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フィンランド音楽小史―作曲家を中心にめぐって―

 これはフィンランドが独立100周年となった2017年に、9月24日と11月4日に計3回に渡って開催されたFINLAND 100 MUSIC HISTORYというイベントの際にプログラムに掲載された、フィンランドのコンパクトな音楽史です。本掲載にあたり、各ページへのリンク、動画の埋め込みなども追加で行いました。10,000字に近い文字数のため、web上でどれだけの方が読んで下さるかわからないけれど、この文章を通じて一人でも多くの方がフィンランド音楽に対する造詣を深めてくれるのであれば嬉しい限りです。

1.はじめに

 湖と森の国、フィンランド。その国土の約3分の2が森に、約1割が水域にあたり、その総人口は約530万人、日本のおよそ24分の1という程の小国である。しかしこの国が抱える存命の作曲家は、「フィンランド作曲家協会」に名を連ねている数だけでも現在170名以上に及び、その殆どが高水準の作品と確固たる独自性を持っているのである。ある意味においては奇跡とも取れるような状況にある、こうしたフィンランドの音楽が、いったいどのような発展の道筋を辿っていったのか、その歴史を辿りながら紐解いていこう。

2.フィンランド独立以前

 フィンランドがロシア帝国から独立を勝ち得たのは1917年12月のことであり、さらに1809年以前はスウェーデン王国の一部であった。スウェーデン時代は勿論のこと、ロシア帝国の西端の領地となった時代においても、フィンランド人たちの内に国民意識が本格的に燃え上がるまでには長い時間を待たねばならない。フィンランド音楽史においては、それ以前に創造的開花が見られ、フィンランドで最初の作曲家と目されるエーリク・トゥリンドベリ(1761-1814)やカール・ルドヴィグ・リタンデル(1773-1843)、トーマス・ビューストレム(1772-1839)、ベルンハルト・ヘンリク・クルーセル(1775-1838)といった作曲家たちが創作活動を展開していたが、それらは基本的にハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンといったウィーン古典派の様式を踏襲した音楽であり、その多くが古典様式的均整を有した佳作といった印象を脱していない。フィンランド国内における演奏家たちの出現とその活動も徐々に興隆してはいたものの、1850年代に入ってからもなお、演目の主要レパートリーは西欧の音楽によって占められており、殊にドイツ的思想からの影響が濃厚であったようだ。

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