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ユハ・T・コスキネン:自身の音楽について―そしてその向こう側へ

耳を澄ますこと―縁側

「3か月という(日本における)教職期間の間に、私は地理的にも精神的にも遠く離れた文化の間に橋を架ける方々へ、尊敬の念を深めました」と、作曲家ユハ・T・コスキネンは記している。このコラムは、作曲家や音楽家が自分の音楽について語るシリーズのうちのひとつである。

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 過ぎ去っていった「コロナウイルスの一年」は、プロフェッショナルな音楽家にとっては、キャンセルと大きな落胆以外、何もありませんでした。私はフリーランスの作曲家として、この状況を共にしていましたが、幸いなことに、こうした中でも1つの重要なプロジェクトが進みました。日本の愛知県立芸術大学に客員教授として再び招かれ、奇跡的に2020年10月に日本に行くことができたのです。

 日本で過ごした時間は、同様の機会を得て日本に滞在した2016年の時と同じく、実りあるものであり、また刺激的なものでした。日本に向かう前に、私はすべての学生に、自分の作曲した作品の1つと、自分自身について、また自身が興味のある分野についての簡単な説明をメールで送ってくれるように依頼しました。楽譜は、たとえそれがコンピュータで作成されたものであっても、その生徒の持つ背景や長所をはっきりと示してくれる「手書きのサンプル」のようなものなのです。

 授業が進むに従って、私はいつも作曲の実習のかたわら、既存の楽譜を持ち込んで、生徒の現在の状況に合わせて「ピアサポート」と呼ぶべきものを提供するようにしています。私が使用した楽譜は、私自身の作品もいくつか用いましたが、20世紀後半の作曲家の作品と、シベリウス音楽院の学友であった作曲家の作品が並ぶのは当然のことでしょう。私にとって、これは2000年代のフィンランド音楽がいかに多様であるか、自身の認識を新たにする有益な方法となりました。

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 遠く離れた地で仕事をする人は、第一印象が必ずしも正しいとは限らないということを心に留めておかなければなりません。私たちは慣れ親しんだものに執着する傾向があり、それが誤解を生むという悪循環に陥ることがあります。3か月という教職期間の間に、私は地理的にも精神的にも遠く離れた文化の間に橋を架ける方々へ、尊敬の念を深めました。フィンランドを単なるオーロラやトナカイの群れといったような、異国情緒あふれるワンダーランド以上の何かとして日本の人たちに理解してもらうためには、忍耐強く、長期にわたる調査や研究が必要なのです。

 愛知県立芸術大学の作曲科教授である小林聡羅さんは、そのような橋渡し役として優れた一例です。彼は1990年代にシベリウス音楽院でパーヴォ・ヘイニネンに作曲を学び、現在もフィンランドの音楽シーンを精力的に追いかけています。聡羅先生との対話を通して、私は彼が、自身の経験を通した人との関わり合いや、フィンランド文化の特殊性の多くに深く精通している人物であると信じることができました。そうした意味において、日本の生活や文化を観察する際に、他の相手では誤解を重ねることになるかもしれないような細部に至るまで、私は安心して目を向けることができました。

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 2020年春、コロナウイルスの世界的流行により、私の行動範囲がベルリンの自宅周辺に限定されてしまったため、私は自身の作曲において、より広い空間と時間の展望を探るようになりました。このコロナ禍の中、最初の春に行った主な作曲プロジェクトのひとつが、ピアノのための組曲《星曼荼羅》でした。ピアニストの八坂公洋さんが、2020年10月に愛知県立芸術大学の室内楽ホールで全曲を初演する予定でしたが、そのコンサートが延期になってしまいました。そこで、八坂さん、小川至さん、福士恭子さんに依頼し、この小品のうちのいくつかを自宅で録音していただき、その動画を私のホームページで公開したのです。

 私が作品に与えた「EN」、「TEN」、「NEN」、「Mori」、「Unabara」、「Seirei」などといったタイトルは、呪文や童謡のような印象を与えるかもしれません。聴き手の皆様がどのような連想をするかはもちろん自由ですが、これらの表題は日本語において明確な意味を持っています。ここでは、「縁」(関係、あるいは運命)という名の小品と、それを演奏した小川至さんに注目したいと思います。これは、クララ・シューマンの変奏曲(訳者注:《クララ・シューマン:ローベルト・シューマンの主題による変奏曲》作品20における主題)を引用しながら、「星曼荼羅」における星の配置を音楽的に解釈したものです。動画の中では、《大地-アリア》と《念》という2つの小品が先に置かれています。

 2004年以降、仕事や自身の学びのために、定期的に多く日本に訪れています。日本に行くたびに、作曲家として、また人間としての視野が広がり、また深まっていくことを感じます。仏教儀礼に用いられる歌である声明(しょうみょう)の学びを通して、私は中世から潰えることなく連綿と続く、生きた伝統と繋がることができました。

 日本のお寺は木造建築で、雨の日も晴れの日も移動しやすいように、「縁側」として知られる、ベランダのような屋根付きの広い通路が必ず設けられています。縁側は、お寺の周りの庭園を眺めるのにも、中の部屋に入るのにも便利なものです。理想的な場所では、すぐそばにある庭園と共に、お寺を通して更に向こうの景色を眺めることができ、その遠くにはかすかな山を目にすることができるのです。そこでは庭園の自然な音と、家の中の音が混ざり合って聴こえるのです。

 数年前に京都を訪れた際、観世流の能楽の開演を待っていた私は、まだ訪れたことのないお寺の縁側で雨宿りをすることになりました。そこは楠の古木に囲まれた青蓮院であり、庭には龍の神の池(訳者注:龍心池)がありました。このお寺の持つ夢のような雰囲気と、その後の迫力ある能楽の舞台が、箏奏者の吉澤延隆さんのために書いた独奏作品《薄氷》(2018年)に霊感を与えてくれました。楽譜には京都で見た能楽の、ロイアル・タイラーによる英語翻訳の引用を載せています:

能竜田
和光同塵 結縁 始め
“The tempering of the light and the merging with the dust initiate the link to the enlightenment…”

写真:Jaakko Kulomaa
邦訳:小川至

ユハ・T・コスキネン ウェブサイト

こちらのコラムは、ウェブマガジンである「フィンランド音楽季刊誌(FMQ)」に掲載された記事の邦訳文章です(2021年4月30日掲載)。
以下のサイトにて原文をお読みいただけます。
Juha T. Koskinen: On my music and beyond: Engawa, listening out

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