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interdependentとはどんな状態か

私の好きな言葉に「interdependent」という英語があります。
辞書で調べると「相互依存の」とか「持ちつ持たれつの」という形容詞の意味が出てきますけれど、辞書通りの意味だとなんだか寄りかかりあい、馴れ合いのように聞こえるかもしれません。でも、そういう意味ではないと考えています。

independentは「独立」と訳しますね。
inが取れてdependentだと「依存している」状態となり、その否定形(接頭辞のin-)のindependentは依存していないから独立であるというわけです。

codependentという言葉もあります。こちら接頭辞にco-がついているので「相互に」とか「一緒に」というニュアンスになります。
日本語では「共依存」となり、こちらの方がもたれ合い、馴れ合い的なニュアンスがあるのではないかと思います。どちらもが相手に依存しており、相手がないと自分も成立しないような錯覚に陥っている危ない状況のようにも思えます。

私の考えるinterdependentは、independentでもcodependentでもありません。
そして、ひとりひとりがinterdependentであるとチームなとても強力になると考えています。
interdependentとはどのようなものなのか、考えてゆきましょう。

先ずは個が「独立」してること

チームの足を引っ張ってしまう人のパターンには幾つかあります。
誰かの邪魔をしてくる人、その人は良かれと思っているのでしょうけれど皆んなにとって余計なことをやらかしてくれる人、そして世話が焼ける人。

この中で「世話が焼ける人」というのは、他のメンバーと比べて達しているべき知識や能力レベルに到達していないので、誰かが必ずフォローアップをしないといけなくなるパターンを持っている人です。
そこで誰かが助けてしまうと結果的になんとかなってしまいます。それでよしとしてしまうと、本人が成長しないので同じ世話を今度は誰かが行うことになってしまいます。

能力や知識であれば、何度か同じことを繰り返していればそのうちに覚えるかもしれませんけれど、態度とか在り方のような意識レベルでのズレはそうそう簡単に短期間で修正ができません

チームに加わるからには、他のメンバーと同レベルの「独立」が大切です。誰かを頼らずとも自分でなんとか切り抜けようと先ずする事、それで行き詰まった時に誰かが助けてくれるのを待っているのではなく、自らヘルプシーキングできること。
それが独立です。これは能力や経験よりも考え方の方が大きそうです。なにもできなければ去ることを求められるような状況下において、文字通り独りでその場に居られる状態を自分自身に作れるか、ということですね。

敬意を示し尊重しあう関係を作れるか

独りでもなんとかできてしまうのであれば、チームなど組まずともよいのではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。
チームを組むのは、独りでできることよりも大きなことを成し遂げるためですから。

ここからがInterdependentな人とIndependentな人との分かれ目になってくると私は思います。
Interdependentな人は積極的に人と繋がりネットワークを作ります。なぜならば、自分できることが全てではないこと、人の力を頼った方がよりうまく行ったり、より大きなことを成し遂げられることを信じているからです。

Interdependentな人は出会う人に興味を持ち、相手がIndependentで居られる強みは何か、それはどのようにして培われ、今どのように使われているのか、に関心を持って積極的に傾聴してゆきます。
既にともに働くことが決まっているのであれば、タスクやプロジェクトのこの部分はこの人に任せておけば安心だなとか考えますし、まだ決まっていなければそういう機会があったときにこの人を頼れるよう関係性をがっちりと結ぶことをするでしょう。

相手に興味を持ち、尊重する上において大切なことはおそらく二つあると思います。
一つは同じ能力や経験がある相手がいたときに自分と比較し張り合わないこと。
もう一つは自分に持っていない素晴らしいものを持っている相手がいたときに自分を卑下しないこと。

自分と同じ強みを持っていると思われる人の話を聞いているときに、つい自分の経験を出して同じようなものがあるかと探ったり、クイズのような問いで知識を測ったりすれば相手は値踏みされてるような気分になって尊重されているとは程遠い感情を持つでしょう。

同じ強み、同じ経験や知識があるのであれば、あなたは相手の話を共感して聴くことが容易いはずです。そちらに集中すべきでしょう。
自分と同じ強みを持つ人は自分のバックアップとして動いてもらうこともできるはずです。こういう人と張り合っても仕方がなく、むしろ自分が二人いるようなものだと考えてみた方が良いと思います。

一方で自分に持っていない強みを持っている人の話というのは、興味を持って聞くのは容易いかもしれません。そのときに、それを持っていない自分を卑下さえしなければ
全ての能力を兼ね備えている人間などは、スーパーヒーローの世界か神話にしかいないはずで、人はそれぞれに異なっているからこそ人間であり協力しあって生きているのだと考えるべきです。

もちろん、相手の強みを自分も持ちたいと思う意欲は素晴らしいことだと思います。でも、本当にそれはあなたが持つべき能力でしょうか?
いや、仮にあなたが持つことができたとして、そのための時間を割いたり、その能力を発揮する仕事をすることがあなたにとって意味や価値があることでしょうか?
そこは考えた方が良いかと思います。

例えるのであれば、戦場で敵に囲まれた時に自分の背中を預ける感覚に似ています。
背中に目はありませんし、腕だって後ろにいる敵に向かって振るうことはできません。正面の敵に対応することはできても、背面は明らかに弱点になっているわけです。そこを任せられるとしたら安心して正面の敵に集中できるのではないでしょうか。

正面の敵、自分が集中すべきタスクに集中できるためには、自分の弱点をカバーしてくれる信頼できる誰かが居てくれることがとても重要だと思います。
任せてうまくいくかどうかではなく、カバーしてくれる仲間を信頼できるかどうか、そこが最も大切で、あずけた部分で綻びが出たとしても、それまでの間はあなた自身が自分の領域に無心に集中できていた訳ですし、それがチームとして機能してる証ではないでしょうか。

Interdependentな世の中へ

Interdependentな人たちは意欲と能力が高く、かと言ってそれに驕ることなく謙虚に人と接して相手を尊重しながら繋がって、自分ひとりでは作り出せない大きなものを作り出してゆきます。

20世紀のマネジメントのように、スーパーリーダーが全てを掌握し、自分の手足となる部下に指示を与え、リーダーのコピーがアウトプットを大量生産してるようなモデルが通じる世の中では無くなってきています。

21世紀に入ってからは、フラット化してる組織が増え、そこでは誰かがリーダーということではなく、お互いが力を合わせて集まった目的のためにベストを尽くせるように協力し合うようになってきています。
そこに旗振り役や調整役のような人は必ずしも必要ではなくなってきていると私は思います。逆に言えば、それが必要ないほど個人の人間関係構築の能力が高くなってきているからです。

これから先には「組織」という言葉すら次第に薄まってゆき、その代わりに「目的」とか「志」とか「大義」といったPurposeレベルのものがInterdependentな人たちを繋げ、集まった人たちが自律的に活動をしてゆくのではないかと考えられます。

そうなってゆく前に、まずはIndependentであること。すなわち、自分ひとりの力で世の中にある意味や意義、言うなれば自分の軸のようなものをしっかり持つことが大切ではないでしょうか。

最初から確固としたものである必要はありません。
暫定で設定し、世の中で揉まれてこそ軸は強化され自分を支える柱となってゆきます。
そして一本一本の柱は、他の柱と支え合って盤石なものになり大きな建造物を作ってゆくゆくわけですから。

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