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「ノリ」って何だろう

人が集まってお互いの気心を知るようになると、そこにはその集団でしか通用しない独特の「ノリ」が生まれます。

ノリが良いとか悪いとかは何で決まってくるのかは、本人たちにも良くわかっていないものであり、ひょっとしたらそれがあることすら気づいていないこともあるかもしれません。

この「ノリ」は、分解すると3つの要素(あるいは側面といった方が良いかもしれません)があるのではないかと私は考えています。
分解して考えるとノリの正体も浮かび上がってくるかもしれないですね。

ノリ(乗り)

「ノリ」が良いとか悪いとかいう時の「ノリ」はほとんどの意味がこれだと思いますが、漢字を当てると「」がつくはずです。
その場合の意味は、気が「乗る」、とか調子に「乗る」とか。
同調するような意味もありますので、音楽でもアップテンポな曲のことを「ノリの良い曲」と言ったりしますね。

音楽に乗ったり、調子に乗ったりは独りで行われますけれど、複数の人たちが「ノって」くる感じを英語ではGrooveって言います。なんだかノリノリで体が動き出しみんなで踊り出すようなお祭り気分かもしれません。
Grooveと言えば、有名な曲がありますけれど、この曲の感じがまさにそれですね。

Grooveという言葉は日本語にしにくい言葉の一つですが、山本眞人さんが宇宙卵を抱くという本の中で「共悦」と訳していて、名訳だなと思います。

ノリと同じように使われる人間関係の言葉に「ソリ」もあります。
性格や考え方が合わずどうもうまくいかない時に「ソリが合わない」と言いますね。
この「ソリ」は刀のことを言っていて感じでは「反り」になります。つまり、刀の反り方が鞘の反り方と合わず収まりが悪い。そこから気が合わず収まりがつかない様子を表すたとえになったのでしょう。
でも、「ソリが合う」ってあまり言わないかもしれないですね。

Grooveの意味でいう「ノリ」には人を巻き込んでゆくエネルギーのようなものがあります。それは調子やリズムのようなもので、頭で考えるよりも体が反応して動く感覚的であり感性によるものではないかなと思います、

ノリ(糊)

「乗り」が同じ調子やリズムに乗るようなものだとすると、その先にあるのがノリが持つ「糊」の効果ではないでしょうか。
同じノリを共有したことで人と人とが繋がることであり、効果ですね。

その最たるものが「祭り」だと思います。
祭りは集落で決まった周期で行われ、その時には様々な垣根が取り払われるものです。家族という集団を越えて他者と繋がり、地位などのランクは神の元にフラットとなり、集落を越えて人同士が繋がるきっかけにもなる、個人レベルでも集団レベルでも越境が起こるのが祭りの特徴ではないでしょうか。

そして個人の壁や集団の垣根を越えたところで共通の体験、共悦体験をすることで、それぞれの人が持つ心の扉が開いてその人本来の姿が表に出てきます。その状態だからこそ人と人とが心から繋がることになるわけです。
肩書きや役割を横に置いた、人間同士の繋がりがここでいう糊でありノリです。

組織で言えばPurposeの設定とかが人と人とを繋ぐ糊になりえますけれど、お題目では効果がありません。そのPurposeの元に集まる人たちが自分たちの役割や立場を横に置いて人間としてそのPurposeに向き合って語り合うことができれば、そこでPurposeは初めて糊でありノリを生み出せるはずだと思います。

ノリ(法)

乗りと糊によって人々が集まってくると、そこから先に人々を繋ぎ止め続け一つの方向に向かわせるために自然発生的に出てくるのが「法」と書くノリです。他にも「則」とか「矩(矩尺からきてるらしいですね、手本という意味です)」とかの文字で表すことができます。

人々を縛る、統制するのが法の目的で、「乗り」がアクセルだとするとこちらはブレーキのようなものでしょう。
でも、物事の道理や摂理、公序良俗のようなものではなく、その集団でのみ通用するものです。明文化されていれば規則になったりしますけれど、明文化されていない暗黙の規範やルールのような法の方が実は多いです。

それはなぜか?
規則は組織ができた時に制定されたりしますけれど、ノリで集まってる集団においては法は後付けでいつの間にかできるものだからです。
自然発生的に出てくると書きましたが、これは「今までこうやって、うまくやってきたじゃないか」みたいな状態を指しています。
つまり、一緒に経験してきたことが、それによって得られたGroove感(いわば成功体験)を以て良しとされ、同じやり方でやることが法になってゆくわけです。やり方や調子が違うと「ノリが悪いなぁ」とか「それじゃノレないなぁ」と却下される感じですね。

見えないノリに弾かれる

ノリの三つの要素、というか側面を見てきましたけれど、こうしてみてみるとノリは外からは見えるものではなく、その集団の中にいる人の無意識の中にありそうです。
阿吽の呼吸のようになっていて言語化されていないので、場合によってはあることすら気づかれていないかもしれません。
また、触れてきた三つの要素も絡み合っていて独立して存在はしておらず、乗りからスタートして、重ね塗りのように糊や法の効果が出てくるのではないかと考えられます。

ノリで作られたある集団の中に外部から新しい人間が入ってくると、その集団のノリが分からず戸惑ったり、乗りついて行けずに弾かれてしまったりすることもあります。
でもノリは誰かから伝えられるものでも教えられるものでもなく「そういうもんなんだよ」とか「とにかく一緒にやって見ようよ」とかで、共に居続け共に体験することでなんとなくわかった気になり、結局言語化されることもなくノリに巻き込まれるままにその集団の一員になってゆく…みたいなことが起きてると思います。

組織においては「組織文化」とかがよく言われますけれど、集団レベルだと実際違うのは文化などという大層なものではなくノリなのかもしれません。というのも文化というのは行動や習慣からきていて、それを作るのにそれなりに時間が必要ですから。
ノリはそこまで行っておらず、何かの調子に調子が合ってその勢いで続いてゆくものなので。

こう考えると、人と人が繋がる最初かつ最も簡単なきっかけがノリであり、そこに理由はなく、人の感性が作り出す極めて感覚的なものなのかもしれません。
でも、それって実はすごく人間的で、すごく大切なことなんじゃないかなって私は思います。

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