはそう言うところにあると思います。

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もう少しわかりやすい例では、俳句や短歌があるでしょう。
万葉集でも芭蕉の句でも良いのですが、どのような言葉を選ぶのか韻を踏むのかなど以上に、その歌の詠まれた背景や詠人の心情を推し量って味わうのが嗜みであり楽しみだと思います。
句会や歌会では、同じ時空間を共有している分だけ、その場にいる人同士が自分の感じたものやそこから受け取ったもの、自分の中に湧き起こった感情(プロセス)が伝わってゆき、共感を生みます。

アートは「表現が人に影響を与える」ものだと書きましたが、それは表現が語り出す世界観が受け手の中にある世界(ナラティブ)と繋がって、受け手の中に何かを想起させることに繋がってるのではないでしょうか…
それを人々は「感動」と読んでいると思います。

匠というアート

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感動を生むアートにはいくつか分野もあると思います。
その一つが日本語では「匠」と呼ばれているものかと思います。

匠を敢えて英語にするとCraftmanship、つまりMeister(職人の極にいる人)と呼ばれるような人が作り出す技術の粋を尽くした制作物であり、その技量を指していると思います。魂込めて作られたものだからこそ、そこには機能面の美しさがあったり造り手のこだわりのストーリーがありますよね。

State of the artという言葉が英語でありますが、こちらは「最新技術の粋を尽くした」という意味があります。しかしそれも、なんでも詰め込めばいいというものではなく、最新技術が結晶のように一つの形に統合されているからの美しさであり機能美があります。例えば2007年に発表されたiPhoneなどはそういうものだったかもしれませんね。

芸というアート

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職人とかプロとかを考えると、その人の技能がオリジナルであり、他の人には真似ができない形で表現されているとき、その人は「達人」であり表現されているものは「名人芸」になるのではないでしょうか。

スキル(技能)とかコンピテンシー(能力)と呼ばれているものもそれが鍛えられ練り上げられながら、その人自身の内側から才能が泉のように湧き上がってくるように表現されていると、その人ならではの「芸」になります。

芸にはスキルであり、観察することができる行動として現れる型があるので、コピーすることができますし、身につけることができます。もちろん、簡単に身につくものではありませんが。少なくとも匠のように言語化できない感性や暗黙知とは違うものかもしれません。

それでも、もともとある型をさらに高次の表現に昇華していたり、表現者そのもの味付け(テイスト)やストーリーが加わると、それは感動を生み出すパフォーマンスになり得ます。

極致というアート

完成形、これ以上の上はないという最上級、言うなれば極致に到達したものには「美」があります。

美の極致、円熟の極致…
それがシンプルさであっても、柔らかさであっても、考えられる限りの頂点に達したもの、皆の心の中でまだ形になりきっていない理想を、形にして目の前に差し出された時、人々はそれにハッとすると共に、感動を覚えるのではないでしょうか…

私が想う極致のアートは、生き物の体の線です。
人間であれば、男性には男性の、女性には女性の体の線。豹やチーターのようなネコ科の動物の胴体の線、鳥の翼(風切り羽根など)や首から頭部への線…
これは生物が進化を重ねて到達した究極の形態ではないでしょうか。生き残るために、環境に適合するために最適の選択がされた結果、現代に残っている神がくれたデザインではないかと思えます。

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アートであるかを決めるのは…

ちょいと思い込めすぎかもしれませんが、私はアートという言葉に何か結晶化されたような凝縮された美による感動を期待しているのでしょう。だから、あまり簡単に「アート」と自分は言わないし、人から言われても簡単にそうだとは認めたくないところがあります。

というのも、アートであるかどうかはその表現を受け取った相手が感動したかどうかで決まると考えているからなのだと思います。
そして常に自問しています。勘違いで自己陶酔して勝手にアートにしてしまっていないか?アートだということにして、何か感性がないとできないように勝手に決めつけてしまっていないか?

でも…
自分の作る物はアートの域までもっていきたいですよ!まがいなりにもクリエイターなんですから!( ´ ▽ ` )/

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