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4人分働いてた時の話

5年前の2017年。私は半年ほど職業人生最大のピンチに直面していました。
部署から次々に人が居なくなり、自分自身の仕事を含めて4人分の業務を回さなければなっていたのでした。

それは「ひとりの限界」を知り、仕事に対する考え方が大きく変わった経験でもありました。
当時を自分の中で何が起こっていて、どう変わったのかを振り返ってみます。

「少しの辛抱」のはずだった

その年の2月まで順調でした。転職から2年が経過して新しい会社にも慣れてきたし、1年半にも及ぶ人事の基幹プラットフォームの導入も片付いて、忙しかった仕事も落ち着いてきていました。
人事の基幹プラットフォーム導入では3週間に一回海外出張があり、そこで打合せたことを日本に合うように導入調整したり、社員やマネジャー向けのトレーニングをしたりと色々とやることが山盛りだったのです。それが終わってホッとしていたということもありました。私の中に油断と驕りがあったと思います。

ある日上司から声がかかり「人事部門から人を削らなければならなくなった」と言われました。人員削減は割と外資ではよくある話なのでさして驚くこともなく、十分に冷静に話し合った結果、自分の部下であった採用担当の女性に異動してもらうことになりました。
採用担当は一人しかいなかったのですけれど、採用自体をアウトソースすることが既に決まっており、それが始まるのが6月からになりそうだというのもあったため、どっちみち彼女の仕事も無くなるか変えるかしないといけなかったので。
彼女の異動は4月1日付、3月いっぱいで採用の仕事を一旦私が引き受け、アウトソースの立ち上げ準備を進め、6月には手離れになる見通しでした。まぁせいぜい3ヶ月の辛抱だからわざわざそのために人を入れることもないだろうとたかを括っていたのでした。

4月から採用の仕事を始めてみると、1−2週間で自分に全く向いていない仕事であることがわかってきました。
常に10ポジションぐらい採用活動を当時はしていたのですけれど、候補者紹介をしてくるエイジェントと丁寧にやり取りをしながら、書類選考、面接のアレンジ(日程調整から面接室の予約も含めて)、選考の進捗管理などひっきりなしにメールや電話がかかってきます。しかも候補者を間違えたり面接の日付を間違えたりというミスが致命的になるので、慣れてないと非常に神経を使います。
10ポジションの採用ということは、面接をするのが最低でもその5倍、書類選考はそのさらに3倍はあります。よって候補者だけで150人分の情報を常にやりとりしているような状態です。
しかも細かく手間がかかりミスが許されない…私の苦手な言葉です。

自分の本来業務であるタレント・マネジメントの仕事をしながら採用の仕事をするので当たり前ですが時間が足りません。その時はまだタレント・マネジメントの仕事は繁忙期ではなかったのですけれど、ジリジリと残業時間が増えてゆきました。
それでも、まぁ3ヶ月すればアウトソース化されるので、と気楽に構えてました。

期待、重圧、責任感

4月になると上司が定年退職となりました。
後任は決まっておらず、外部からの採用活動に入っているようでしたが、いつになったら決まるのかは分かりません。2ヶ月ぐらいで決まるかもしれないし、なかなか良い人がいなければ1年以上かかることもあります。

上司は人事担当役員であり人事のトップだったので、彼が辞めた後は当面私が暫定人事担当役員ということになりました。同僚の中でやるとしたら自分なのだろうと思っていたので、これは仕方ないことでしたし、人事のオペレーションを回し続ければとりあえずはOKだろうと思っていたので、これも快く受ける…というか受けざるを得ませんでした

後で思えば、ここで人事担当役員代理として実績となるようなことをすることができれば暫定役員の状態から正規の役員へと昇格もあったかもしれません。
しかし、当時は上司が辞める時点で声がかかっていないことで自分は違うのだろうと納得していたのと、採用の仕事を含め自分がやってることを引き渡せる相手がいないととても役員などできるわけないと思っていたので、そんな色気を出すこともなく、淡々と日々のオペレーションを回そうと思っていました。

と・こ・ろ・が、
暫定とは言っても人事のトップですので、何かにつけ「これどうしますか」とあちこちから問い合わせは来ますし、人事の代表としていろいろな会議に招集され意見を求められます。
その場で答えられないことは調べて折り返さないといけませんし、会議の前にそれなりに準備も必要です。
100%の期待に応えられないまでも、最低限すべきことはしておこうとは思うものの、他の業務を疎かにする訳にも行かず、だんだんと動きがとれなくなってゆきました。

とにかく人事のオペレーションを回す。暫定なのだから最小限のことだけやろう。それ以外はある程度取りこぼしがあっても仕方がないし、みんな勘弁してくれるだろう…
なんだかんだ言ってもそれほど時間かからずに人事の役員がきっと入ってくるのだろうからそれまでなんとか持たせよう…
その日その日の仕事をなんとか凌ぎながら、そんな風に考えていました。

仕事が溢れて行く…

5月の初め頃、工場で人事担当をしている同僚の男性が「退職したい」と打ち明けてきました。「こんなときに申し訳ないけれど」と言いながら退職届を渡してきて、次も決まっているので7月いっぱいで退職するというのです。

頭の中では「勘弁してくれー」と叫んでいましたが、冷静に退職の理由を聞き、本人の決意が固く引き止められないことを悟りました。
そこからは、業務の進捗状況と今後の課題を聞き取り、どのくらい彼がやっていた仕事を行うのに時間と取られることになるのかを計算していました。

当時私は東京で仕事をしていましたが、工場は福島県にあります。工場担当人事は福島工場に毎日出社して人事の仕事はもちろん総務の仕事も統括しています。工場の総務ですから様々な雑用があるわけですし、それは福島にいるから指示命令ができるものであったりもします。

その年の2月まで人事部には、私を含めて7名がいたのですが、立て続けに3人がいなくなっています。残った私以外のメンバーは転勤ができない状況でしたし、これも常勤できる人を採用する必要がありましたので、これも一時的に自分がやるしかありません。
しかし、現地に全く赴かないで工場人事と総務をやるのはかなり無理があります。それで仕方なく、毎週一回福島に日帰り出張しての対応をとることにしました。
朝6時台の新幹線に乗って福島に入り、定時になったら片付けて新幹線の福島駅に向かいますが、帰宅できるのは22時回りますので、かなり消耗します。
それでも往復の新幹線の中では誰にも邪魔されずに仕事ができる、気分転換にもなるしイイかもぐらいに思っていました。

ただ、この頃から徐々に仕事でミスが出たり、物忘れをしてて対応が後手に回ってしまうことが頻発し始めました。
一つの仕事が片付く前に仕事が割り込んできて、その対処を考えながら目の前のことをやっているマルチタスク状態なので、メモし損なっていたり、メモがどこに行ったのかわからなくなったりで頭の中が混乱状態になってました。

何をしたら良いのか、どうやったら良いのかは全てわかるのですけれど、それを全部やってる時間がないので効率的にやろうとするあまり、抜けや漏れが発生しだすのです。
今までの職業人人生で、たいていの仕事はこなしてきましたけれど、こんな感覚は初めてでした。後から後から仕事が入るけれど、どれひとつ完了していかないような感覚に苛まれまるのです。手からこぼれ落ちてゆく砂のように。

気がつくと、月間の残業時間は軽く200時間を超え(恥ずかしい話ですが、数えてる時間もなかったので後で気づいたことです)、土日もひたすら仕事をしていました。
今考えると、よくやっていたなと思います。
ひとえに「自分がやるしかない」「まだいける」と信じ込んでいたからだったのだと思っています。

ギブ・アップ

福島に通い始めてしばらくした頃、同僚の女性から「今年は新卒採用しないんですか」と問いかけがありました。

私のいる会社は外資系で人事の所帯も小さいので、手間と時間のかかる学卒の新卒採用はしていませんでしたけれど、留学生を対象としたジョブ・フェア(東京キャリア・フォーラムというイベント)には参加し、英語が堪能な留学生を1−2名だけ採用するということをここ2年ほど続けていました。
たった二日間のイベントですが、人事部員総動員で企画し運営し、事業部門にも協力をしてもらう人事にとってはビッグ・イベントであり、彼女にしてみれば全員総出でやることなので気になっていたのでしょう。

このことを言われて一瞬…
え…?
と背筋が凍りました。というのも、エントリーをするならば直ぐにしないと間に合わないようなタイミングだったからです。
でも、そんなことがあったことすら正直すっかり忘れていたのでした。

新卒採用は10年間やっていなかったのを2年前に私が復活させたものでした。
中途採用しかしてこなかったので学生への認知が低い私の会社は、認知度を上げるためにこのようなイベントには継続的に参加し、自社の魅力を学生に積極的にアピールすることでブランドを高めてゆく必要があります。
過去2年間徐々に評判が上がってきたところだったので、ここで途絶えさせてはならない…なんとかして絶対に続けよう
絞り出すような声で言いました。
「出そう」

3人の女性同僚の「マジ?」と言う表情は未だに脳裏に焼き付いています。
彼女たちの顔には、
(本当に出して大丈夫なの?)
(そんなことやってる時間あるの?)
と書いてありました。
それを見ながら毅然と「いや、ここで止めるのは絶対しない」と言い切ったのでした。そして、言い切ったのち直ぐにイベントの事務局に連絡を入れ、出展の意向を伝えました。
今思えばなんて我儘で無鉄砲だったことでしょう。

イベントにエントリーして公募を開始してから1−2週間。
学生のエントリー状況を全く見てなかったのですが、蓋を開けてみると前年の倍以上のペースでエントリーがありました。過去2年間の努力によるところもあるのでしょうし、続けてきてよかったと思える一方で…
やばい、これだと手が回らない…

「ここで止めるのは絶対しない」と大見えを切ったときに「イベントの当日だけ協力してくれればいい。大丈夫、去年までのプロセスを回せばいいから。できるから」と言って、エントリーから面接の設定など全部自分でやろうとしていましたが、想定を上回る数を捌くのは、無謀ではなく物理的に無理でした。
と言うのも、他にも複数ある期限付きの仕事を、全て期限までに終える作業時間自体が取れない状態にまでなってしまっていたからでした。なにかをやめないとできないのだけれど、どれ一つ止めることができないのです。

このとき、自分の力を過信して「やらなければならないことだからやるんだ」とか「できるかどうかじゃない、やるんだ」と思ってきた自分自身の愚かさに打ちひしがれたのでした。
そして、同僚を集めてこう告げました。
ごめん、俺もう無理だ…助けてほしい

俯きながらそれを伝えた私は、同僚から「ホラァ、無理だって思ってたんだよ」と罵倒されるかもしれないくらいに思っていました。
しかし、同僚から出た言葉は、
「やろうよ。もうちょっとじゃん。何したら良いの?」
「ああ、いいよ。それも言わなくていい。こっちで調べてやるから任せて」
「安心して、他のことやってていいよ。忙しいんだから、さ」

そこから先、私自身はほとんど関わることなく新卒採用のイベント、面接の設定、内定出しまでが着々と進んでゆき。無事に2名の新卒を採用することができました。
驚いたことに、私から指示をしなかった中で、彼女たちは自分達でイベントのオペレーションを最適化し、私が考えもしなかった効率化を果たしていました。

そして、このとき止めなかった新卒採用はその後も今日に至るまで続いていて、新卒採用をする会社として少なくとも社内には認知をされるようになりました。そのオペレーションも彼女たちが作ったものが今も使われています。

振り返ってみて思う - ヘルプシーキング

採用のイベントが終わり、内定を出し終えたのは7月下旬のことです。
そこから徐々に私に乗っかっていた3人分の仕事はなくなってゆきました。

8月には遅れていた採用のアウトソーシングが始まりました。立ち上げ時はエネルギーが必要でしたが、私が苦手にしてる面接などの細かいアレンジメントをしなくて良くなったのは本当に助かりました。
9月には後任の人事担当役員が入社し、暫定でやっていた人事役員の仕事も彼がやるようになったことで精神的な負担も軽くなりました。
10月には工場担当人事の後任が12月に着任できることが決まり、それが決まったことで工場側も安心をしたのか私の福島への出張の頻度も月一回で十分と言うことになりました。

およそ半年の間で、最初は大したことないと思っていた仕事が徐々に雪だるま式に膨れ上がって手に追えなくなり、自分の限界を知ったあたりから徐々に軽くなって落ち着いて行く…
自分の分を含めて4人分の仕事を捌く「仕事量の地獄」はこうして終わりました。
半年だけだったからなんとかなったけれど、これを一年続けていていたらおそらく私は倒れるか病気になっていたでしょう。

そして、この半年間で仕事に対する考え方が大きく変わったと今振り返ってみて思います。
それは私にとっての三つの大きな気づきでした。

1)自分に限界があることに自覚的になる
長く働き会社のこともわかってきていましたし、普段からスキル強化をしていて自分は何でもできるくらいに思っていました。自分一人でできるという思い上がっていたのだと思います。
謙虚と言うことではなく、自分の能力を超えることを長く続けることはできないのだということに自覚的であることが大切です。よくストレッチ・ゴールということが言われますけれど、伸びっぱなしではいけないということです。

2)一人でやることが責任ではない
「全部自分でやらなくちゃ」は自分が(おそらく社会人になってしばらくしてから)罹っていた病のようなものだと思います。
預けられた仕事は一人で全部片付けてこそ責任を果たしたと言える、と思いこんでいました。誰もそんなことは言っていないのに。
経験を積むと、タスクや問題が上がってきた時にどのように対応したら良いのかがパパッとわかるようになります。そんな時ほど要注意ですね。自分がやった方が早いってなりやすいので。

3)「メンバーを信頼する」の本当の意味
一人でできると思っていても、やり方は自分が一番知ってると思っていても、他人の方が自分にはないより良いアイディアを持ってるかもしれません。
やったことないはずだから、どうせ知らないだろうからと勝手に決めつけ、一人で背負い込んでしまうのは実はメンバーに対して失礼極まりないのだ、メンバーを信頼していないです。
頼りにしているということが伝わることは、依存ではなく敬意なのだろうと思ってみることです。

最近知ったのですが、このように自分で何とかせずに人に助けを求めることができるスキルのことを「ヘルプシーキング(Help Seeking)」と呼ぶそうです。

「自分で何でもできるようにならないといけない」
「任されたことなのだから助けを求めず一人で何とかしないといけない」
そんな考え方に支配されて長い職業人生を送ってきた私としては、この考え方をもっと早く持っていればもっと楽に仕事ができたばかりか、おそらくキャリア・アップもスムーズにできただろうにと思います。
というのも、マネジメントは人の力で仕事をしてなんぼの世界。自分だけでなんとかしようとしないからこそ大きな仕事ができるわけですから。

そして、リモートワークやハイブリッドワークが増えてくると、このヘルプシーキングはより重要になって来るだろうと私は思います。
一人で抱え込んでバーンアウトする前にヘルプシーキングできるようになっていることは言わずもがなですが、お互いに手を伸ばし合うヘルプシーキングがあればこそ、離れていても声を掛け合ってコラボレーションを起こすことができるのではないでしょうか。

5年前の「仕事量の地獄」は私にとっては得難い経験でした。「あれだけのことができたんだからもう怖いものはないな」と思うのではなく、壊れる前に助けを求めることができたこと、支えてくれる仲間がいたこと、半年で済んだことを今では本当に感謝しています。
でも、人に薦められる経験だとは思っていません。こんな経験をする前にヘルプを求める許可を自分に出せるようになること、全てのワーカホリックに声を大にして伝えたいです。

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